2018年11月19日月曜日

大手マスメディアによるSNSたたきの見苦しさ

今日の投稿はソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)企業に対する最近の社会的な批判をどう考えるかがテーマである。

テーマとしては大きいので、まずは第1回ということにしておこう。

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数年前にフェイスブックのアカウントを新規作成した。国際関係論を専門にしている友人がメールで書いてきたのだが、『日本でフェイスブックとかツイッターとか、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)がイマイチ普及しないのは、どうしてか?』、『それだけ民度が低いってことなのか?』等々。そんな指摘があって「自分でまず使ってみるか」と思ったのがきっかけだった。特にフェイスブックについては『本名でアカウントを作るからネエ、それが日本人の肌合いに合わんのかもしれんネ』とまあそんなコメントをした記憶がある。

友人が「日本でSNSが普及しないのは民度が低いからじゃないのか」と指摘したのは、チュニジアやエジプト、リビアなど北アフリカで急速に進んだ「アラブの春」が念頭にあったからだ。革命的な民主化の進展をインフラとして支えたツールがフェイスブックなどSNSであったのは今ではよく知られている。

要するに、フェイスブック(ツイッターも)は、社会の現状を構造的に変えてしまう程の威力を発揮することがある。それを知って世界は震撼したものであった。

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ところが、アメリカ社会だけではなく、全世界的にSNSをとりまく潮の流れは、アラブの春を歓迎した当時と比べると、一変した。文字通り逆転したと言ってもよい。

フェイスブックが巻き込まれた「ロシアンゲート騒動」、「個人情報漏洩事件」、更には一部の社会的勢力がヘイトスピーチを繰り返す、セクハラ・パワハラ発言を繰り返すユーザーを放置している、これらすべての不祥事に対してフェイスブックには責任がある、と。NYT、WPなど有力メディアの紙上ではそんな論調になってきた。

社会的バッシングを被り、フェイスブック社内の士気も非常に低下しているという報道もある。株価も今年初めのピークから3割程度は下落した。

今もなお、創業者ザッカーバーグ氏と新ロシア勢力との繋がりを疑ったり、ザ氏と経営陣との確執について噂が流れるなど、ここにきてメディア全般は反ザッカーバーグ運動の様相を呈し始めている。

一つの「社会運動」であると思われ、こうした風潮形成は既存メディアの得意技とも感じられ、小生、勝つか負けるかの権力闘争の一変種であるとも見ているのだ。

だからこそ、フェイスブックについて言えば、創業以来最大の危機にある。

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ただ、どうなのだろうなあ、とは思う。小生は、フェイスブックのヘビーユーザーではない。3か月に一度くらいの頻度でタイムラインを更新する程度だ。

それでも、既存マスメディア企業が新興のSNS企業をいま非難しているのは、奪われた影響力を奪還するためのマーケティングであると感じる。

窮極の可能性に立って想像してみよう。フェイスブックがユーザー数を増やし続ければ、最後にはニュース源からニュース需要者に情報を直接つなぐパイプとして機能し始めることが出来るだろう。知るに値する全ての社会的情報は何もメディア企業に勤務する編集者に一枚噛んでもらう必要はない。そこでいったんフィルタリングをしてもらう必要性はない。ニュース源がその「事実」をダイレクトに発信してくれればそれが最も良い。SNS企業が全てのオリジナルな情報をカテゴリー別に見やすく整理して、需要者のニーズに応じて配信してくれれば、それが個々人にとってはベストであろう。情報のP2Pサービスすら可能かもしれない。

大手マスメディア企業は、P2PどころかB2CとB2B、その切り分け、つまり顧客セグメント別の紙面編集すら出来ていない。編集局で取捨選択した記事を一斉に紙面に載せるだけである。故に、満足度は平均的に低位に留まるのである。メディア企業としての経営戦略が陳腐化し、一部はほぼ破綻しているのだ。

繰り返すが、SNS企業はメディア企業として創業したのではない。

情報利用者が本当に必要としているのは、原情報であるはずだ。メディア企業が果たしてきた社会的役割を、SNS企業が結果的に果たしてしまうのであれば、メディア企業がSNS企業をライバル企業として敵視するのは理の当然である。

しかし、メディア企業の<社益>と社会の<公益>とは別のものである。

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たとえば・・・もしも電子レンジが更に一層進化し続け、やがて一定のレシピに沿って食材、調味料等を鍋やフライパンに入れてレンジ内に置きさえすれば、あとは人工知能(AI)が温度や水準を調節し、理想的なレベルで見事な料理を作ってくれるのであれば、究極的には厨房を差配するトップシェフのやるべきことは大いに減ってしまうだろう。要らなくなるかもしれない。

AIの進化によって侵食される職業は多々ある。人の手が入っていることに価値があるのでなければ、やがてはなくなると言っても過言ではないだろう。そんな仕事はいくらでもある。「効率的にやりたい」と意識する仕事はすべてそれに該当する。

AIで作動する電子レンジがトップシェフの存在意義を消失させ、就業機会を奪い、彼らの経済的基盤を侵食するとしても、その電子レンジを開発するメーカーはエンドユーザーの利便のために商品を開発するのであって、シェフの経済基盤を奪うこと自体に目的があるわけではない。電子レンジ自体は調理器具であってシェフではない。エンドユーザーがAI付き電子レンジを選択するから、人間のトップシェフが不要になるのである。これは技術進歩によるロジカルな結果であって、人為的な不当行為ではない。

