今日はまったくの断想。
徳川四天王に入る本多平八郎忠勝は戦場で負傷することは生涯ただの一度もなかったが、晩年になって不図したはずみで小刀で指を切ったことがあったそうだ。
わしもそろそろ身の納め時のようじゃな
と言って恬淡としていたが、間もなく極楽往生したそうな。そんな人であったと司馬遼太郎は(見ていたわけではないので、多分、フィクションであろうが)その人柄を描いている。
若い頃は生きてきた時間よりはこれから生きる時間の方が(期待値としては)長いので、自然と将来を語ることの方が多い。
齢をとると、生きてきた時間の方が残っている時間よりは長いので、将来を語るよりは過去の記憶を語る方が中身は多い。若者が将来の抱負を語り、年寄りが思い出話をするのは、自然の摂理なのである。
人間は抗しがたい敵に対して恐怖心をもつのが自然である。目に見える普通の敵に対しては、何とか工夫の余地があるが、<死神>に立ち向かえる作戦はない。心構えがあるのみだ。本多平八郎は、戦場において怯むことがなく、死を間近に迎えても自然な佇まいを保った。周囲の人は、自分には真似のできない真の勇者の振る舞いを見る想いであったろう。
時代を問わず、人を問わず、人は人の振る舞いをみて尊敬したりも、軽蔑したりもするのである。そして真に勇気ある人に対しては誰もが尊敬の気持ちを抱いてしまう。
地位が高いから尊敬するのではない。実績があるからでも、年上だからでもない。人が人を尊敬できるには、勇気の他に、仁、知という徳目があることは、少し前の世代なら誰もが常識として知っていた(はずだ)。
小生が若い時分の高齢者層と現在の高齢者層を比べると、明瞭な違いがある。それは、かつての高齢者層は戦争を体験し、従って自分(や家族、親族、友人、知人)の死を濃厚に意識する毎日を経験してきた点である。更に、自分の命を上回る価値があると教えられてきた世代でもあった。その当時の高齢者が共有してきた<気分≒エートス>は、現在の高齢者層には継承されていない。
現在の高齢者は、個人差は大きいが、前向きの人が多い。社会もメディアも前向きの生活を送る高齢者を称賛することが多い。しかし、上に述べたように高齢であることは、死を間近に控えているということである。高齢者が前を向くときには、道理として必ず自らの死を意識しなければならない。
こんな当たり前のことは、とっくの昔に分かっていたことで、だからこそ出家を志したり、信仰を深めたり、巡礼に出発するという人が多くいたわけで、明治以前の日本文学には生の意識と死の意識とがバランスよく混じりあっている。
高齢者が将来を考えるとき、自らの死を抜きにして将来プランだけに集中するのは可笑しいし(一体何歳マデ生キルツモリカ)、また現世で生きる残された時間をすっ飛ばして死だけを意識するのも変な話しであろう(明日早速死ヌオツモリデ)。
自然の摂理なら風が吹いたり雨が降るのと同じである。
前にも投稿したことがあるが、ヒューマニズムに基づいて価値を議論する時、科学に基づいて問題解決をしようとするとき、目に見えるこの世界に存在する事、生き続ける事が大前提となる ― 死後の事柄について議論するのは科学が宗教に勝った(?)現代世界では大方無意味であると認識されている、と言ってよいだろう。
しかし、このような前提に立つ限り、前にも同じ主旨で何度か投稿したように
合理的に考えれば死は損であり、生は得であるから、誰も喜んで死へおもむくものはいない。合理主義的な観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによって、あたかも普遍性を獲得したような錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまう。
つまり、死ぬより生きる方がイイに決まっているという結論しか出て来なくなる。もちろん、これはこれで否定するつもりはないが、これでは人生をかけて求める至高の価値という目的はあり得ないという理屈になる。故に
元気でいることが、一番大事なんだヨ
というコメントしか言えないというロジックになる。
これも至極もっともな合理的コメントなのだが、高齢者が若者にこのようなコメントをする時、死を間近に控えているにもかかわらず、死を怖れる人の臆病を見透かされるような思いに駆られたりはしないだろうか。実は勇気に欠けた人間であることをヒタ隠しにして生きてきた自分に恥ずかしさを感じたりすることはないのだろうか。
高齢者が生きる将来は時間と共になくなっていくのが道理である。であれば、なくなっていく将来を仰山に語ることはやめ、過去を語り、併せて現在を語ればよい。イヤ、現在を語るというより、現在に安住して、淡々として生きるという佇まいだけはなくしたくない。
最後まで持っていたいものは、理性も大事だが、勇気だけは持っていたいものだ。
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