2025年12月25日木曜日

断想: 「熊」で終わった「涙コボルる」の世相

今日になって昨日の投稿を読み返してみると、結局のところ最後の方の

高校無償化も給食無償化もいいが、

カネをあげるより、カネを稼ぐ力をつけてやるほうが遥かに重要だ。

最近の日本社会や日本政府は、子供に小遣いをあげるばかりで、忙しいからといって、なにも教えてあげない親のようなものである。

言いたいことはこの一点に尽きるか、と。

今日届いたPaul Krugmanのメールマガジンにこんな下りがあった:

Today is Christmas Eve. We’ll be celebrating in New York with family and friends. I advocated for a traditional NY Jewish Christmas — i.e., Chinese food — but we’ve settled on Korean for Christmas Eve and family dinner at the apartment on the day itself.

今日はクリスマスイブ。ニューヨークで家族や友人とお祝いします。ニューヨークの伝統的なユダヤ教のクリスマス、つまり中華料理を提案していましたが、クリスマスイブは韓国料理、当日はアパートで家族と夕食をとることにしました。

(日本の専門家の一部には同氏に否定的な向きもあるようだが)何だか現代アメリカ社会で学問的な生活を送っている人の感性が伝わってくるようだ。


どこかのネットで『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』というテーマで書かれた記事を読んだことがあって、元記事はどこだったか探していた。

見つけて改めて読み返してみたが、

  • 幼稚とは、肝心なことに目をつぶっているということ
  • 幼稚とは、自己を顧みない、という人として基本的な心の動きが欠けているということ

(残念なことに故人になったが)福田和也氏の上のような指摘が軸になって近年の学校と教師・生徒の状況を批評する内容になっていた。

URL:https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/4184686/2/

肝心なことに目をつぶっているということ。それが幼稚ということか?

確かにその通りだネエ。小生は「臆病」と認識していたが、これ自体が幼稚化現象そのものである、と。確かに幼児は(ごく少ない例外を除き)一般に怖がりで臆病だ。なぜ臆病かと言えば、認識能力と理解力が十分に育っていないからだ。「純粋」と形容するのは、その人が幼稚であるからで、実は「未熟」であると評するのが正しい。

国内メディアが幼稚化し、それは視聴者である日本の大衆の幼稚化に忖度、というより媚びる放送姿勢を意味し、そんなマスコミが作り出す「世論」に政治家が媚びる。政治家も幼稚化しているんだネエ・・・と。そして問題の核心は触れられないままに時間が過ぎる・・・


20年か30年かが過ぎたあと、日本国がどうなっているか予想もつかないが、将来のその時の人は令和初期という今の時代をどう評価し、書くのだろうか?

1930年代に異常化した日本社会と比べるかもしれないし、いわゆる「大正デモクラシー」、理想は高かったものの明治の遺風に反発するだけの、何だか浮わっついた口先・民主主義の時代と比べているかもしれない。

どちらにしても後世に誇れるような世相ではない。

望みは失せて 涙コボルる

そんな時代であります。

せめて『方丈記』を書き残した鴨長明のような文人が現れてほしいものだ。世の中がどれほど堕落しても、幼稚化しても、優れた才能が宿る人物は現れるものだ。たとえ社会や政府が愚かな戦争に(とは限らず他にも下らない政治目標は多々あるが)邁進する時代でも、世相にあらがい、大衆に媚びることなく、自分を表現し文化的遺産を残す人はいるものだ。実際、日本の暗黒時代にあっても文化的創造に努力した人はいたし、それらは何十年のあとにも今日の日本に残っているのである。

 

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