自衛隊内部で調査が完了し、このたび処分が下されたということだ。当該3佐は「国民の敵だ」と発言をした事は否定。ただ、『国のために働け』とか、『馬鹿なのか!』という言葉を発したことは認めているよし(道新によれば) ― 感性にもよろうが、こちらの方がもっと暴言的であろうとは思うのだが。
下った処分は「訓戒」。要するに、「いけませんよ、もうこのようなことをしてはなりません」という程度の叱責となった。今後の昇進にも影響はないだろう。
当然ながらK議員サイドは「処分が軽すぎる!」、「自衛隊の文民統制が危機に陥っている」と激高していると伝えられているが、この件、カミさんにも話したのだが:
小生: 「ダメだよ、そんなこと言ったら」っていう程度の軽い処分になっちゃったそうだよ。
カミさん: だって言っただけなんでしょ? いいんじゃない? 言われても仕方ないし・・・
小生: まあ、最近の民進党、っていうか野党の面々をTVでみてるとネエ ・・・・・・ でもネ、「国民の敵」とまで言うかなあ、というか、そうは言ってないと当人は否定しているらしい。そうじゃなくて「もっと働け」とか、「馬鹿か」と、こんなことはどうやら言ったらしい・・・まあ、「お前たち、バカか!」っていうのはネ、機会があったら言ってやりたいってサ、よっぽど強く思ってたんだろうけどねえ。
カミさん: そう思うんなら言っても良いんじゃない?国民なんだから。
小生: それが自衛隊法っていうのがあってね、「自衛官たるもの、政治的行為をしてはならない」って書かれているの。それに違反するって国会議員は怒ってるのさ。
カミさん: でも言いたかったんだよ、直接。
小生: 民進党、っていうか野党は、ホント、創造力っていうか、クリエーションっていうか、作り出すってことになるとそんな能力のかけらもないグループだからねえ・・・馬鹿か位は言われても当然か・・・
カミさん: でも言われた方は怒ってるんでしょ?
小生: 激怒、激高さ。本当のことを言われたから余計に腹が立ったのかもしれないけどね(笑)。
・・・別の話題もあったのだが、それはまた本日投稿の後段に。
ただ、思うのだ。1931年に満州駐屯の関東軍が突如として満州事変を現地の独断で始めた時、東京の内閣、首相、外相、陸軍大臣、参謀総長など、政府の上層部は一致して現地の暴走を止めようとした。今上天皇も歴史を振り返るとき、「満州事変以降の」という表現をよく使われている。それまでの国際関係重視の日本外交を根本から突き崩してしまった「現地の暴走」が満州事変であったのだが、意外や当時の日本国民は満州事変と作戦を主導した石原参謀を歓呼して称賛したのである。「最近の内閣は酷いからねえ」、「最近の政党はどこもかしこもなっちゃあいない」、「これでスカッとした」と言いたい気分が社会心理として形成されてしまっていたのだ。「陸軍の一大不祥事」というより、国民の欲求不満を解消する一服の清涼剤として受け止められてしまった。少なくとも、そんな群集心理に迎合するような記事を大手マスコミは書いてしまった。ここで「あなた達が間違っている、これは軍律違反なのだ」と声を一つにして国民の群集心理にブレーキをかけていれば、その後の日本の歴史の進展は別のものになっていただろう。
翌年、首相公邸に押し入り犬養毅首相を拳銃で狙撃して暗殺したのは海軍の三上卓中尉とその一党である。首相暗殺を目指す彼らは第1陣9名が2台の自動車に分乗、それぞれが首相公邸の表門、裏門を押し入り、客間で首相本人を取り囲み、「問答無用、撃て」との命令一下、銃弾を首相の頭部左右両側に発射したものである。第2陣、第3陣を併せた18名は事件後に憲兵隊本部に自首した(Wikipediaによれば、他にも一味がおり、後になって検挙されている)。全体が計画的テロであった。
この時も、国民の大多数は純粋な青年将校が堕落した政党政治に一撃を与えたと、むしろ称賛を口にし、裁判に際しては多数の減刑嘆願書が全国から寄せられたと記録が残っている。
その後の歴史は周知のとおりだ。
こうしたことも考えると、「言われても仕方ないよねえ」という今朝のカミさんとの会話は本当は極めて危険なやりとりになるかもしれないと、そう思った。
やはり、何と言っても国会は憲法で定められた国権の最高機関である。自衛官たるもの、相手が国会議員であると分かっていたのであれば、リスペクトの姿勢をとるべきであったろう。与党、野党を問わず、である。
今回の軽度の処分が後難をもたらさなければ幸いだ。
「文民統制」とは要するに「統制」である。上の意志に下が従う、という意味に結局はなる。ここの基本において戦前期の日本は本質的な間違いを犯したのである。「それは分かるような気がする」などと言っているようでは、最も重要な統制がとれない。それだけは言えるのだ。
***
実は、上のやり取りの前にこんな会話もしていたので、メモっておこう。まあ、くだらない話ではある。
小生: ずっと前に『おっぱいバレー』っていうサ、綾瀬はるか主演の映画があったでしょ。あれって、タイトルから、ストーリーから全編これ、セクハラだよね。
カミさん:そうだね
小生: 今なら作れないよ、あんなのは・・・て言うかさ、その頃は「巨乳」とか「貧乳」とかそんな単語も世の中にあふれてたし、民放はどこでも使いまくってたよねえ。ドラマでさ、『山おんな壁おんな』って言うのもあったねえ、フジテレビだったかな?
