2017年1月22日日曜日

組織と仕事、働き方

昨日は卒業年次生による発表会で審査員(とある時間帯の司会)を務めるため朝から夕刻まで缶詰状態になった。

それでも昼がくれば昼休みはとる。小生は、同僚と連れ立って隣のビルの地階にある行きつけのカフェに移動し、日替わり定食を注文した。昨日の献立は生姜焼きだ。腹にもたれそうだが、まあ、いいだろう。

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こないだ後輩から年賀状が届いたのですけどネ、その後輩は何十年か前には英気溌剌、文字通り青雲の志が外からもアリアリと見えるような、ある意味で野心のある人物でもありましたが、年賀状にはね、退職してから3年、毎日毎日が淡々として過ぎていきます、と。 
なんだか暗いですねえ・・・ 
まあ、不幸というわけではないのでしょうが、その人だけではなくて、私と一緒に仕事を始めた人は、みんな「ああ、この仕事を続けていけばいいんだ、この道を歩いていくのが自分の人生なんだとね」、△△先生も会社に入った時、そんな風に思いませんでしたか? 
尊敬する先輩が一人いましてね、仕事に没頭して家庭を顧みなかったんですね、お子さんの一人が自閉症というんですかね、で奥さんが大変苦労されて、そのうち「別れたい」という状態になって実家のお父さんに相談したんですよ。それで義父からその先輩に話したそうです。人生で一番幸せなことは何だと思う、と。それは自分のベターハーフと出会うことだ、と。人生で一番高いコストにつくことはなんだと思う、と。それは離婚することだ、と。その先輩は、ハッと気がついたそうなんです。 
そう、人の話をきいてハッと気がつくのは知性の証拠なんですよ。凡人は、そこで反発します。 
その先輩は、理解して、自分のライフスタイルを変えることから始めたんですよ。まず会社をやめて、別の仕事を始めたんです。働き方を変えて、家庭を二人で育てるために仕事をするんだという方向に自分を変えたんですよね。 
いやあ、いい話ですねえ。理解し、その理解に基づいて自分自身を変えて、そして実際に行動にうつす。これが出来るというのは、その方は本来的な意味で知性をお持ちだ。私が仕事を始めてから、漫談じゃありませんが「あれから40年」、いまや死屍累々ですよ。後輩で若死にした人もいます、先輩で自殺をした方もいます、海外へ赴任したあと奥さんが現地で自殺した方もいます、鬱病で一生を台無しにした方もいます。 
それ、母数はいくらなんですか? 
それほど大所帯でもありませんでしたから、そうですね同じクラスの先輩、後輩を合わせても、せいぜいが100人、まあ100人ちょっとというくらいでしょう。どうです、かなりの確率でしょう? 
先生は、幸福そうですよ、少なくともそう見えますが・・・ 
長い歳月の果てに明暗が別れてくる、そういう意味ではそうなんでしょうが、まあ私はタンポポのようなものですよ、独りだけ離れて風に吹かれてきてそこで自生してきたわけですからね。ただ、ハッキリ間違っているのは「仕事が生きがい」とか、「仕事にかける」という目標感ですね。仕事の場には幸福はない。これだけは真実です。職場というのは、というか組織になれば尚更ですが、目的というのがあって、その目的を追求するのが組織ですよ。組織の幸福なんてありません。その中で働いている人の幸福をもたらすための会社などありませんよ。激烈に勝負をかける組織には勝てませんから。原理に忠実な組織のほうが強いんですよ。幸福は個人に訪れるもので、パートナーである家庭で実現するべきものですよ。それは職場では決してありません。 
仕事が生きがいだっていうのは、確かにビジネススクールに通う面々はよく言いますよねえ・・・私、思うんですけど、幸福の条件って何だろうと。病に悩んでなく健康である、良きパートナーと人生をともに歩んでいること、そして安定した収入があること。この三つがあれば・・・
それは「幸せの姿」そのものですね。私のカミさんはミュージカルの「キャッツ」が好きなんですが、聴かせどころがグリザベラという零落した娼婦猫の歌う「メモリー」でしょ、独り月明かりの小道をたどっていくと、思い出が蘇る、それは幸せの姿だ、と。
孟子も『恒産あって、恒心あり』っていうじゃないですか。
落語にもあります『食う寝るところ、住むところ』ってね。国家レベルでもそうですよ。確かに、経済政策は大事です、しかし安全保障はもっと大事でしょ。個人レベルからみても、確かに収入を増やすことが出来るのは大事です、でも生活保障はもっと大事なんですよね。 未来に幸福が見えなければ人は生きていけませんよ。その場は職場でなく、家庭なんですが、最近の制度は方向がずれてきていると思いますね。

残念ながら、ここまで話した時に昼休みはそろそろ終わりになったので、茶飲み話はそこそこに店を出て、元の発表会場に戻っていった。


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