何回か前の投稿で良寛禅師を話題にしたことがあるが、良寛と言えば漢詩人、歌人としても人をひきつけるものがある。特に下の作品は胸をうつ:
• この宮の 森の木(こ)したに 子供等と 遊ぶ夕日は 暮れずともよし
• いにしへを 思へば夢か うつつかも 夜はしぐれの 雨を聞きつつ
• 世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬる時節には死ぬがよく候
は、比較的よく知られているかもしれない。
現代風にいえば
災害で被災する時は被災するのがよい
死ぬときが来れば死ぬがよろしかろう
こういう趣旨になるから、戦後より前の伝統的日本でならまだしも、同じことを現代日本で口にしたり、文章に書いたりすれば、いくら親しくとも、その人は一発でレッドカード、「酷い人」として認定されるのは確実だろう。そのくらい、戦後日本では
何より大切なのは人の命。とにかく死なない、死なせない。
これが最優先の目標である。これを大前提に、防災は完璧に、人には寄り添うように、誰も死なないように。
まあ、そんな感覚で(表向きは)社会は動いている、というか指示されている(?) 。それを『死ぬる時節には死ぬがよく候』だから、世間の反応は容易に想像がつくというものだ。
しかし、良寛という人は、このような手紙を地震で子を亡くした友人に出している。そして、この言葉が名句となって、今は色紙になって販売もされている ― 例えばここ。
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この「名句」について述べた記事がネットにはある。
良寛さんのこの言葉、災難や死は人の力ではどうすることもできないだけでなく、どんな事があってもそれをスタートとして頑張っていけよという、戒めもあるのではないでしょうか。
良寛という人は、ただ、子供好きで優しいだけの人物ではなかった。人が生きるというのは何故かという問題に、自分なりの考えに到達していたので、自分にも、他人にも、嘘で包むことなく、誠実な心で友人に手紙を出して思いを伝えられたのだろう(と憶測している)。自らが友人と同じ境遇にあれば、同じ言葉を読みたかった、という意味では上の手紙は至誠に裏打ちされている。
嘘をつかない。友人に対して偽善の言動をするのは最も不誠実である。とすれば、自分にも、他人にも、同じ境遇に対して、同じ言葉をかけるのが「善」というものだろう。
会者定離
必得往生
会えば必ず別れ離れる
必ず往生を得む
ま、こういうことだと思う ― 戦後日本のマナー感覚とは距離があるような気がするが。
良寛という人、知性や感性とはまた違う(後から生まれた人を引き合いに出すのもおかしいが)鈴木大拙のいう「霊性」が豊かであったのだろう。
【加筆修正:2024-12-09】
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