今朝もいつものようにカミさんと馴染みのワイドショーを視ていたところ、食べたものが喉につかえるような事を又々あるコメンテーターが語っていた:
米を増産すると前の農水大臣が話していたのに今は「お米券」を配って増産はしないという。お米券って筋の悪い方法ですよ。需要が多いから価格が騰がっているわけですから、お米券を配ったりするともっと騰がります。それより増産する。増産してもらって価格が下がったら農家に所得を保障してあげる。そうしたら価格は下がります、云々……
確かに理屈は通っている。増産してもらってコストがカバーできなかったら所得補償をする。農家は喜んで米を作るだろう。
キロ当たり100の費用をかけて米を作る。ところが市中の販売価格はキロ当たり60だ。このままでは農家経営が破綻するから政府が40を補填してあげる。そうすれば次年度も農家は米を作れるから安心だ。
こういう理屈だ。
しかし、この方法は農業生産の非効率性を温存するという理由で廃止された《食糧管理制度》とどこが違うのか?
イレギュラーな米価暴落時に農家所得を補填してあげるのであれば、マア、良い。しかし、毎年必ず損失が出るという経営構造になっているのに、それでも損失を補填してあげるというなら、バブル崩壊のあと「ゾンビ企業」が「不良債権」となる中、延命融資を継続した日本の銀行と同じことをやることになるのではないか?
農家の所得補償にあてる財政支出にも財源がいる。その財源は(理屈としては)税である ― もちろん国債発行もありうるが、さすがにこれを主張する御仁はおるまい。
要するに
高コストの米を食べる日本人に米を低価格で食べさせるため、その費用を日本人全体で負担する。
こういう発想である。
しかし、高価なコシヒカリやアキタコマチを愛する日本人のために、なぜその他の日本人がコストを負担しなければならないのだろう?『どうせ国民の税金で農家所得を補填するなら、最初から高い価格で買ってあげれば一番簡単でしょう』と突っ込みも入りそうだ。そんな突っ込みが入れば『高い価格では買ってくれないから困るんです。安くなっているのが困るんです。経営できないンです』、マア、これがTVコメントの話の本質である。
キロ当たり60の販売価格では生産できないという日本の農家の高コスト体質がコメ問題の根底にある。上の数字例だが、なぜ市中の販売価格が60まで下がるのか?人口が減っているとか、消費者の財布が厳しくて需要が増えないというのは違う。確かに高いコメを買い支える需要が出てこないのは事実だ。しかしこれは一つの側面でしかない。もっと大事なのは、それ以上の高価格になると高関税を払ってでも海外の安価な米を輸入できることだ。
コシヒカリなどの銘柄米にこだわっている御仁はいざ知らず、普通の人はカリフォルニア産のカルローズ米で十分だ。少なくとも小生は美味いと思う。故に米価上昇には限度がある。上がり過ぎれば関税込みの輸入米の方が安くなる。許可制ではないので貿易商社は外国米を自由に輸入できる。
日本のコメ関税は定率関税ではなく、キロ当たりの従量制である。米価があがれば関税もあがるわけではない。故に、世界でインフレが進行すれば日本の米作農家を守っているコメ関税というハードルは相対的に低くなる。コメの関税障壁はインフレ進行の中で瓦解するのである。そうなっても、日本がコメ関税を引き上げられる世界情勢ではない。下手にコメ関税を引き上げると、コメ輸出国は報復として対日輸出課徴金を使うでしょう。そうなると、日本人は高い国産米、課徴金込みの高い外国米しか買えないことになる。そうなりゃ、経済戦争になるっていうものです。
遠くない将来、いずれ日本のコメは実質的には自由貿易に近くなるだろう。
問題の本質は、日本の農家の高コスト体質にある。そして、高コスト体質の原因はわかっている。合理的な米作経営にすれば日本でも低コストにできる。低コストで高品質のコメを日本でも作れる。
いまは最も非合理的な米作をしている農家のコストに合わせて米価を決めている。合理的な米作をしている経営者は高い米価で利益を得ている理屈だ。合理的経営を増やし非合理的な経営を減らす。そうすれば日本でも低価格で高品質のコメを作れる。経済学の基本だ。学生でもレポートできる初歩中の初歩である。農水大臣が先ずやるべきことはこれだろうと、小生は思うが、日本社会は違った筋道で思考しているようだから、まったく訳が分からない。
コメの生産が非合理的であるだけではなく、日本社会全体が非合理的であるようだ。
具体的に合理的な米生産とはどこが合理的なのか?非合理的というのはどこが非合理的なのか?……、ここまで書くと身もふたもない。AIに質問すれば何時でも回答してくれる。
いずれにしても、高コスト体質の米作農業を肯定して、それを温存するためにカネを投入せよというのは、それ以外の必要な分野にはカネを回すなというロジックになる。まさに《反・経済成長》、《反・科学》。小生には、本日のワイドショーの見解は《反社会的》であると感じました。マア、「言うべきことは言うな、しかし何かを言え」とでも台本に書かれていれば、この位になるかナア、という事ではあったかもしれないが決して感心できる内容ではない。
【加筆修正:2025-12-05】
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