2019年11月21日木曜日

「政党」も「趣味」ではなく「ビジネス」なのだと思うが

政党は国内の支持者の多寡を争う競争関係にある。典型的なシェア競争である。なので、自民党・公明党、その他野党連合という風に「結託」することに戦略的利益を見出すプレーヤーが出てくるのは必然だ。

政党をいかなる産業に分類するかといえばモノづくりではない以上、やはりサービス業に分類されることになるのだろう……。

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互いに競合関係にある企業では、いかに自社製品(サービス)を他社と差別化するかがポイントになる。差別化に失敗して、自社製品(サービス)がコモディティ化すれば安ければよいという競争圧力にさらされ利益は消失してしまう。組織の成長機会は失われるわけだ。

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ただ、政党と民間企業で最も異なるのは、サービスを提供するとは言っても価格を伴わない、対価がゼロ。つまり公共サービスである点だ。政党は政党交付金を支給されているが、その支給額は国民によるサービス評価の代理指標であるのだろうか、選挙で当選した議員数にほぼ比例する方式で決定されているようだ ― もちろん専門外であるし、具体的方式にはそれほど興味もないのでこれは憶測である。それと政党に対する政治献金、あるいは共産党の『赤旗』といった出版物の販売利益なども政党を支える基盤になる ― 政党は建前上は非営利組織であるから「販売利益」にも自ずから上限はあるのだろうが、これまた小生は専門外なので詳細は承知していない。

競合関係にある企業にとってプロモーションは極めて重要である。自社製品(サービス)を他社と差別化して顧客(=有権者)に訴求することは、一定のシェアを奪取するうえでは決定的に大事だ。

かつて民主党が賢明に駆使した「マニフェスト」は、民主党が目指す政策サービスと自民党・公明党が目指す政策サービスとを差別化し、その違いを有権者全体にアピールする有効なツールとして機能した。

本当はこうでなければならない。

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現在、日本国内で政権から外れている野党連合は、プロモーションとは言っても、ネガティブ・キャンペーンを主たる戦略にしている。

民間で競合製品の問題点ばかりを指摘するネガティブ・キャンペーンを展開する企業の製品は決して売り上げが伸びないことは、長い資本主義の歴史の中で確認されてきている事である。

なぜネガティブ・キャンペーンが決して自社を利するプロモーションにならないのかといえば多くの説明があるのでここでは長く記さない。一つだけ挙げれば、競合商品の問題点ばかりを指摘する会社があるとしても、新規購買者はともかく、既存使用者は使っている製品の長所・短所を経験的にわかっている。その製品を非難している企業の製品はよく分からない。ネガティブ・キャンペーンと併せて誠実にアピールしている内容があるとしても過激に展開しているキャンペーンのほうに目が向いてしまう。マスキング効果である。自分の経験とよく分からない会社による非難と、二つの情報を天秤にかければ信用できるのはどちらか、直ぐに結論できることが多くなる理屈だ。例えれば、籠城戦で『お前たちの主人がどれほど酷い人間か分かっているのか』と叫ぶことで敵陣営を調略しようとしても自分もまた観察されているものだ。自らの力量を信用してもらわなければネガティブ・キャンペーンだけでは効果が期待できないものだ。ま、やめておく。書けば書くほど情けない現状がいま展開されている。

一度見事に成功した政党ビジネス戦略をなぜ再び練り上げて自党の発展への機会を狙わないのか?

小生は現時点の野党連合の政治家たちのその「無能さ」というか、インテリジェンスが見事に欠けているという事実に限りない淋しさを感じる。

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これは全く別の話になるが、中道左派のリベラル勢力がシェアを拡大したいのであれば、戦後日本の体制と両立しない共産党を消滅させることを目標とすればよい。極左の共産党が消滅した後、自民党は保守と中道に分裂する誘因が生まれるから、現在の中道リベラルに成功への機会が訪れる。

しかし、理屈はともかく実行は困難な戦略だろう。自民党よりも左で中道リベラルが自民党と協調するのはリスクが高い。 ぬえ 的である。 自分たちが消える可能性が高い。かといって、共産党の右側にいながら共産党と敵対して単独で戦うのは力量不足だろう。だから中道左派は共産党と協調する動機をもつ。

袋小路である。

日本国民が建前と本音を厳しく洞察する意識をもてば「日本共産党」の虚構性に気がつくロジックだ。気がつかなければ、実行困難な戦略があるのみであり、現状が続く。だとすれば、ネガティブ・キャンペーンを思いつくが、それでもコンテンツがなければどうしようもないのである。

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