東京へ墓参を兼ねて三泊四日で往復してきた。宿泊は、ここ近年は上野界隈が気に入っている。というか、学生時代に東日暮里に下宿していたから、上野、根岸、日暮里・谷中といえば小生の縄張り内でもある。
ただ両親の墓は船橋にある。八千代、柏に近い所だ。アンデルセン公演へ曲がる十字路、県民の森入口からすぐの所にある。行けば休憩を含めて小半刻は過ごす。
天気が余りに好かったので、母が晩年に過ごしていた取手市の戸頭団地を再訪してみた。関東鉄道の駅から出ると、国道の下をくぐるようなトンネルがある。それをみると、記憶は大分曖昧になったが、確かにこの道を毎日急ぎ足で歩いて駅に入り、1時間半もかけて役所に登庁し、日がな一日雑用に追われて、深夜になってまた駅を出て、この道を歩いて家に向かっていたよナア…と。母は起きて待っていたことが多い。寝ていればよかったのに……。その頃の生活の感情だけが胸に蘇るような感覚だ。
その頃、食堂「ガシュラット」という店名だったかどうか、忘却してしまったが、本を買ったついでに、この場所にある店で何度かラーメンを食べたような記憶がある ― 本屋の方はなくなっているようだ。それにしても、ほとんど誰も歩いていない。シャッターを下ろしたままの店も多い。
店に入って餃子ライスを頼んだが、相客はすべて高齢の女性、お婆ちゃん達である。どの人も軽めの麺類をすすっている。小生が母と一緒にここで暮らしていた時分から住んでいるのだろうか?その当時幼かった子供たちは概ね独立して町を出ていき、この界隈の住人全体が高齢化しているのだろう。自分はこうした町の変化を共に経験しては来ず、今は通りすがりの旅行客に過ぎない。
帰りは取手駅には戻らず、守谷から「つくばエクスプレス」に乗って新御徒町駅で降りた。流山辺りでは子供連れの若いお母さんが何人も乗ってきて活気があった。
上野に戻り時間があったので寛永寺の清水観音堂で御朱印をもらった。
弁天堂にも寄ろうと思ったが観光客で黒山の人だかりだ。根本中堂まで歩いて行こうかとも思ったが、腹の調子が悪く、そのままホテルに帰った。
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