ところが、忙しくなるねと話を向けると、お祖母ちゃんになるはずの知人は「旦那さんが育休をとってくれるから、案外、行かなくてもいいのよ」と話しているよし。と同時に、育休を一週間申請したのだけれど、中々認めてくれなかったのよ、それで4日間とるの、と。そんな話をしたそうな。
ずっと昔になるが、小生のカミさんが上の息子を出産した時は、ちょうど小生が異動した直後にあたっていたのだが、前任者がすでに早い夏休みをとってしまったからということで、小生は休みをとれず、カミさんは一人で産み、一人で官舎に戻る、そんな夏を過ごしたものである。今思い出しても、酷い話だと思う。カミさんは両親を早くに亡くし、誰も手伝ってくれる人がいなかったのだ。
***
多忙な時に育児休暇をとるのは日本人は苦手である。今でもそうではないだろうか。
囁かれる言葉は同じだろう。
出産といっても所詮は私事じゃないか、私ごとを職場に持ち込むとはなあ・・・よく聞いたものだ。この言葉は。
***
いま政府が旗をふっている「働き方改革」。この辺の意識を根本的に逆転させることが目的なら、小生も大賛成である。
小生の職業経験を総括して思うこと。
公私の「公」などというものは、本来、存在しない。あるとすれば、それは公私の公を自称している特定の人間集団がいるだけである。存在しているのは、公私の私だけである。「働き方改革」を進める上で仮想敵を置くとすれば、公私の公は私ごとの上にある、こんな無意識にある支配関係であるに違いない。
***
明治以前においては、多分に日本社会は家門や一族が「公」よりも優先される社会であった。公私の「公」とは、社会を構成する私的集団の利益を守るためのツールであり、私的利害の調整システムが、すなわち「公」と呼ばれる仕組みであった。
明治になって徴兵制が始まり、国民皆兵となり、陸海軍が組織され、利益よりは国防、個人よりは国家、こんな風に私ごとよりも「公」が優先される社会になり、それが意識としても共有されるようになった --- これこそが「軍国主義」であると誰かから批判されれば、そうですねと言ってしまうかもしれない。
「育休」、というか「忌引き」、「法事」などなど、類似の公休制度を迷惑視する企業文化は、明治以後の中央集権文化の名残りなのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