北海道に戻って、通院している近くの病院に消化薬をもらいにいく。待合室の前にお婆さんが二人、TVで放送している内地の猛暑を観ながら、話し込んでいる。
Aさん: あたし、心臓にペースメーカーを入れてるのよ、だからネ、あんな暑いところじゃあ無理なのよ。北海道で好かったあ~~小生が大学生であったころ、両親は父の勤務の関係で名古屋市昭和区陶生町に住んでいた。桜山交差点から歩いて数分のところだ。昔暮らしていたその付近も今回再訪してきた。様子はすっかり変わっていたが、胃の調子が芳しくなかった父が通院していた医院は同じところに名前も変わらずにあった ― 40年もたっているので、とっくの昔に代替わりはしていると思うが。
Bさん: 可哀想よお・・・お盆も近いのにサア、こんなに暑い中でサア、家はない、食べるものもない、住むところもなくってサア・・・
Aさん: 北海道で好かったヨお
ただ角にあったタバコ屋は昔のままだった。
昔と変わらずあるものと言えば、公共建築物もそうだし、寺院仏閣もそうだ。父が胃癌になってから母はよく熱田神宮に参拝していたが、そこにある大楠も変わらない。
変わらないものがあったかと思うと、桜山には地下鉄の駅が出来ていた。
お婆さんの『北海道で好かったあ』はいまこの時の心境だ。地下鉄の駅はこの3,40年の変化である。熱田神宮の大楠は何百年も変わらずそこに立っている。小生の両親はもうこの世にはおらず、暮らした家もない。3、40年のうちに変わってしまうものが儚いのであれば、お婆さんの『北海道で好かったあ』はもっと儚い思いである。それなら熱田神宮の大楠がずっと永遠にあるかといえば、そんなことはない。何百年は生きるだろうが、何千年は無理だろう。
小生自身も『北海道に戻ってホッとしたよ』と思っている。その儚いこと、病院で話し込んでいたお婆さんと変わらない。儚い私たちが幾世代も死に替わるうちには大楠も代替わりすることだろう。
僧朝顔 幾死にかへる 法の松
芭蕉の句を思い出した。 そういえば芭蕉が上の句をつくった奈良・当麻寺に行ったのは、大阪在住時代だからもう30年も昔になる。その頃、暮らしていた八尾の官舎はもう取り壊されてしまった。
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