2024年12月8日日曜日

断想: 良寛の感覚と現代日本のハラスメントの感覚は衝突する?

何回か前の投稿で良寛禅師を話題にしたことがあるが、良寛と言えば漢詩人、歌人としても人をひきつけるものがある。特に下の作品は胸をうつ:

• この宮の 森の木(こ)したに 子供等と 遊ぶ夕日は 暮れずともよし

• いにしへを 思へば夢か うつつかも 夜はしぐれの 雨を聞きつつ

• 世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる

それだけではなく、書簡類にも中々の名句があって、中でも

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

死ぬる時節には死ぬがよく候

は、比較的よく知られているかもしれない。

現代風にいえば

災害で被災する時は被災するのがよい

死ぬときが来れば死ぬがよろしかろう

こういう趣旨になるから、戦後より前の伝統的日本でならまだしも、同じことを現代日本で口にしたり、文章に書いたりすれば、いくら親しくとも、その人は一発でレッドカード、「酷い人」として認定されるのは確実だろう。そのくらい、戦後日本では

何より大切なのは人の命。とにかく死なない、死なせない。 

これが最優先の目標である。これを大前提に、防災は完璧に、人には寄り添うように、誰も死なないように。

まあ、そんな感覚で(表向きは)社会は動いている、というか指示されている(?) 。それを『死ぬる時節には死ぬがよく候』だから、世間の反応は容易に想像がつくというものだ。

しかし、良寛という人は、このような手紙を地震で子を亡くした友人に出している。そして、この言葉が名句となって、今は色紙になって販売もされている ― 例えばここ

この「名句」について述べた記事がネットにはある。

良寛さんのこの言葉、災難や死は人の力ではどうすることもできないだけでなく、どんな事があってもそれをスタートとして頑張っていけよという、戒めもあるのではないでしょうか。

良寛という人は、ただ、子供好きで優しいだけの人物ではなかった。人が生きるというのは何故かという問題に、自分なりの考えに到達していたので、自分にも、他人にも、嘘で包むことなく、誠実な心で友人に手紙を出して思いを伝えられたのだろう(と憶測している)。自らが友人と同じ境遇にあれば、同じ言葉を読みたかった、という意味では上の手紙は至誠に裏打ちされている。

嘘をつかない。友人に対して偽善の言動をするのは最も不誠実である。とすれば、自分にも、他人にも、同じ境遇に対して、同じ言葉をかけるのが「善」というものだろう。

会者定離

必得往生

会えば必ず別れ離れる

必ず往生を得む

ま、こういうことだと思う ― 戦後日本のマナー感覚とは距離があるような気がするが。

良寛という人、知性や感性とはまた違う(後から生まれた人を引き合いに出すのもおかしいが)鈴木大拙のいう「霊性」が豊かであったのだろう。

【加筆修正:2024-12-09】




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