2025年12月24日水曜日

断想: 日本の長期停滞。主因が何かなど、分かり切った話ではないか?

少年期に教えてもらった将棋や碁を今度はAIアプリで楽しむことを知ったのはごく最近だ。そのことは本ブログにも投稿したが、愛用するアプリも段々と絞られてきて、いまは二つを頻繁に代わるがわる立ち上げてはパチ、パチと打っている。

一つはKaTrain、もう一つはBadukPopなのだが前者をインストールすると"Baduk AI Softwares"というフォルダーが生成されるので、両方とも韓国系開発者が創ったか、主導したのだろうと思っている。"Baduk"は韓国でいう「碁」である。

前者"KaTrain"のエンジンに使われているKataGoはGoのために開発された優秀なAIで、開発者であるDavid J. Wuはどうやら中国系アメリカ人(ではないか)と思われる。Wikipediaには

DeepMindが発表したAlphaGo ZeroとAlphaZeroの論文に基づいてDavid J. WuがKataGoを作成した。

と説明されている。

いずれにしてもKatagoは”MIT License”によるフリーソフトだ。KaTrainでも使われているし、(ひょっとすると)BadukPopでも使われているのかもしれない。こうしたソフトウェア開発に今度は韓国系の流れが段々と広がってきているわけだ。

注目されるのは、KaTrainは(メインは英語なのだろうが)日本語を含む複数言語で使える点だ。BadukPopは英語、韓国語、簡体字中国語、繁体字中国語の四つに対応している。だから小生は英語で使うことになる。

一つ言えるのは、複数言語で提供するのが理想だが、何かハードウェアなりソフトウェアなりを開発する際には、最低限でも英語を使うことを大前提とする大切さだ。

最近、日本棋院が「囲碁シル」、「碁であそぼ」といった入門(からかなりのレベルまで)向けのAI碁ソフトを提供しているのだが、英語すら残念なことに使えない ― そういえばインストールの時にも言語の選択はなかった。


日本人が何かを説明したり、教えてもらったりするときに、英語を日本語と同じ程度にコミュニケーション・ツールとして使うことは、まず意識しない。何かニュースを日本のメディアで日本語で伝えられた時、海外ではどう伝えているか、まずは英語で聞いてみるということは、ほとんどの人はしない。とにかく日本語だけで済ます。そんな習慣なのだ。英語でそうなのだから、まして中国語やスペイン語、ヒンズー語、アラビア語といったグローバル言語に向けた発信などは、日本人の意識にはないといってよい。

思うのだが、なにも外国語で難しい文章を読んで理解できるようになれとか、すばらしい演説を英語で出来るようになれとか、そんなハイレベルなことは個々人にまかせるとして、日本語以外の言葉で当たり前に意思疎通をしたり、メモを書いたり読んだりするくらいの言語能力くらいは、政府の責任で義務教育のうちから身につけさせてあげるべきだろう。

それがどのくらい役に立つものか難しい教育理論はいらない。自明だろうと思うのだ、ナ。

どの外国語を身に着けるかは、個々の子供の選択にまかしてもいいだろう。全員が英語を身に着ける必要はない。中国語ができる子もいれば、スペイン語が得意になる子がいてもいいではないか?それに何も小学校のうちに日本語と同じ程度に使えるようになれと考える必要はない ― 日本語だって下手な人間は多い。


失われた40年とか、日本人の働き方の低生産性とか、否定的な側面ばかりが指摘されるのが、このところの流行になっているが、これらの主因は何かといえば人様々、専門家は自分の言いたいことを言っているだけである。

しかし、一つだけ確実に言えるのは、高齢者になっても働ける間は働こうという一種の「社会運動」だが、現役勤労者が今の2倍も稼げているなら、おそらく起きなかったろうということだ。もし収入が今の2倍もあれば、若者は社会保険料の負担に苦しむこともなく、社会保障の財政危機に陥ることもなく、市販薬と成分・効果が似ている「OTC類似薬」(例:ロキソニンS、アレグラなど)を医療保険適用外にしろという議論もなかっただろう・・・そんな単純なロジックがある。

そして、現役勤労者の収入がなぜ増えなかったかと言えば、1990年代から2000年代にかけての急速な円高、生産拠点の海外流出、ニュービジネスに対する行き過ぎた規制等々、政府の愚行や不運な点もあったが、基本的には若い人の知識、スキル、言語能力が世界の中では今一つであったことが長期停滞を招いた最大の主因だ、と。そう思っている。

生活水準の低下には働く人々の実力不足という根底的な原因がある。世界に通用する実力があるのに、いつまでも実力相応の収入を得られないという理屈はない。

日本は社会主義ではなく資本主義の国であるから、収入とは一人一人のミクロの収入を指すのであって、マクロの社会的平均を議論しても意味はほとんどない。故に、収入の停滞は日本人一人一人の実力を反映した結果である。


だって考えてごらんなさい。野球やサッカーでは日本出身の超一流選手が続々と登場しているのだ。スポーツで能力を発揮できるのは、言語が必須ではないし、基礎学力が不可欠というわけでもない。だから実力が発揮できるのだ。しかし、商品開発やビジネスアイデアの発信にはグローバル言語を使わねばならない。ほとんどの日本人はこれがほとんど出来ない。

教育さえしっかりとしていれば、あらゆる分野で日本人は潜在的能力を世界で発揮できていたはずである。

こう思うと、いまの若い人たちは何と哀れな時代に生まれたことだろうと、実に暗澹たる気持ちになる。

何かといえば「グローバル化」という言葉を使いつつ、何をすればいいのかには頭を使わなかった国。それが日本である。

高校無償化も給食無償化もいいが、

カネをあげるより、カネを稼ぐ力をつけてやるほうが遥かに重要だ。

最近の日本社会や日本政府は、子供に小遣いをあげるばかりで、忙しいからといって、なにも教えてあげない親のようなものである。 

国も社会も、子を育てるという行為がどんなことなのか、分からなくなってしまったのだろう。


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