発表会場階下にあるK書店にお洒落なカフェがあり、昼休みにはそこでサンドイッチ+カフェオレを摂るのを習慣にしている。今年度は2週続けて珍しく同僚と一緒にランチをとった。
小生: ぼくは、国家直営の保険とか、医療とか、年金とか、国が国民の人生を保障するとか、そういう理念はもう放棄するほうがいいと思うんですよ。
同僚: じゃあ、非正規で雇い止めになって生活できなくなった人はどうすればいいんですか?
小生: そりゃあ、悲惨な状況です。では聞きたいのですが、その人が何の貯金もなく、相談する人も作っておらず、そもそも食っていくための何の技も身につけることができなかったのは、その人の責任なのでしょうか?それとも日本人全体が負うべき責任なのでしょうか?
同僚: それはその人の責任です。置かれている環境に応じて、必要なら10代半ばで職業について、手に技をつけようとすれば、日本でもそういう努力はできるわけですから。
小生: 国が保障しますと明言するから、じゃあ国が面倒をみてくださいとなるわけですよ。そんな理念は、太平洋戦争の前にはなかったんですよ。というか、歴史を通してなかったんですよ、国家に食わせてもらうという思想は。
同僚: でも先生の考え方は、極端に過ぎると思いますよ。
小生: うん、実はね、アメリカの共和党のTea Party(茶会)に本音では共感しているんですよ。弱者をいたわるあらゆる博愛的行為を、いまは国が独占していますよね。富裕層が、巨額の金を投じて、慈善行為をしようとすると、国は『さてこそ、脱税でカネをためたか、調査しろ』と言わんばかりでしょ。そんなことは個人じゃなく、国にまかせなさいと、すぐに言うわけですよ。昔は、成功した地主、農家、商人が橋をつくったんですよ、トンネルをつくり、道を作ったんです。その橋には、作った人の名がつけられていて、感謝の気持ちを伝えています。僕はね、国家が国民のありかたを決めるとき、組織が個人のありかたを決めるとき、個人の意志より全体の決定が優先される社会では、モラルは消えるという結論に至ったんですよ。だってそうでしょう。自分の自由意志で自分の行動を決められるときに、はじめてその人を束縛する道徳やモラル、倫理を問えるのですから。それを、国が、社会がと先に話すなら、既に自発的な意思に基づくモラルは崩壊していると思うんです。みんなで決めたことを守っていこう、だからみんなは僕の面倒をみてという生き方から、道徳を守ろう、モラルを守ろう、悪よりは善をとろうという厳しい責任感が出てきますか?無理ですよ。『おのれ信じて直ければ敵百万人ありとても我ゆかん』、こんな生き方を選べますか?不可能でしょう。『みんなで渡ればこわくない』、これが福祉国家の最大の問題だと思うんです。
同僚: 自由がある場合に限って、モラルを厳しく問えるというのは、それは分かりますけど・・・。
小生: 指導者や、上司、社会や組織が命令して、上意下達の原則が貫徹される場合、社員のモラルを問うても意味がないわけです。善なる行為と悪なる行為を区別し、善を選ぶ自由がないわけですから。主に従うというのが武士道ですよね。武士道あって帝王に徳なし。これでは困る。国家が国民を指導する社会では、指導者の徳が何より大事になるわけで、国民にはモラルはない。モラルじゃなくて、臣下・部下の踏むべき道があるだけです。国民は自分の幸福の実現を国家にまかせるのだから、幸福追求の自由もない。その国民の幸福を、自らの幸福と理解して、指導者の地位にとどまるというのが帝王学なんでしょうが、そんな人間は出現しない。それは天性のもので教育でつくることも難しい。それを人類は学んだのではないですか?
同僚: だからTea Partyだと。
小生: 過激に言うとね、Analco-Libertarian(無政府的自由主義)になるんだけど、共感は大いに感じるわけ。ロスバードは、戦争は国家の殺人、課税は国家の略奪と言っているんですよ。ま、僕だって、治安や司法、国防は国の職務であると思います。だけど、国は国民を道具だと考えたがるんですよ。自由にしたら何をしてもいいということになる。よくそういいますよね。正反対ですよ。何をしてもいいから、当事者の道義的責任を厳しく問えるわけです。求めて悪を為す人間は少数です。権力が規制すれば、規制される方は「そうするしかなかった」と言うでしょうが、本当にそうするしかなかったのなら、その行為に責任はありません。国家が守るべきモラルはあるのですか?国家の道義的責任は何者が問うのですか?国家が国民に利益をほどこすから、自分も得たいと思って、抜け道を探す誘因を感じるのです。
いやあ、こんな話を、延々と小一時間、していたわけだから、座っていたテーブルにサンドイッチを持ってきてくれた店の人は吃驚したのではないかなあ・・・「あの人たち、何者なんだろうね」という風に。
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虹を描いた絵画作品は、ネット上で検索してみると ― ほんと、便利な世の中になったものだ、以前にはこんな作業は絶対的に無理だった ― ある、ある。日本の歌川広重も描いてくれていた。
歌川広重、高輪うしまち、安政4年(1857年)
雪を描いた作品は洋の東西を問わず多い。虹もまた雪景色とおなじほど美しいものである。感動を与えるものだ。多く残っているのは自然なことだと思う。
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