前原・元民進党代表と小池百合子都知事が合作した希望の党が空しくも戦いに散り、所属議員たちは、嗚呼情ケナヤ、憐れむべき落ち武者となりはてた感がある。
こんな記事がネットにはある。「文春オンライン」で7月26日号となっている:
こんな記事がネットにはある。「文春オンライン」で7月26日号となっている:
「国民民主党」が結成されてから2カ月。各社の世論調査で支持率は軒並みゼロパーセント台と惨憺たる状況だ。絶望的な党勢を何とかすべく、9月上旬に代表選挙を実施する。URL: http://bunshun.jp/articles/-/8198
(中略)
「現在、参院の野党第一会派は1人差で国民民主ですが、来夏の参院選で改選の長浜博行元環境相は今国会後に離党、立憲入りが確実視されている。そうなると立憲が衆参ともに最大野党会派になる。皆の本音は『参院選で生き残るには支持率ゼロの党にはいられない』。代表選後は結果を口実にするなどして、年末までに益々離党者が相次ぐでしょう」(野党担当記者)
前倒し代表選は、国民民主党の「終わりの始まり」か。
支持率ゼロでは「終わりの始まり」かもしれないねえ・・・しかしながら、政治の理論的必然性という観点から政党としての存在が正当化されるのは、支持率10%の立憲民主党の方ではなく、支持率ゼロの国民民主党であると小生は考えているのだ、な。
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国内政治構造の基本的なとらえ方だが、前の投稿で述べた見方に変更はない。何度でも確認しておこう。
日本も戦前期には二大政党制が機能していた ― 最終的には1920年代後半の内憂外患を解決できず軍部に主導権を奪われてしまったわけではあるが。なので、国民性として二大政党制に不向きであるというわけではない。
(中略) 左翼への警戒心は現代日本社会ではもう既に非現実的である。マルクス経済学を真面目に勉強する若者は「青春の迷い」でこそあれ、政治経済理論としてはもう期待できないだろう。にも拘わらず、真実保守と保守リベラルが同じ政党に同居している。
(中略) 一つ言えるとすれば、「日本共産党」と連携した左翼勢力が実質ゼロにまで衰退するとすれば、その時には保守が二つに分かれるであろう。そう予測する。そこが定常状態であろう。出所: 本ブログ、2018年7月3日
このところ、自民一強の状況が進み、野党はすべて支持率を落としている。この現象は、健全な二大政党時代の到来には夢をもてる好い兆候であると思いつつ見ている。
つまり、現在の自民党は1955年に保守系二大政党が大同合併してできた「保守系デパート」のような政党だ。以来、日本の政情は「55年体制」と呼ばれてきた。政権を保守勢力で独占するために(≒共産革命を阻止するために?)全ての政治メニューをそろえている。「大きな政府=大きな財政」を志向する政治家も「小さな政府=小さな財政」を主張する政治家もいる。その時々の風の吹くまま、最も売れる政策を看板にしてきた歴史がある。なので、現実に採用可能な政策として何を選ぶかという論争において、日本では与党と野党の間に真っ当な議論は生じえない。というより、左翼勢力を政策論争から排除する、政権は体制変革(?)とは無縁の保守勢力で独占する、そんな狙いがそもそも自民党にはずっとある。
一体、日本共産党が自民党に対して「政策論争」を仕掛けた事例を記憶しているだろうか。提起されているのは常に体制選択である。というより、現在の社会構造に対して冷淡であり、その運営に責任を持とうという意識が伝わらないのだ。まあ、これ自体は当たり前でもある・・・、体制変革を基本目的とする政党にとっては、その途中の個々の政策は権力奪取に至るまでのツールであり、それ自体はいつでも変更可能な戦術である。目的はあくまでも政治権力を得て既存の体制を変えることにある(のが建前だ)。そのチャンスを排除するために保守一党体制が53年前に構築され、いまある保守政党は(基本的には)自民党、ただ一党である。
ということは、自民党以外の保守系野党が政党として活動できるニッチはそもそも国内政界には存在しないという理屈だ。ポジショニングが極めて難しい。日本の保守層(の多く)は、政権主流が力点を置いている政策に十分満足しているわけではないが、期待する政治家は同じ保守政党に(いまは)傍流として所属している。つまり日本の保守層はただ一つのデパート的政党を持っている、というより「しかない」のが実情だ。保守政党は他には要らない。これが本音である。
第2、第3の保守政党は要らない。あっても現与党と競合する。競合するうえ品質が劣る。期待で膨らませた社会心理的なバブルが一時的に発生することはあるが、政治家というサプライサイドの実情が露わになった段階でバブルがはじける。その繰り返しを日本の政治マーケットは演じてきた。今後も数年ごとに「新党」が結成され、政治バブルとなってメディアを賑わせることもあるだろうが、にわかに人気者になる政治家に国の舵をとらせる意志は多くの保守的有権者にはない。そう思っている。
とはいえ、オルターナティブなき保守政権を長期にわたって放置すれば独占の弊害が出てくる。それは有権者もわかっている。実際、ごく最近において安倍現政権は不祥事、舌禍、失態にまみれ「数のおごり」や「弛緩」を批判されている。政権外の保守系野党は、いかに微力であろうと、存在したほうが良い。現実的な批判勢力たりうるからだ。真の意味で支持され、求められてはいないのだが、外野席に居続けることで役割を果たせるような政党。どこか哀愁が漂うではないか。それが国民民主党のゼロ支持率であると小生はみている。
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日本人は動機の純粋さを喜ぶ。『立憲民主党は男子でござる』と、ひと昔前ならばそんなセリフを語っていただろう。しかし、政治的停滞の真の源はむしろ立憲民主党にあるとみる。
上の引用にも書いているが、現実的には意味を失った共産主義・社会主義を(建前上は)標榜する左翼政党が無視可能な数を超える議席を有し親・左翼勢力をつくっている ➡ 保守1党体制が守られ政権を独占し続ける ➡ 主流と理念が異なる保守傍流が漏出し、小惑星的なアウトサイダー群に浮遊化し無力化する。G7先進国でも他に見ない日本的政治状況の基本骨格がここにある。
その主張に現実的意味が失われている政党が本来は中道左派・保守勢力に吸収されるはずの有権者を自党の存続のために吸収し続けている。本来は政治的な力を発揮しうる有権者層が政治の場では排除されている。政策論争ではなく体制選択という不毛の目標のために浪費されている。ここに(国政と同時に地方政界においても)日本政治の欺瞞がある。小生、そう観ているのだ、な。
確かに現政権はかなりの右翼であり隠蔽していることもあると小生も感じる。不誠実でもあると思う。しかし、左翼勢力の欺瞞もまた実に巨大ではないか。現政権より真の意味で不誠実ではないか。そう思って見ているのだ、な。
注: 本稿でいう「保守」は「革命を最終目標としない」という意味であり、相当広い範囲を含めて使っている。
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