2018年11月28日水曜日

また余計な一言: 戦前と戦後の日本人の似ているところ

今日の「毎日新聞ニュースメール」にこんな下りがあった。「NHK連ドラ『まんぷく』暴行シーンは史実か 過酷だった憲兵の弾圧」というタイトルだ:

 NHKの連ドラ「まんぷく」。旧日本軍の憲兵がヒロインの夫になる男性に暴行する場面について「優しい日本兵が出てこない。日本人をおとしめるのか」といった批判があがり、論争になっている。専門家に話を聞き、資料を調べ、憲兵と「歴史の忘却」について考えてみた。
▽特集ワイド:NHK連ドラ「まんぷく」暴行シーンは史実か 過酷だった憲兵の弾圧
https://l.mainichi.jp/lHRYQtS 

以下は担当記者による後記:
 「まんぷく」に登場する憲兵の論争を切り口に、日本の「負の過去」を考えてみた。心ない言動でだれかを傷つけた、あるいは迷惑をかけた。だれにもそんな経験はある。過去を「なかった」ことにしても、傷つけられた相手は決して忘れない。国と国との間でも同じだろう。負の過去に触れない、あるいは「なかった」とする「歴史」本が売れる時代である。負の過去と向き合い、それでもこの国に愛着が持てる。そんな歴史本こそ読んでみたい。

朝ドラ「まんぷく」は小生も視ている。日清食品の創業者・安藤百福がモデルである立花萬平が憲兵に拘束され暴行を受ける場面も視た。連想したのは漫画『Jin‐仁‐』の主人公・南方仁が無実の容疑で小伝馬町の大牢に入ったシーンである。まさか、あの位のことで『日本人を貶めるのか』という批判が出るとはナア・・・時代も変わったものである。

亡くなった両親は10代後半に戦時中を送った。当時の軍人・憲兵が国民に対していかに暴力的であったかを何度も話題にした。小生が小学校高学年を送った伊豆の三島市北方にある小学校は旧陸軍が使用していた兵舎を校舎に転用していたのだが、その建物の暗い廊下の片隅に「開かずの間」という一室があった。そこでは「問題のある兵」に制裁や拷問が加えられたと教えられた。児童たちはその部屋には入らないように言われていた。言われなくとも鍵がかかったままのその部屋はどこか陰惨で誰も近づきはしなかった。『日本は負けてかえって良かったのよ、軍がなくなっただけでもネ』という母の言葉は大多数の戦争世代に共通した正直な感情ではないかと思われるのだ。

観念で戦前のことを話しても駄目である。経験が何よりも貴重である。

召集された下級兵士は職業軍人ではない。召集解除になれば元の仕事に戻る。権力を行使したのは職業軍人集団である。戦前の軍部が、組織全体として極めて非人間的であったという事実は、もう国民共通の知識として確定させてもよいのではないだろうか。これはもう、疑いようがないと思われるのだ、な。

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だから、相当の保守派である小生も、今回ばかりは『負の過去と向き合い、それでもこの国に愛着が持てる。そんな歴史本こそ読んでみたい』という意見に賛成する。

進歩の基礎となるのは失敗経験である。失敗を直視し改善につなげていく態度が成功をもたらす。逆に、成功について語り、成功体験を誇る姿勢からもたらされるのは堕落と退廃だけである。

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朝ドラ『まんぷく』の暴力シーン程度で「貶められた」と感じるようでは、良い記憶だけを伝えようとしていた戦前の軍部と現代日本人の感性は、あまり異なるところがない。

好きで暴力を加える権力はないものだ。暴力を行使する権力の根底には正義の感覚がある。不正義を憎む気持ちから暴力が生まれるものだ。

だとすれば、現代日本人も大体同じような事はやっている。「許せない」と思う人物に社会的制裁を加えているのはその一例である。正義の怒りを直情的に噴出させて、それが正しいと思い込んでいる様相は、大衆が違法行為を監視する現代社会であれ、違反を摘発しようとして憲兵が監視する戦前社会であれ、どちらも同じではないか。

<過剰制裁>を恥じないという点では、戦前の憲兵も現代の大衆も変わらない。身体を物理的に殴るか、精神的に圧迫するかの違いはあるかもしれないが、どちらも苦痛をもたらすという点では同じである。

テレビドラマの暴力シーンをみる程度で「日本人が貶められた」と感じるなら、幼少の児童の虐待や自殺が相次ぐ現代日本のありようは、既に日本人を貶めている。その事実を直視して、状況の改善に貢献するような行動なり提案を行うのが本筋だろう。

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