母は娘時代からクラシック音楽が好きだったそうだ。父との縁談があったとき、母はショパンの『前奏曲雨だれ』を話題にしたそうである。父は偶々『雨だれ』だけは知っていた。ショパンで唯一知っていた曲名がその『雨だれ』であったのだ。この話は面白おかしく何度も母から聞かされたものだ。そんな母は結婚する時にベートーベンの『皇帝』を持ってきていた。何枚かが1セットになっているSP盤でまだ小生宅に残っている。コルトーの名盤である。それからLP盤の『運命』とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もあった。指揮はどちらもオーマンディ、ヴァイオリニストはフランチェスカッティだったと記憶している。この2枚のLPがまだ残っているかは宅のクローゼット奥のそのまた奥に積み重ねているのを1枚ずつ確かめてみないと分からない。いずれにしてももう傷だらけである。
残念ながら母が持ってきたレコードを再生する蓄音機はずっと家にはなかった。父はクラシック音楽には本来無関心であったのだ。家に小型のラジオ兼プレーヤーがやってきたのは小生が小学校何年生になった頃だったろうか。よく覚えていない。小生は母が買ってくれるドーナツ盤の童謡に飽きると、LP盤を何度もかけて段々とオーケストラの響きやクラシックの旋律に慣れていった。そんな小生の姿をみるのは母には結構嬉しかったようだ。『この曲、いいと思うの?』と意外そうに聞かれたことがある。それからヨハン・シュトラウスのワルツや自分が好きだったというメンデルスゾーンのV.C.を買ってきたりするようになった。
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そんなわけで小生が最初に親しんだクラシック音楽はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だった。それからずっと好きである。調査出張でフランクフルト経由でウズベキスタンのタシケントに行った時も飛行機の中でずっとその曲を何度もリピートして聴いていたものだ。が、母と一緒に暮らしていた時分、一番頻繁に聴いたのは回数を数えたわけではないがメンデルスゾーンの方だったかもしれない。
母は小生が小学校に入学した頃に、まだ田舎に住んでいた頃であったが、近所に訪問指導で来ていた先生につかせてヴァイオリンを習わせたのだが、子供心にはまったく面白くない。直ぐにさぼるようになった。それをみて母も諦めたようだ。小生に楽器演奏の才能はない。
そんな小生が高校生になってからモーツアルトに興味を持ったのは天才というのはどんな楽曲を創ったのか聴いてみたいという単純な好奇心があったからだと思う。それに当時人気のある音楽評論家に宇野功芳という人がいたのだが、その人物が音楽雑誌でえらくモーツアルトをほめている。その影響もある。それで、母に頼んではピアノソナタやピアノ協奏曲のLP盤を近くのレコード店に注文してもらうようになった。学校生活に適応できずろくに部活にも参加しなかった小生は買ってもらうLPに耳を傾けるのが何よりのリフレッシュの手段になった。しかしLP盤は安い買い物ではない。その当時、1枚で大体2500円ないし3000円はしただろうか。アルバイトもしない小生のオネダリを母はよく何度も聞き入れてくれたと思う。あれで家計を圧迫することはなかったのだろうか、と。今さらながら自分の身勝手が情けなくなってしまう。
LPレコードの事情がそんな風であったので、モーツアルトと言ってもそれほど多くのLP盤を聴いたわけではない。自ずから経済的制約があった。好きだったピアノ協奏曲でも実際に手に入れて聴いたのは20番、21番、それから23番と27番。その位である。
YouTubeもAmazon Prime Musicもなかった。LPレコードを自分で買うことが出来ないなら、友人に借りるか、たまにある演奏会で聴くか、そうでなければ聴かずに諦めるか、選択肢はこれだけである。モーツアルトは日本に洋楽が紹介されてからあまり評価されては来なかったようである。日本では大正から昭和、戦前から戦後にかけてずっとバッハ、ベートーベン、ブラームスの”三大B”が本流であり続けた流れがあるのではないか。モーツアルトには「思想」がないと、思想好きの日本の知識人には考えられていたのかもしれない。母もモーツアルトはあまり聴いたことはなかったらしい。それでもモーツアルトの楽曲にはベートーベンやブラームスとは全く違った美しさがあると話していたから気に入ったのだろう。いつの間にか、小生の弟もモーツアルト好きになっていたのは、ずっと後になって知ったことである。
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今では高額のLP盤を多数購入する必要はない。
年に1回だけAmazon.comにPrime会費4900円を支払っておけば、すべてのプライムサービスを受けることが出来る。その中にプライムミュージックやプライムビデオがある ― 現在はMusic Unlimitedに進化しているが、小生はWalkman ZX2で動作する旧版のAmazon MusicがMusic Unlimitedには対応していないようなのでPrime Musicの利用を続けている。このプライムミュージックで小生はモーツアルトのピアノ協奏曲の全曲、ピアノソナタ全曲、交響曲全曲、ヴァイオリン協奏曲全曲、ヴァイオリンソナタ全曲、弦楽四重奏全曲、ディベルティメントとセレナード全曲をフリーでWalkmanにダウンロードした。奏者はバレンボイムやブレンデル、パールマン等々、誰もが知っている名盤である。ベートーベンのピアノソナタ全曲、ピアノ協奏曲全曲も一昨日無料で入手した。ブレンデルである。演奏するには楽器がいるが愛聴するだけならプライム会費を払うだけでよい。これも一つの文明進化、技術革新の現れであることは間違いない。
いまはモーツアルトのピアノ協奏曲全曲を聴き終わったところだ。それで分かったのは、多くの人がいう『モーツアルトのピアノ協奏曲を聴くなら先ずは20番以降である』という通説、お薦めがまったく正しくはないことだ。間違いだというつもりはないが、助言としては不適切だ。19番は26番『戴冠式』と同じ日に演奏された『第2戴冠式』である。その19番よりも小生は18番が好きである。というより17番は傑作である。14番はいま小生が愛してやまない曲の一つに加わった。15番も佳品だ。とりわけモーツアルトが21歳の年に創った9番『ジュノーム』は最高傑作の高さに達しており、と同時にミステリアスである。初期の習作を除いた実質上の第1作である5番が既に陰影のある魅力をもっている。
モーツアルトの楽曲の魅力は意表をつくような突然の転調と奇想天外の展開にある。哀傷の心をたった1音で表現するところがある。よく評論家はモーツアルトは天国的な晴朗さを感じさせるというが、小生にとってモーツアルトの音楽は極めて人間的で、煩悩にあふれている。煩悩に苦しむ人間の生の現実をそのまま音で表現している。だから理想は感じないし、思想も感じない。しかし、弱い人間の煩悩を感じさせるその人間臭さがモーツアルトの手によって表現されると実に美しいのである。そんな音楽は30分も聴けば休みたくなる。1時間も連続してモーツアルトを聴き続けると心が疲労する。
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ごく最近になって知ったピアノ協奏曲は世評では決して有名ではない。なのでずっと昔に聴くことはなかった。モーツアルトのヴァイオリンソナタも聴くことはなかった。しかし今は聴いている。ヴァイオリンソナタの35番が非常に感動的であることも最近になって知ったことだ。どれも母は知らなかった音楽である。以前なら人々は我慢をして諦めなければならなかった楽しみである。
科学の進歩、技術の進歩によって、出来ることが増えた。生活水準が上がった。
確かに社会は豊かになっている。これだけは間違いがない。たとえ実質GDPにこういう事実が数字として反映されていなくとも、だ。
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