★ ★ ★
2、3日前の北海道新聞だったか、9月のブラックアウトの原因は「京極の水力発電所が稼働していなかった」ことにあった、と。北海道電力の副社長がそう語ったという記事が載っていた。引用するとこんな記事だ:
苫東厚真3基が停止しただけでは全域停電はおきなかった。京極発電所が結果として動いていればよかった。
(出所)北海道新聞、2018年11月2日
副社長がこう語った由。
技術的検証委員会でもそんな見解をとっているとも述べられていた。
10月23日にまとめた中間報告で、京極水力発電所が稼働していれば、防げた可能性が高いと指摘。とある。
(出所)上と同じ。
京極発電所(1,2号機総出力40万KW)が稼働していなかったのは定期点検中だったためだ。
★ ★ ★
電力需給の供給側の数字は保有発電能力ではなく、定期点検による遊休化を織り込んだ平常時稼働率を前提とするべきだ。
また今年の厳冬期を乗り切るうえで十分な発電能力が確保されたとしているが、それは石狩に新設中で来春に運用開始予定のLNG発電所の試運転を供給側の数字に加えている点が大きい。
試運転は、安全管理のために行うものであるから、それを電力供給量に上乗せするのはデータ・クッキング、というか電力データの隠蔽に極めて近い行為だ。
★ ★ ★
アメリカを相手に太平洋戦争開戦を日本が決断する根拠として物資動員計画という数字の裏付けがあった。
しかし、その数字は極めて楽観的な輸送船損耗率の大前提があってのものだった。
実際には、米海軍の潜水艦によって想定を上回る隻数の輸送船が撃沈され、特に南方最前線では補給が困難になり、飢餓、病気による死者が膨大な数に上った。こんな惨状は、近代化された軍隊同士が戦った戦争では見られなかった。
日本人は、一度決めた方針を変更することを非常に嫌う傾向がずっとある。それは時に「信念」となり長所として働くことがある。特に、研究者や芸術家など個人として活動する分野では長所として作用することが多いのだろう。しかし、同じ傾向が組織の中で働くと、方針変更を促すデータが数字に現れても、その事実を認めることを嫌い、都合の良い数字に作り替える意志として働くことが多い。
データを頭から無視する夢想家ではない。日本人は、本質はリアリストである、と。小生は感じることが多い。しかし、人間集団が組織となるに伴って、どういうメカニズムかは詳細に調べたことはないが、データ分析が従属的な位置に置かれ始め、大事な真相が隠蔽され、問題解決への道を自らふさいでしまう・・・。そんな国民性がいまなお認められる。
このプロセスでいわゆる「忖度」が働いているのであれば、面白い研究テーマを提供するだろう。
日本人の国民性は、戦争以来、いや明治維新以来、というか幕末、歴史全体を通してずっと変わってはいない。同じである。そう思うようになった。
0 件のコメント:
コメントを投稿