囲碁がらみのひょんな縁から福田悌夫『棋道漫歩』を「日本の古本屋」で買って読み始めたところだ。囲碁がらみとは言え、本書は「漫歩」という名のとおり、広いテーマにわたった随筆集である。
著者はプロの作家ではない。Wikipediaでも紹介されているような地方の素封家、農場主として人生を歩みながら、太平洋戦争直前期に衆議院議員であったせいだろうか、敗戦後には公職追放処分のうきめに遭った人である。多分、戦後の農地解放で甚大な損失を蒙った社会階層、すなわち「斜陽族」に属していた。
生年は明治28年(1895年)だから小生の祖父ともそれほど年齢が離れていない。祖父もそうだったが、大正デモクラシーの空気を吸いながら思春期、青春期を過ごしたからか、その世代に属する人は昔の人とは思えないほどリベラルな社会観をもっていた。確かに戦前という時代を想像させるエリート意識は、小生にもヒシヒシと伝わってきたものだが、当時は大学・専門学校といった高等教育機関への進学率が5%ほど、大学になれば1%位で、100人のうち1人が大学までいくかという時代だった。まして本書の筆者のように東京帝国大学法学部を出ていれば、その稀少価値はいま芸能界にも利用されている現代日本の東京大学の比ではない。
最初の章の題名は『人間のレッテル』である。何だか戦前期文人のエートス(≒気風)がにじみ出ている様だが、読んでみると確かにリベラルである。
著者本人は自らを「ディレッタント(≒好事家、趣味人、物好き)」だとしている。つまり特定のスキルで稼ぐプロフェッショナルではない。地主として農業経営に従事してはいたが、法学部を出たのであれば、土壌成分や作物、品種などの専門知識はなかったろう。農業については、現場に通じた農夫ではなく、あくまでもアマチュアで、それでも現場の専門家を超絶した地方の名士として尊敬もされ、何か地方単位で政治勢力がまとまれば指導者にも推される。縁があって衆議院議員にもなった。そんな人物によるエッセーである。
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ただ第1章から傍線を引きたくなった個所もあるわけで以下に引用して覚書としたい。
どれもみな素人の限界近くまでは達したが、結局玄人の埒内には踏み込めなかった。これは主として私がディレッタントであるせいだと思っている。あるいは下手の横好きと云っていいかも知れない。私は「下手の横好き」を高く評価する。
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由来、玄人は過去の固陋な世界に執着して、正しい革新を阻む宿命をもっているものだ。未知の世界への推進力となる者は多くは素人であり、玄人の縄張り根性が進歩の敵となる場合が多い。
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大戦当時、東条大将は首相となっても現役を去らず、従って陸軍大将の軍服のままで議会へも出席した。演壇から居丈高になって議場を睥睨する総理大臣の軍服姿に、当時議席にいた筆者は早くからまざまざと敗戦の兆しを感じた。
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再軍備が行われる時が来たとしても、極めて明瞭なことは、少なくとも総理大臣と軍部大臣だけは、断じて厳格な意味の文民大臣でなくてはならない、と云うことだ。
ロシア=ウクライナ戦争が勃発してから、遠い異国の日本でもTV画面には自衛隊関係者や外交専門家が連日のように登場しては、色々なことを語っていた。
いまも時々あんな調子でやっている。すべて反ロシア的だ。反ロシアという点では、EU(のごく一部?)が急先鋒、米国のトランプ政権が立場をロシア寄りに変更中、日本はいつの間にかト政権より反ロシア的な位置にいる。日本が親ウクライナを選ぶ何か具体的理由があるのだろうか?
日本の反ロシアが露中関係に間接効果を及ぼし日中関係の悪化につながりやすい。アメリカは新政権になって早々に立場を変更した。日本だけは義理を守って、実利を捨てる作戦のようだ。損得を重視し機会主義的に行動してきた日本が妙に頑なだ。不思議である。
いずれにせよ、メディア報道が反ロシアで一貫しているのは
素人の意見はダメ。専門家の意見を聴かないとダメ。
というか、そんな盲目的な信頼が土台にあるのだろうが、上に引用した本の筆者は、筆者一人というより戦地に駆り出されて膨大な犠牲を払ったあと戦後に生き残った同世代全体を代表したいという気分も混じっていたのか
あるスキル、特定の知識でメシを食っている「専門家」は「素人」である主人を必ずだます
そう言いたい様である。
要するに、戦争の専門家である軍人組織が素人である文民や国民を、更には素人である天皇陛下という主人をも下にみて、独善と隠ぺいと保身に陥った末に未曽有の大敗北を喫した。実に傲慢で無能。この一点が核心であると言いたいのであれば、小生も大賛成だ。
本書が出版されたのは昭和36年で著者の福田氏は昭和41年に70歳で亡くなっている。最晩年を迎えた時期に記憶をたどりながら書き綴ったのがこの随筆集なのだろう。その最初に、上のようなことを述べたのは、その年齢に至っても「これだけは言いたい」という事だったのかもしれない。
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それにしても、不思議に思うのは、大正デモクラシーという極めてリベラルな社会哲学、政治思想を身に着けた世代が社会の中核となった時、なぜもろくも陸海軍上層部の軍国主義にのまれてしまったのか?
自由を圧殺するような国家総動員体制をなぜ日本は選択しえたのか?それほどまでの知恵者が軍部にはいたのか?いたのであれば、なぜ必敗の開戦をするような愚を演じたのか?
まあ多分
普通選挙の導入で民主主義が拡大したタイミングで、知的劣位にあってただ楽しい生活を求める、無思想・無理念の大衆に「清潔な」軍部がアピールして、高学歴の文民・知的エリートから政治的ヘゲモニーを奪取した ― 最後にはこのこと自体が日本の「軍事政権」を束縛する状態になってしまったとみているが。
そんな風に要約されるだろうが、しかし直線的に成功したわけではないし、大衆もそれほど阿呆ではなかったはずだ。にもかかわらず、日本の大衆は我とわが身を縛って国に捧げ莫大な犠牲を甘んじて受けた。目が覚めたのは昭和20年8月15日だ。
これまで好著は何作も出版されてきたが、まだ納得可能な答えは出ていないように思う。
【加筆修正:2025-11-29、11-30】
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