2017年1月12日木曜日

「もういいかな」という時機は確かに転機になる

「そろそろ潮目か」という言葉は、命をかけて戦った侍たちにとっては慣れた言葉であったそうだ。

何事も好機というのがある。正しいことなら常に正しいのであるという理屈は現実には機能しないのだな。「潮をみる」、イメージの悪い言葉を使えば「風を読む」というのは、実際の問題を解決する職業人集団であった武士という階層の経験知・集合知であったのだろう。「結果責任」とはそういうことを言うのだろう。

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カミさんにいつもいうことがある。『必要最小限の親孝行ってなんだと思う?』と先に聞いておいて『それは親より先に死なないことさ。俺のオヤジはすごかったけれど、親より先に逝っちまった。最小限の親孝行ができなかった』、こんな風に語っておいて『次はなんだと思う?』ときく。「??」、で続けるのだ。『還暦まで大病をせず、一度も入院せず、曲がりなりにも無事是名馬を貫くことさ』と、そう締めくくる。

オヤジができなかったことを長い時間をかけてやり遂げたってのは褒めてくれてもいいんじゃないのかなあ

言いたいことはこれなのだ、な。

もういいんじゃないのかな。最近になって、色々、体のパーツの耐用年数がきている。手術を受けてメンテしたり、入院したりするのは、もう「親不孝」には当たらんだろう。

それで市内の総合病院の外科で診察を受けたら「やっぱり鼠蹊部ヘルニアですね、手術をしないといけませんが、急ぐことはありません。いま忙しいのであれば、2月にこられた時に予定について相談しましょう」。

吉田松陰が言ったように人生四時あり。生涯は、春・夏・秋・冬という四つの季節に分かたれる。
十歳ニシテ死スル者ハ、 十歳中自ラ四時アリ
二十ハ、 自ラ二十ノ四時アリ
三十ハ、 自ラ三十ノ四時アリ
五十 百ハ、 自ラ五十 百ノ四時アリ
春には春の過ごし方があり、冬になれば冬の過ごし方をすればよい。齢をとってから出来ることは齢をいかにしてとればいいかという姿を後継世代に見せることだろう。

まあ、やりがいのあることでもある。だから、もういいかな。そう思うことにした。ヘルニアくらいでこう書くのなら、癌になったら何を書こうか。そちらが難しいか、と。そんな気もする。

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