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経済学には<製品差別化戦略>というのがある。相手と競争するより、むしろ<オンリーワン>となって独自の製品を作る。そうすれば固い顧客層を形成して、販売価格を主導的に決める立場に身を置くことができる。利益拡大の定石なのだな。
しかし、たとえばデジタルカメラにも、レンズ性能や画像の解像度、バッテリー性能など多くの側面があって、どの次元においてどのような差別化を図るべきか、自明ではない。これには定理があって<差別化最大の原理>という結論が確かめられている。簡単に言うと、最も主要な次元では、差別化=他社との違いを最大化し、その他の次元ではむしろ違いをなくし模倣を徹底する、つまり相手との違いをなくする。ま、色々前提はあるが、これが最適なやり方である。
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この差別化最大の原理を思う時、なぜ日本では政党間の政策に違いが出てこないのか?不思議に思っておった。相手が社会保障拡大、年金充実、介護保険充実、医療保険充実、子供手当の拡大を唱えれば、真っ向からそれに反対し、無駄な財政支出カットを主張する。なぜそれを言わないのかと。一方の政党が、財政支出を拡大しようといえば、もらえる人ともらえない人が分かれる。社会保障は所得分配の中低位層が得をすることが多い。他方、その財源は主として富裕層がより多く負担する。だから社会保障充実を主張する政党があれば、真っ向からそれに反対をすれば、その反対が自己利益にかなう。そんな日本人も相当数いるに決まっている。中上位層である。また富裕層の利益に依存してビジネスを展開している普通の日本人もいる。政策の差別化を最大化したうえで<ガチンコ勝負>を怖れなければ、日本の政治も大いに活性化する余地は、十分あると常々考えているのだ。しかし、そうならない。
その根因が<国債>である。いまもワイドショーで消費税率引き上げに対する不満、文句が並べ立てられていた。共通して「なぜ私たちに負担を押し付けるのでしょうか?」、「社会保障は本当に拡大されるのでしょうか?」と。現実は、カネが足りないから国債を売って富裕層(=というより銀行が預金の運用先として)が国債を買うということをしている。しかし、目には見えないので、<国>はいくらでも支給しようとすれば<国民>にカネを支給できる。それをしないで、今度はカネをとることをする。それに腹が立つ。そういう図式である。富裕層からカネを借りて、支給をまっている人に渡している。受給層は、年齢的には多くが高齢者層なのだな。高齢者層が世を去った後には、今度は貸した富裕層にカネを返すために、(今は子供である)普通の国民が節約をしなければならない − さらなる増税となる。これが<世代間不公平>と呼ばれる問題だ。投票権を現にもっている者の相当割合は受給者もしくは受給者予備軍である。となれば、負担者ではなく、受給者の利害にたって、政治家が政策を考えても、それは理にかなっていると言うべきだ。だから違いがなくなる − 昔から言われている論点である割には、この論点、ワイドショーでは(当たり前であるが)まずとりあげられることがない。マスメディアにもバイアスがある兆候である。
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世代間不公平は20歳以上を有権者とする通常の投票行動では合理的に解決できない。もらう人には意思表明の機会が与えられ、負担をする人には意思表明が許されていないからだ。しかも、人数のバランス自体、受給側にとって有利な人口分布になってきた。もの言わぬ将来世代がコストを負担することにすれば、現在の有権者はいくらでもカネをもらうことができるかの錯覚に陥っても、それは自然なことである。「増税って、それをしたから社会保障が増えるのでしょうか?」というトンチンカンなやりとりが<自称・専門家>をまじえて、TV画面でなされるのは、そのためだ。
株式会社では人数ではなく、保有株数によって投票を行う。少子・高齢化で年齢分布に偏りが生じていることを考慮すれば、特に将来世代の負担に関する議案では、年齢別に投票数にウェイトをかけて集計するべきだ。特に<世代間再分配政策>を決定する際は、標準的な年齢分布をあらかじめ定義しておき、<標準年齢分布>を超えて高齢者が増えたときには一票を割り引いて数え、負担をする若年世代の投票は割り増して数える方法が合理的である。通常の国政選挙では特定の政策を選択することはできないが、国民投票ならば実行可能である。標準年齢分布は、現在の社会保障システムを持続できる年齢分布であり、それは理論的に導出可能であるはずだ。可能な範囲から一つの標準分布を決めるためには専門家が審議してから国会で決めればよい。
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