2017年1月8日日曜日

これもへそ曲がりの「暴露戦術」か

へそ曲がりとは、イコール偏屈という意味である。

そういえば、永井荷風は何度かの転居のあと、麻布区市兵衛町に洋風の寓居を建て、昭和20年の東京大空襲で焼け出され、岡山に疎開するまではそこで暮らした。場所は、市兵衛町一丁目六番地というから、いまの町割りで言えば六本木界隈になる。その家の名は「偏奇館」と呼ばれた。ペンキ塗りであったからと説明されているが、字の当て方に永井荷風の人柄がよく表れている。

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小生も偏屈である。そんな捻じ曲がった目から見た感想を二つ。

ワイドショーでは芸能人の結婚話し、離婚話しが今年も話題だ。

思うのだが、あれは芸能人のマーケティングではないだろうか。世の注目を集めるには、それなりの戦略がいる。ビジネススクールでは、そんな専門用語は使っていないが、芸能業界という市場では「結婚戦略」とか、「離婚戦略」という行動には明らかに利益効果がある。巧みなプロモーションとシンクロさせれば、立派な戦略的行動である。

まあ、いくらなんでも「不倫戦略」というのはない(と思う)。観察していると、やはりイメージ悪化によるマイナスが歴然としているからだ。関係者には愛嬌をふりまくソフトコミットメントをしつつ、実は戦略効果がマイナスであるような行動をとることを「ヤセ犬戦略」と呼んでいるが、ひょっとするとこんなカテゴリーに分類されるかもしれない。

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個人的に不思議に思っていること。

韓国で流行している「少女像(=いわゆる従軍慰安婦像)」。あれはレプリカであろう(と推測している)。

なんと言う名の彫刻家が制作したものか、うかつなことに名を思い出せない。まだ知らないのかもしれない。

が、一つ言えることは韓国内で、さらに世界の各地で、同じ(マスター作品から複製されたとしか見えない)彫像レプリカが設置されるとすれば、製造している芸術家(?)、というよりメーカーかもしれぬが、相当の売上増加効果を享受できる。

あれは「反日」という共有意識に名を借りたマーケティングと観るなら、カネが絡んでいるだけに掛け声だけでは沈静化しないであろう。

メディアは韓国の国内政治になっていると解説している向きが多いが、もう一つ「従軍慰安婦はもはやビジネスになりつつある」と。これも無視できんなあ。

もし従軍慰安婦像が韓国内の反日感情の表われと見るなら、同じ彫像が毎回登場するのはあまりにも不自然であり、他にも多くの彫刻家が同じテーマで作品を発表するはずである。また彫刻ばかりではなく、絵画や壁画という別の形式でもやはり同じテーマの作品が続々と出て来ているはずである。

同じ彫像のレプリカが毎回出てくるのは、なんらかの理由で参入が妨げられているか、あるいは「ビジネス」としてはリスクが高すぎる。そんな思惑が韓国側にあるためではないか。

小生は興味津々でそんな風にみている。

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いやはや、身もふたもない話だ。

「身も蓋もない」というのは、結局はカネですよね、という観点から(一見)高尚な理念を相対化してしまう議論であり、ディベートではこの戦術を「暴露戦術」というようだ。

2017-1-9加筆:
作者は確かめた。やはり知らなかった -- 見たことはあったのかもしれないが。また、他の作者による像も出てきているとのことだ。とはいえ、TV画面を通して見る画像はレプリカに見える。

美術を通して政治的主張を行ってはいけないという理屈はない。ピカソの「ゲルニカ」は有名な一例だ。真の美術作品は人を立場によらず感動させるものだ。

いわゆる「少女像」がどう受け止められていくか、観られていくのか。それは世界の多数の人たちが自ら決めていくことである。普遍的価値がもしそこにあれば、(歴史や事実はともかくとして)日本もその理念を尊重するべきだろう。これも戦略の一つの類型である。

それにしても、古代ギリシアやルネサンスの古典、はたまた阿修羅や十一面観世音像とまではいかないにしても、同じ具象的作品であれば大悲とも言えるような愛と許しを表現している見事な塑像をつくれなかったのか、と。そうすれば、右翼を代表する現政権を飲み込む津波のような謝罪が日本の側から湧き起こっていたはずだ。故に、あくまで政治ではなく、美術的力量の問題なのである。(ここに書いても仕方がないが)残念な心持ちを個人的に感じる。

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