- 日本の「幕末」は、幕府はなるほど無事と保身が第一の旧態依然とした組織だったろうが、地方には革新的な雄藩があり、脱藩浪士や勤王志士、志しある富裕な商人が民間に多数いた。そんな新生への息吹というか、雰囲気が「朝鮮末」という社会からは窺えないのだな。
- 韓国人が制作してそうなのだから、社会背景は本当にあのような社会だったのかもしれない。だとすると、幕末日本を舞台とする”Jin”という物語を朝鮮末という社会にはめ込むこと自体が、無理ではなかったか。
- 中央集権的王朝政治が堕落すると酷いものだ。まだ地方分権的封建社会がよい。大体、リメークと言っても登場して来る人物はみな「官僚」とか「王族」ではないか。官に身を置かなければ、どうにもならない社会が即ち「旧体制」だろう。まったく救いようがなかったのだなあ、と。
- 官職売買は腐敗した王朝国家では普遍的にある。日本にも御家人株があった。しかし、サムライは金銭とは縁がなかった。サムライは(それが正しいかどうかは別として)金銭を蔑視することが武士道にかなうと信じていた。もし官職を買った人間が「貴族」に成り上がって、民間の冨を公式に搾取できる立場に立てるとすれば、その国家は財政破綻とともに死に至るだろう。
- どうも”Dr.Jin”というドラマをみていると、日本という「侵略国家」が旧・朝鮮社会を破壊しつくしたことの効果を考えざるをえないのだな。旧社会を破壊し、否定することが民族精神と国の再生(Reborn)には必要である。日本もそうであった。それを行う自発的エネルギーが枯れ果てていたのではないか。国家総動員体制以後の軍国日本も「中央集権国家の堕落」という罠に落ちたが、自己革新へのモメンタムを社会のどこかで保持する仕組みが最も大事である。朝鮮末という時代がドラマの描く世界と似ていたのであれば、これは救いようがなく、外国の支配を免れる力は既に残っていなかった。そう考えざるを得ないだろう。
ま、これ以上のことは最近読んだ『戦争の日本近現代史』(加藤陽子)に、なぜ日本は朝鮮併合への道を歩まざるを得なかったかについて、(日本側から見て適切と思われる)議論が展開されている。たかがフィクションであるが、Dr.Jinを観てこの著作を思い出した次第だ。
日本は幕末・安政5(1858)年にアメリカと日米修好通商条約を締結し、翌年の安政6年に横浜を開港した。下は幕末日本を舞台にした”Jin”の世界を切った一断面である。
神奈川横浜新開港図、歌川貞秀、万延元年(1860年)
(出所)横浜開港資料館
日米修好通商条約は、その後、日清戦争後の不平等条約解消に伴って「陸奥条約」、「小村条約」に改変され、昭和14(1939)年に日本の中国進出を牽制するためアメリカが破棄するまで存続した。再び、日米友好通商航海条約が結ばれるのは昭和28(1953)年を待たねばならない。
そんな進展の末にオバマ大統領訪日前に、もう一度、日米TPP交渉をしようという現状がある。
そんな進展の末にオバマ大統領訪日前に、もう一度、日米TPP交渉をしようという現状がある。