地域によって日程の違いはあるが近くの寺で十夜法要があったので行ってきた。
今日は法話から出席したが、若い人であるにもかかわらず、中々イイ話をしていた。慣れるに従って、どんどん上手になって行くだろう。
聖徳太子の
我、必ずしも善ならず、彼、必ずしも悪ならず。我、彼、凡夫にほかならず。
この名句を引いて浄土思想の人間観から入っていた。一つの社会観になっている。
テーマは《凡夫》である。凡夫が、安心して死ぬためにはどうすればよいか、である。
なにもプラトンや三島由紀夫を引き合いに出すまでもない。人間が常に直面している課題は「いかにして死ぬか」だろう。いわば「死の練習」は誰もがしなければならない課題である。こればかりは、武士がいた昔から兵役の義務のあった明治・大正・昭和、そして今は義務と言えば「税金」くらいしか思いつかない現代日本に至っても、逃れようのない普遍的な課題である。
ちなみに気になって調べると、上の名句のオリジナルは
我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。
という字句である様だ。
URL: https://gakuen.koka.ac.jp/archives/775
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凡夫と煩悩は表裏一体の関係にある。凡夫は、煩悩にまみれ、煩悩に負ける弱い人間である。欲が深く、詰まらないことで直ぐに我をわすれて怒り、道理はそっちのけで迷ってばかりいる。文字通りのダメな人間である。己をよく見つめれば、大半の人はダメな人間じゃないですか、という人間観、社会観である。
煩悩という言葉の意味するのは、究極的には
綺麗ごとでは終わらない
という認識をもつべきだ、ということだろう(と勝手に理解している)。
会者定離を悟っていた身であるにもかかわらず、病身の良寛を見舞った貞心尼をみると
いついつと 待ちにし人は 来たりけり 今は 相見て 何か思はむ
と詠うのも独りの凡夫であるからだろう。
そんな話の流れで良寛禅師が今わの際で
裏をみせ 表をみせて ちる紅葉
と発したこの言葉でまとめたのは、話しの終わり方として上手だと思った。
Reference:https://ryoukan-w.info/
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最近、投稿することが増えてきたが、浄土系の宗教思想は個人の救済にあるが、少し調べれば、そこに《国家》という概念がないことに思い至る。つまり統治者側からみる「国家の安寧秩序」という概念が(ほとんど)窺われないのだ、な。
それもそのはずの理屈で、浄土思想では現世を濁世と観る。なので徳川家康の旗印にもなっていた
厭離穢土、欣求浄土
が基本思想なのである。
他方、日本に最初に入って来た奈良仏教は「ぶつりがく」は「ぶつりがく」でも物理学ではなく仏理学の色彩が強い。その教理を基盤に聖武天皇が建てたのが東大寺という官立寺院であった。京都に遷都されてからは天台、真言の平安仏教が主となった。これらもまた「国家鎮護」を役割の一つとしていた。東大寺だけではなく、奈良時代の国分寺、平安時代初めに空海が拝領した教王護国寺(=東寺)は統治機構の一環を為していたわけだ。統治する側にとっては、この世において解脱をして、悟りの境地に達して、仏となる、というか「なれる」ことが最も重要だった。故に、密教が標榜する「即身成仏」は、統治の哲学でもあったわけだ。
つまり奈良仏教、平安仏教には、国家を支える要素が含まれていた。この世界を清浄化できる、そんな境地にまで修行によって到達できるという志である。安倍晋三元首相の『美しい国・日本』という言葉は、極めて平安仏教的な志である。
これに対して、浄土系仏教は
凡夫は現世で仏にはなれない。煩悩に勝てず厳しい修行を全うできないからだ。ただ、それでも阿弥陀仏の国に往くことは出来る。浄土三部経という根本経典にそう明記してある。即ち「弥陀の本願」である。たとえ大罪を犯した悪人であっても、本願を信じて一念、十念でも念仏すれば、そこに往生できる。そして阿弥陀如来の国、つまり「極楽」において「不退転」の位を得て、仏になるべく修行を続けることが可能になる。そうすれば、再び現世に「菩薩」として降り来たって、人々を迷いから救い、正覚を得て仏に達し、永劫輪廻の労苦から解放される。そう約束されている・・・
とまあ、こんな宇宙観を示すわけだ。
つまり、この世はもはや救い難いと観ている。だから弱い個人を救う。この意味では、法然上人の浄土宗は旧教に対する新教であり、文字通り、(日本流の?)「宗教改革」だったと言える(と、今のところ理解しています)。
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こうしてみると、前期・鎌倉仏教の中心人物であった法然(そして親鸞など)は、相当のラディカル左派だったと言える。法然上人の晩年から死後にかけて、主流派側から激しい弾圧が加えられたのは、ヨーロッパの宗教改革以後の混乱と共通している。
さしづめ後期・鎌倉仏教に位置づけられる日蓮は、個人救済はあっても国家が脱落した浄土思想に対する保守反動であったのかもしれない。日蓮の『立正安国論』は余りに増え過ぎた浄土系信徒への反撃であったのかもしれない。西洋で言えば、宗教改革後に生まれたカトリック系の過激派・イエズス会にも相応するようなポジションに似た位置を志したのかもしれない。昭和初年の陸軍部内、民間言論界に日蓮宗を信仰する人物が多く現れたのも、ムベなるかな、である。
ま、現時点の小生の理解である。
鎌倉仏教で無視できない禅宗のことはよく知らない。
この辺を整理するには、もう少し勉強が必要だ。また改めて。今日は後で役だつよう思いついたことをメモする次第。
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