村上の宿はお薦めの汐美荘にした。確かに接客サービス、館内の清潔度、料理の味と量どれをとっても秀の評価に値する。
佐渡島は、思ったよりずっと島影が小さい。郷里の四国・松山の正面に見える興居島は佐渡島よりずっと小さな島だが、一軒一軒の家まで見えるかと思うほど近くにあるので、港に立つと視野全体の何割かを島が占めるほどに大きい。それに比べると、佐渡島はずっと遠くにあり、写真にそのまま撮ると写ったのか映らなかったのか分からない。
芭蕉の名句
荒海や 佐渡によこたふ 天の河
本当に佐渡の島影が眺められたのか疑わしくなった。(見えないが)佐渡があるはずの西の空には天の川が銀漢下り落つるようにかかっている、そういう叙景の句ではないかと今は想像する。
汐美荘は夕映えの美しさを謳っている宿である。しかし、季節は夏至の近く、日没を待っていてもなかなか日は沈まず、夕食の時間が近づいてくる。食事前には温泉入りたいので、この位でいいかと撮影したのが、下である。
温泉に浸かっているうちに更に荘厳の度合いを増したのが残念だった。
村上市は新潟県最北端にある町である。新潟市に戻る列車をまっていると向かいのホームには酒田行きが停まっている。
ちょっとした旅情を感じる。『鶴岡、酒田は行きたいところなんだよね。昔の庄内藩でね、やっぱり戊辰戦争の激戦地だったんだよ』、連れのカミさんと話す。
新潟市に戻ったその日は、愚息の運転で弥彦神社をみておく。
風格があって規模の大きい神社である。昔の越後一宮で、主祭神は天香山命(アメノカグヤマノミコト)である。この神は神武東征にも功績があったそうで、武士や軍人にも崇敬され、今に至っているよし。境内には古い杉の巨木が林立し、年代の古さは一目瞭然としてわかる。交通の便が悪いにもかかわらず、言葉の響きから察すると中国からの観光客だろう、ここ弥彦神社にも大勢来ていたことには、一寸吃驚する。
三日目は長岡に行く。歴史好きな小生は新潟ときけば当然に長岡市である。山本五十六、河井継之助、更には米百俵、良寛とくる。食べるほうでは、ヘギソバである、な。
敗戦の将となったが、歴史に名を残したの河井をはじめとする長岡藩士、藩士の家族達の本望であったには違いない。が、それにしても、このような家屋で、このように展示されているのは、気恥しく思うのではないかねえ・・・、親切な高齢のボランティア(だろうか)のお爺さんが、丁寧な解説をしてくれた。ありがたいことであった。『長岡藩は、7万石しかなかったんです、越後高田藩はずっと大きくて、親藩だったんですから(投稿者注:戊辰戦争当時は譜代の榊原家が統治)、そこが西軍に裏切るなんて情けないことでしたろう』。小生の田舎は、やはり親藩の松山藩である。一戦して大した損害も受けなかったのにすぐに降伏して、土佐藩に占領されてしまった。子供たちは『いくさをしたら、マの字に、ケの字・・・』、こんな手毬り歌をうたって遊んだと、司馬遼太郎の『坂の上の雲』には紹介されている。田舎は松山ですとは・・・言えなかった。
いま長岡城があった場所にはJRが通り、駅舎が建っている。新政府の意地悪であったのかもしれない。
『幕末で町は全部焼け、太平洋戦争でも空襲をうけてすべて焼けてしまいました。運の悪い町です』と笑いながら語る説明員のおじいさんの声が耳に残った。
長岡は生真面目な町である。
歴史好きにはこたえられない。
0 件のコメント:
コメントを投稿