2025年4月24日木曜日

一言メモ: 「高額療養費制度見直し」は保険原則からみると逆だと思うが

年間収入にもよるが一定の限度額を超える医療費は、公的医療保険で全額負担するという現行の《高額療養費制度》は、非常に多くの患者家族の生計を支える基礎になっている。

だからこそ、高額療養費制度の上限額を引き上げるという政府案は、世間で大きな騒動になったわけだ。

ネットにもこんな記事がある:

政府は保険料抑制のため、高額療養費制度の見直しなどを打ち出していましたが、物価高の影響もあり改革は凍結中です。歳出改革による圧縮も計画されていますが、実行が遅れればさらなる負担増は避けられません。制度の持続性と公正な負担のあり方について、一刻も早い見直しと具体策の実行が求められています。

Source: アゴラ AGORA 言論プラットフォーム

Date: 2025.04.24 06:15

URL: https://agora-web.jp/archives/250423202921.html

何だか、公的医療保険の「高額療養費制度」の見直しは不可欠である、と。こんな世論が形成されるような雰囲気なのだ。

実は、小生、個人的にだが、公的医療保険には前々から不思議に思っている点がある。それは

一定限度以内なら患者が3割負担(=保険は7割)。限度を超える高額医療なら保険が10割負担。

高齢者は本人負担が2割あるいは1割だが、高額療養費制度とは、要するにこういうことだ。

今まで当然と思っていたが、《保険》という原理から考えると、おかしな事をやっているナアと、(実は)思うようになった。

このような運営なら、高額医療認定の上限を引き上げると

高額医療の認定が減る

当たり前の理屈だ。

しかし、そもそも《保険》というのは、一定以上のリスクが現実に発生した場合に保険金が支払われるものだ。これが原理・原則で、だからこそリスクをカバーできる。そのリスクカバ―として保険料を払っている。

実際、自動車保険の車両保険では、一定金額までは修理費の全額が自己負担になっていることが多いので、「保険」というサービスは誰でも体感として理解できていると思う。

最も真剣かつ深刻に保険金でカバーしたい状態になったその時、保険金の支払い要件が厳しくなるというのは、保険サービスの低下に等しい。

先の政府案で(理由は憶測できるものの)鼻白む箇所は、高額医療上限額を引き上げるということだけで、その他の保険金支払(=医療費の保険負担率)については(どうやら)変更なしとしていた点である。

保険原理に忠実に従うなら、

医療費が一定金額を超えるまでは自己負担。医療費が一定金額を超えるときは、保険を申請して(自動的に、でもよい)医療費が保険で支払われる。

非常に素朴に保険原理に従うなら、こうでなければならないと思うのだ、な。

要するに、

軽症の治療なら全額を自己負担。重症かつ高額の治療なら保険を申請

こういうことで、これなら医療保険も自動車保険ほか様々な保険と同じ運営になる。

ところが公的医療保険の場合、たとえ軽症だろうと、そもそも医師の治療が不要な疾患であっても、病院に行けば(ほぼ)全ての医療で保険が適用されて保険金がおりる ― 7割支給ではあるが。結構な割合だ。保険にしては大盤振る舞いだと思うがいかに?

まるで、一寸した傷の修理であっても、車両保険がおりるようなものだ。

これでは車両保険が赤字になり、結果として、自動車保険料が引き上げられる原因になる。


そもそも《医療サービス》は、社会政策が普及した近代国家以前の時代においては、典型的な「贅沢品」であった。現代世界でも高コストを要する高額サービスである事情は変わらない。贅沢品であるサービスの消費機会を全国民に平等に提供するという理念は、確かに理想だが、ほかに例えるなら、一流レストランで美味なる料理を楽しむためのクーポンを、毎年一定枚数、全国民に配布する政策に似た側面がある。巨額の財源が要る。格差感覚は緩和されるかもしれないが、どこか馬鹿々々しさを感じる(はずだ)。

政府の施策の理念は誰もが贅沢できるという事ではない。そんなことは不可能である。

民間の保険ビジネスではなく、《公的医療保険》が達成するべき目的は何かと問われれば、(比較的若い年齢で)治療困難な病気・障害に見舞われ、勤労困難となるために家計が崩塊するというリスクをカバーすることであろう。確かに、国家の労働資源が毀損するリスクは公的にカバーする理由になりうる。

国民の誰もが同じサービスを消費できるようにするという目的は、語句の定義から考えれば「社会主義」に該当する。社会主義を選ぶなら、それに応じた税制・法制が必要で、基礎産業を国営としたり、ある種の必需財は専売制にするなどして、十分な歳入を確保することも必要になろう。しかし、いま日本人は社会主義を希望しているとは思えない。

 

国家が国民のためにカバーするべきリスクとはどんなリスクであるのか?

この問いかけをよく考えて、存立可能な医療保険に改編することが必要だと思うのだ、な。

保険収支を改善したいなら、まずは年齢によらず、本人の負担割合は一律に3割とする。次に、例えば年間5万円とか、一定金額までは医療費本人負担を10割とする。

この辺から始めてはいかがか?検討課題にすら挙がらないのは、こう考える人は、少ないのかな?


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