カミさん: そんなこと言ったら、ずっと昔は「ボイン」って・・・
小生: 大橋巨泉だったねえ、朝丘雪路にね(笑)。『あの女、いいケツしてンなあ、ナッ!』って、石原裕次郎だったか、加山雄三だったか、言わなかったっけ?
カミさん: みんなそうだったんじゃない、品ないけどね
小生: 実に品がなかった!(笑い)でも、女性だって、「あのハゲ、ほんと、腹立つのよ」とか、それを聞いた友達が「腹が立つって言ったらさあ、うちの鬼ババ、あれ気狂い(キチガイ)よ! きいてきいて」とか、こんなやりとりもあったんじゃない? 口喧嘩をしたら、ハゲとかババアとか、死に損ないとか、半魚人、妖怪、モンスターとかさ、この位はどんどん言ったよねえ。言えば言われるけどね。それが今はっていうと「それ、犯罪になります」か・・・いやあ、世間っていうのは、すごい速さで変わるもんだなあ・・・巨乳とか、貧乳とか話していた頃からまだ10年くらいしかたってないんだよ 。あまり速くて着いていけんなあ・・・ご隠居になってよかったよ、ホント。ずっと現役やったら、いつか俺も捕まるヨ。晩節を汚したって言われるのが落ちサ。
カミさん: 確かにネエ、最近はちょっと過敏症だよねえ・・・前の投稿の一部分を再掲しておこう。
社会が一方の極端にいけば、必ず反動がおこる。「被害者づら」という言葉がもしも万が一流行すれば、日本社会は進歩から退歩へと局面が転換する。そうなれば一定期間、世間は現在とは正反対の方向に突き進むと予想される。そんな不安定な社会を安定させるために法治国家というモデルがあるのだが、残念ながら、最近の日本社会は法よりも群集心理と群衆を顧客とするメディア産業企業によって動かされているようだ。
前稿ではマスメディアは少なくとも「法治国家の敵」とまでは既に呼べるのではないかと書いた。「民主主義の敵」とまではまだ言えないのじゃないかとも書いた。
今のところ、国会議員に暴言を吐いた3等空佐を擁護するような記事はない。が、仮にもし、自衛官の方を 擁護するような報道をするとすれば、文字通り戦前期・日本の繰り返し、マスメディアは「民主主義社会の敵」として役割を果していくことになるだろう。
「報道の自由は民主主義社会の不可欠の構成要素」という理念は、本当に求められているジャーナリズムが提供されつつあるのかという、そんな毎日の検証に耐えることで、はじめて具体的現実性を持ち始めるのだ。堕落したジャーナリズムは「民主主義社会の敵」にもなりうる。人間が善人にも悪人にもなりうるのと同様、マスメディアもまた善にも悪にもなりうる。そんな認識に立つことでマスメディアの側にも国民と相対しているという緊張感が生まれよう。己(オノレ)の正当性を妄信するのではなく、常に自問自答する動機ができるだろう。無軌道な行為をすれば自己批判をためらわないだけの誠実さを持てるだろう。それは良いことに違いない。
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