最近、枕元に並んでいる書籍は、小生の読書歴を振り返るとややリバイバル調で、岡本綺堂の『半七捕物帳』、チェスタートンのブラウン神父もの、そしてつい先日に岩波文庫から出版された『自選 谷川俊太郎詩集』である。
チェスタートンは一冊目の「童心」と次作品の「知恵」を置いてあり、半七のほうは光文社時代小説文庫の第一巻がある。
半七は、青空文庫にも岡本綺堂の作品が多数収録されているので、買わなくともよいと言えば買う必要はないのだが、気に入った個所にもう一度直ぐに戻りたい時など、やっぱり本当の本に勝るものはないわけで、そこはどれほど進んでもKindleでは読書の体感という点で相手にならない。
それにしても、チェスタートンの叙述は中村保男の訳本で読んでいるのだが、蕭条とした風景描写がいかにも英国風であって、若いころにはピンと来なかった味わいがわかるようになった。その味わいが岡本綺堂の作品からも共通して感じられるのが非常に面白いと思う。半七シリーズは、幕府御家人の長男に生まれた綺堂が大正6年から昭和11年まで大体20年にわたって書き続けたものだが、江戸に生きて明治に日をおくっている老人の心境や、かつて旗本であった親族を思う語り手、町人の言葉遣いなど、すべてにリアリティの裏付けがある。
大学時代には、ヴァンダインやクロフツ、高木彬光や鮎川哲也、横溝正史を乱読し、仕事を始めてからはルカレやヴィリエがお気に入りとなり、池波正太郎の『鬼平犯科帳』に没頭したりした。その後はホームズに戻ったり、東野圭吾を見つけたりしていたが、『剣客商売』を読みつくしたあとは、ミステリー探しに飽きた状態になった。
どうやら元の好みに戻っているようだ。
チェスタートンの「童心」の奥付きをみると1991年9月20日15版とある。「知恵」は1983年8月12日3版になっている。
順番が逆になっている・・・。確か、発表順に買ったはずなのだが。いまある「童心」は捨てた後に買いなおしたものなのか・・・?
1991年9月というと母が亡くなって翌年のことだ。何か思うことがあってブラウン神父の一冊目を買い直したのかもしれない。が、当時はまだ波長が合わなかったようで、そのまま打っちゃっておいたのだな。
20年以上も放置しておいた本を偶々手に取って再び読んでみると、「実にいい」と感じる。こういうつきあい方は、電子書籍ではちょっと出来ないのじゃあないか。
本には本の良いところがある。
追伸:
谷川俊太郎の作品。学生時代には文庫本の三好達治をいつも鞄にいれていた。その三好の作品とよく似ているので、数年前、集英社文庫の『詩選集』全三巻を買った。が、文庫にするならやはり一冊にまとめてあるのが便利だ。
それにしても「20億光年の孤独」の中の「ネロ‐愛された小さな犬に」と、三好達治の「測量船」にある「Memoire」から「アヴェ・マリア」まで(岩波文庫版による)の感性はよく似ている。
二人はどうも師弟関係にあったことを巻末の解説で知った。
いま文庫本の三好達治詩集にはさんである栞は「秋日口占」にある。
ふたつなきいのちをかくて
愚かにもうしなひつるよ
秋の日の高きにたちて
こしかたをおもへばかなし
案外若いころである。本当に歳をとってから思うことは上とは少し違うだろうと思うようになった。
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