社会が豊かになる新商品や新サービスは社会的に無くてはならないものであり、そのために消え去っていく商品やサービスがあれば、それはなくともよいものなのだ。こう考えるのが、まずはロジックだろう。

新聞、TVとSNSの関係も同じことだ。SNSはデジタル資源をアップしたり相互参照できるネット上の場であって、事実報道やオピニオン掲載を目的とするメディア企業ではない。ただSNSは極めて多機能である。

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確かに、悪意をもっている人物や組織は社会に常に存在する。その悪意がSNSの場で目に見える形で公開されるならば、それはそれでよい、と小生は思う。

というか、そもそもトランプ大統領がツイッターにアップしている投稿。ある立場の人から見れば、悪意に満ちた意見だろう。とはいえ、傷つく人がいるという理由で、SNSにそうした意見を投稿するべきではないと言い出せば、何をいえば許されるのか不安で仕方がない社会になるだろう。そんな社会で暮らしたくはない。「公開」ではなく「友人にのみ公開」と設定しておいて、仲間内では言いたい放題のことを述べ合い、社会には隠蔽すれば善いのかといえば、これもまた陰湿な社会状況であると思う。

「悪意を見える化」できるのであれば、社会から悪意を隠蔽し、悪意を潜在化させるよりも遥かに善い状態であると小生は思う。善悪をともに含んでいる現実があれば、誰もがその現実を知るところに社会的価値がある。リアリティの理解に勝る価値はない、というのが、時代や国を超えた原理・原則である。大手マスメディア企業に情報伝達を委ねておいても問題がない、とは言えないだろう。

自由に投稿してよいなら、フェイクニュースが流通するのも当たり前である。しかし、その情報がフェイクであることを指摘可能なユーザーも存在しているのが、フェイスブックの立場に立てば望ましいのだろう。本名を明示したアカウントという原則を徹底することにより、フェイクニュースを流し続けている人物なり団体をも浮かび上がらせることが可能である(理論的、技術的には)。

大体、(たとえば)フェイスブックをスタートさせたときに最初に表示されるニュースフィードに「見るのも嫌な品のないメッセージ」は自動的には出て来ない。ヘイトスピーチや社会的に許されないような発言は、求めて探さなければ見つからない。自分のタイムラインに嫌悪するべきコメントが仮につけば、ブロックしたり、更にはユーザーをブロックしたり、色々な設定をすることができる。通報も可能である。そもそも友人でもない人からコメントがつけられるようにしている人はいないはずだ。毎日約15億人が利用する広大なFB空間のある限られた空間には眉をひそめる発言もあるだろう。が、それこそが社会の現実ではないだろうか。

SNSがパワハラやネグレクトなどハラスメントのツールに使われている点が批判されることも多い。だからSNS企業が責任を問われることもある。もう言葉もない。SNSがなければ陰口や意地悪になるだけだろう。ヒトの問題をツールの適否と混同するべきではない。これは観察力の問題だ。

・・・もうキリがないが、個別にとりあげてみると最近のようなヒステリックなSNSたたきには理解できるロジックが含まれてはいないと思う。

なので、ビジネスとして、その成長性について、SNS企業をネガティブな方向で考えるべき要素はいささかもないと思っている。SNSというツールは社会的に価値のあるインフラたりうると、そうみているし、見方は変わっていない。

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であるのに、企業としてはいま創業以来の逆風が吹いている。事業につきものの運や巡りあわせかもしれないが、人為的な意図が背後で働いているのかもしれない。

いずれにしても、人間は悪意をもったり、計略をもったり、何かを企てたりする。だから「アラブの春」も起こりえた。

「アラブの春」のような民主化なら認めるが、同じツールを使って「善くない事」が起こるなら許せない。そう考えるのは「結果論」に過ぎない。

アメリカの大統領選挙にロシアが介入したいという意思を持っているのであれば(当然ながら、そんな意思は持っているだろう)、フェイスブックというツールがあろうがなかろうが、何らかのツールを活用して選挙に介入したに違いないと考えるべきだ。SNSの投稿状況から選挙への介入という事実をマイニングできるとすれば、それはむしろ素晴らしいことではないか。

小生はどうしてもそう思うがねえ・・・。

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フェイスブックやツイッターの場を無害な投稿一色にするために有害な投稿は削除する、「沈香も焚かず屁もひらず」という状態に抑え込んで得をするのは、大手マスメディアが発行する新聞とTVである。

不適切な投稿があれば、メディア企業自らがそれが不適切であることをSNSの場で堂々と指摘すればよい。多数の賛同・異論・反論がネット上で見える化されるだろう。不適切な投稿を放置しているという非難を自らの紙面に掲載し、あるいはインフォーマルに発言し、フェイスブックやツイッターなどのSNS企業に対していわゆる「筆誅」を加えるのは、ライバル企業を拡販のネタに使っているわけで、文字通りのネガティブ・キャンペーン。SNS企業は大手メディア企業に対してそのような行為をしていない。どうにも見苦しい。職を奪われそうになったトップシェフが「多機能電子レンジは健康に害がある」と非難するのと似ている。そう感じるのだ、な。

まあ、「敵失に乗じる好機」とみて、小躍りしながら反撃するというのも分からないでもないが・・・。見苦しいネエ。

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