なので、国民性として二大政党制に不向きであるというわけではない。
実際、終戦直後にはまた二大政党に戻っていた。そのモメンタムを攪乱したのは、「労働者階級」を包括的に一つの政治勢力にしようと計画した共産党、というか社会党も含めた左翼政党である。昭和22年から23年まで実際に社会党政権が実現している。時代の風はマルクス経済学に吹いていたのである。
そもそもプレ高度成長時代に行われた自由党・日本民主党による保守合同は、左翼勢力が政権をとることへの警戒心からであった。
仮説的想像だが、現代日本で二大政党制が実現しない主要因は共産党と連携する左翼政党が(いまもなお)強すぎることだろう。
ソ連は崩壊し、中国も「中国共産党」が独占支配する資本主義国家になった。日本の「保守対革新」の図式には既にカビが生えている。
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左翼への警戒心は現代日本社会ではもう既に非現実的である。マルクス経済学を真面目に勉強する若者は「青春の迷い」でこそあれ、政治経済理論としてはもう期待できないだろう。にも拘わらず、真実保守と保守リベラルが同じ政党に同居している。
警戒するほどの現実的意義はもうないが伝統芸能程度の重みは保っている。
同居しているのは、左翼勢力が自民政権を政策論争とは別の次元から、人格的に倫理的に非難するからである、というのも一面の真理だろう。そんなメタ政治的な非難が面白いので(無警戒な)メディアの話題にもなる。保守は大同団結する動機をもつ。思いは複雑だろうが・・・
もしこの認識が本筋であるなら、ネットで言い交わされている乱暴な表現<劣悪左翼>。本当に左翼陣営に属する政治家が劣悪であると小生は思わないが、一つ言えるとすれば、「日本共産党」と連携した左翼勢力が実質ゼロにまで衰退するとすれば、その時には保守が二つに分かれるであろう。そう予測する。そこが定常状態であろう。
このところ、自民一強の状況が進み、野党はすべて支持率を落としている。この現象は、健全な二大政党時代の到来には夢をもてる好い兆候であると思いつつ見ている。
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