入試センター試験は監督者にとってもハードワークである。それでも10分間の休憩時間には色々な雑談をして気を紛らわせる。
ずっと昔は「共通一次試験」と言ってましたナ。懐かしいですよ、あの頃はもっとホンワカした雰囲気でやってました。
これががいいんだという確信がありましたね。 励みがありました。
センター試験に名前が変わってからも暫くはそんな雰囲気でしたよ。何人かが入るんですが、交代で休憩時間をとって研究室で体を伸ばしたりね、そんなこともありました。
だいたい、その頃の監督要領、薄かったですよね・・・いまの半分くらいじゃなかったですかね。
(若い人が)それ、ホントですか?
何かあるたびに、分厚くなって、監督者は休憩してはいかん、書いてある文言のとおり一字一句そのとおりに読めとかね、・・・
いまのようなセンター試験を続けたいと思っている人は、どこにいますかね?少なくとも大学関係者でいまのまま続けたいと思っている人はいないでしょう。
高校でやるって話がありましたが・・・
高校も断っているんでしょ・・・
受験生も、いまのようなやり方がいいとは感じてないと思いますよ。だいたい、インフルエンザは流行る、寒い、豪雪になるかもしれない、行けなくなるかもしれない、時期も時期だ。そもそも最初の「共通一次試験」。フランスの大学入学資格試験(バカロレア)、ドイツのアビトゥーアを模範にしていたことは歴然としている。
確かに、個々の大学が独自の試験問題を課し、大学ごとに難問珍問を競い合うように出していたとすれば、何とかしたいという問題意識は出てくるものだ。なんとなくそんな記憶は残っている。
しかし、理想と現実はあまりにかけ離れてしまった。
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大体からしてフランスのバカロレアは、毎年6月中旬の一年でもっとも気候のよい時期に行われる。ドイツのアビトゥーアも厳冬期は避けて実施されている。
なにより欧州の大学入学資格試験と日本の入試センター試験が質的に異なるのは、試験合格によって若者にいかなる資格を与えるかという、その社会的役割である。
日本のセンター試験は、せいぜいが国公立大学の(その年の)二次試験受験資格を得るくらいのものである。しかも、一流大学の合否はその大学が実施する二次試験の得点でほぼ決まってしまうのである。
いやあ、この程度のことをするなら、歯を食いしばって根性でやらずとも、もっと合理的な方法があるだろうにねえ・・・
これもまた、「惰性」の一例じゃないか、そんな雑談をして、「まあ、いまは仕方がないですよね」と。
受験生も「仕方がないよね」と言いながらやっている。
仕方がないとぼやきつつも、マアつきあってくれるので、文部科学省は「分かっているが、もう少し頑張ってくれ」と。この辺りが本音ではないかと推測している(裏はとっていない)。
とにかくも、この悪しき共生システムは、もはや持続可能ではないと見るべきだろう。
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