最近、色々な場面で《正義の暴走》というのが心配されたり、嫌悪されたりすることが増えている。これもまた《世論》が形成されるプロセスの中で起こることなのだろう。
しかし、「正義の暴走」というのは違うと思う。これも言葉の誤使用だ。
社会の根底に《正義》という働きが本当の意味で働いているのであれば、それこそが「真の正義」というものだろう。
真の正義は暴走して人々を傷つけることはない。暴走するのは正義を語っている人間たちである。
そう考えることにしているのだ、な。
なので
暴走をして、嫌悪されている人達に正義はない。
という理屈になる。
本当に「正義」というものが社会で作用しているなら、それはどんな形であるべきか、いわば「正義が満たすべき必要条件」を考察すれば、上のような結論は出てくるはずである。
故に「正義の暴走」というときに起きていることは
ある人々は「正義」という言葉を口にしながらルールや礼儀に反する行動を重ね大いに「ヒンシュク」をかっている。
こう言えば過不足なく事実を伝えられる。自分から「正義」を叫ぶような人は、世間は怪しいと思うでしょう?危険人物かもしれない、と。よくある事である。何より、多くの人たちのヒンシュクを避け、多数を包み込む合意を目指すのが《民主主義》の本質というものだ。
要するに、日本語の作文力に帰する話だと思う。哲学的な問題にはあたらない。
正邪善悪についての私見はすでに何度も本ブログに投稿している。
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