小室直樹といえば亡くなってもう10年以上がたつが、生前は傍若無人にして時に天才的見解を語る評論家として名前だけは知っていた。ただ、仕事があまりに忙しく、氏の著書はほとんど読まないという状況が続いた。
氏の著書を初めて読んでみたのは、亡くなったすぐ後の頃だったかと思うが、何を読んだのだったかな?・・・忘れてしまった。忘れたが、この時代に読むにはもう遅すぎたかな、とそんな感覚があったことだけ覚えている。リアルタイムで新著が出るたびに読んでいれば、その鋭さに感服していたのかもしれない。
このように縁は薄かった小室氏であるが、最近、小室氏が書いた次のような短文が引用されているのを見かけた(文中、小生の裁量で意味のとおりにくい個所に修正を入れてあること、ご容赦を):
政治は元々極めて野獣的なものであるから、「政治倫理」と言う事自体、既に大きな矛盾を内包している。此処の処が、どうしても日本人には分からない。
日本人は、政治の倫理の中へ、無制限に一般普通人の倫理を流入せしめるからこそ、却って、其れ自身、独自的でなければならない政治倫理は、自分自身を確立する事が出来ず、政治はアノミー化する。政治の倫理は、庶民の素朴な正義感と正面衝突する。
政治家の任務は、「国民を幸せにし国家を安全にする」事にあるのだから、其の目的を実現する為には、普通の人間に許され
る(ない?)場合が屡々(しばしば)ある。政治の世界は、一般人の生活世界とは違うのである。そう言う政治世界で有能な政治家である為には、政治家たるもの、権力欲に滾(たぎ)っている人間でないと駄目である。
此の事を、国民ははっきりと理解すべきである。
権力欲のない政治家は、国を滅ぼすのである。だから「出たい人より出したい人を」
等(などと?)言うスローガンは、ナンセンスも甚だしい。俺が俺がと、権力欲の権化の様な人物でなければ、国を富まし隆盛に導く事は出来ないのである。権力欲が全然ない近衛文麿は全然ダメで、権力欲が余りない片山哲や鈴木善幸が殆どダメだった事を思い出すといい。
リヴァイアサンの様な怪獣でないと誠実(まとも)な政治は出来ない。
何時(いつ)の世でもそうだが、特にデモクラシーズ(デモクラシー諸国)が存続し得る条件は、其の上、立憲の常道が守られ、ジャーナリズムが正常に機能している事である。
URL: https://note.com/howan2878/n/ne8843cc1d385
いやあ、小室氏ですか、懐かしいなあと思った。それに書かれていることは、まさに小室節にして、正論そのもの、最近流行している単語を使えば「ド正論」である。
それにしても「ド正論」だと認識しながら、それを行為につなげていかない現代日本社会の傾向は、とどのつまり、いったい何なンでしょうね?
政治家とは強制力をもつ権力を堂々とふるう人物である。
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