2019年11月24日日曜日

覚え書: ローマ教皇と「平和な世界」について

ローマ教皇・フランシスコが教皇としては38年ぶりに来日し、広島、長崎を訪問する、天皇陛下、首相とも会見するというので、マスメディアもやはり注目している。

教皇が発言している言葉を報道で聴くと、特に「戦争」の災禍をどうにかして避ける手立てを考えなければならない、と。それと関連して、原爆投下直後に死亡した弟をおんぶして火葬の順番を待っている少年の写真。これに感銘を受けたということでもある。

確かに、現代社会において宗教指導者(の多く)は平和の使徒としての役割を果たしているように見える。また、そう期待されてもいる。


とはいえ、ヨーロッパにキリスト教世界が形成された紀元1千年以降をみても、ローマ教皇の督励の下で十字軍が東方に向かって発進した。宗教的理念に反する自然科学は抑圧された。ガリレオ・ガリレイは抑圧下で天寿を全うできたが、ジョルダノ・ブルノは宗教指導者の意に従わなかったゆえに火刑に処せられた。その果てには、宗教戦争が頻発してドイツ30年戦争まで引き起こしてしまった。スペインでは「魔女狩り」が横行した。すべてキリスト教を信仰する動機から発した行動である。

宗教が戦争を主導した例は枚挙にいとまがないのである。この事実自体は、それはそうだろうと多くの人は思うだろうが、やはり逆説的であり奇妙なことだと小生は考える。日本国内をみても、中世を通して宗教組織は戦争をおこないうる一つの権力であった。

ヨーロッパの世俗化、つまりキリスト教からの解放と世俗的利益の追求、商工業への専念は人々の相互理解、平和な世界の構築に有益であるという認識が広まったが、そうなるべき時代背景があったわけだ。

ところが、経済発展の果てに植民地獲得競争、帝国主義の時代がやがてやってくる。複数の「国家」が経済的利権を争って「戦争」になるケースが増えた。植民地をめぐり英仏の対立が激化したり、英独の対立がやがて第一次世界大戦につながっていったのは好例だ。


本来、キリスト教は『汝の敵を愛せよ』という博愛主義に立っている。経済的な利益は誰もが理解できることであり、豊かな生活を戦争によって破壊するという行為をするはずがないというのは確かに合理的な見方である。

しかし、宗教によっても、経済的動機付けによっても、人間は戦争を繰り返してきた。

これが世界の現実である。

愛を重視する宗教によっても、利益機会を約束する平和な世界の魅力をもってしても、戦争をして世界を破壊しようとする人間性を抑えることはできなかった。これが歴史によって証明されている事実ではないか。


ひょっとして一つの成功例になるのは、豊臣政権から徳川政権への交代を区切りとして日本国内で長く続いた「戦争の時代」が終わったことだ。大阪の陣は文字通りの「最後の戦争」となったわけだ ― 鎖国の停止と開国をきっかけに「国内平和のシステム」が崩れ、歴史的因縁から再び内戦を招いてしまったのではあるが。

その「徳川の平和」がなぜ250年も続くことが出来たのか。いま「世界平和」を考えるなら最も参考になるケーススタディになりうるのじゃあないかと小生は思う。

少なくとも、徳川政権は博愛をとく宗教指導者ではなかったし、また経済的利益や経済発展を広く庶民たち(≒国民)に約束したわけでもなかった。それでも日本人は戦争によって問題を解決する冒険をあえて選ばなくなった。

そのカギは何だろう?

平和を願う宗教の広まりでも、儲けを自由に追求できる世の中がやって来たからでもなかった、という理屈になる。

その当時、日本人は『もう戦争はイヤだ』という気持ちになっていたからなのか……。いま生きている小生には分からない。

「平和」を唱える人が即ち平和な世界を構築できる人、実際に構築する人ではないのだ。「…ではない」とすれば、平和を唱えているわけではない人が平和な世界を構築することを希望するとしても一理あるだろう。

これを「平和のパラドックス」とひそかに(かつ勝手に)名前をつくっているのだ。




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