2012年6月10日日曜日

日曜日の話し(6/10)

今日は6月10日。連想ゲームのように徒然に書いていきたい。

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、1865年の今日、ドイツ・ミュンヘンで初演された。オペラというと舞台を見に行ってこそ醍醐味が伝わるが、一流のオペラとなるとチケットは▲▲万円する。CDが便利だ。小生が某官庁に入って仕事を始める直前の時期、まだ学生で暇だった最後の何ヶ月か、寒い毎日をコタツに入って寝転び、マタチッチ指揮の「神々の黄昏」ハイライトを聴きながら独りで過ごすことが多かった。その冬、ガンが再発した父はもう助からないだろうと、母は実家に帰った小生に語りかけ、小生はまた同じことを母に確かめるように話しかけながら、やがてくる父のいない生活を想像していた。下宿に戻って一人になると、ワーグナーを聴き続けていた。その後、ワーグナーの長大な楽劇を通して聴くことはあまりない。オペラならモーツアルトやベルディをとるのが常だが、その時期ばかりは憑かれたようにワーグナーを集中的に聴いていた。だから今でもワーグナーが聞こえると暗かった当時の暮らしを思い出す。

ワーグナーの肖像画は数多いが、彼の死の直前にルノワールが描いた下の逸品を私は好んでいる。

Pierre-Auguste Renoir, Portrait of Richard Wagner, 1882
Musée d'Orsay, Paris, France

ルノワールは、モネと並んで印象派の中心人物に数えられているが、その人生を通じて(ピカソほどではないが)大きく画風を変えた人であると言われるー  一生迷い続けたと言われている割には小生が見るとルノワールはどれもルノワールだが。

ルノワールは、フランス人にしては珍しくワーグナーを好んでいたようだ。ワーグナーといえば哲学者ニーチェが有名だー 後になって決別したが。
誇りを持って生きられないなら、誇りを以って死ぬべきだ。
母親は息子の友人が成功すると嫉む。
母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。
自分自身という存在と自分をとりまく世界という存在について西洋哲学はずっと考えてきたわけだが、ニーチェに至って「神」や「普遍」という超越的存在が完全に否定され、現実あるのみ、その現実は自分が心の中で再構成したものであるから、要するに自分自身あるのみ、となった。東洋の「天上天下唯我独尊」と言えば別に驚くほどのことでもないか。まあ素人だから言葉の表現は適切を欠くと思うが、実存主義の始まりである。

こういう話しは嫌いではない。とはいえ、<善>は誰が<善>と口にしても、同一の意味内容をもつのでなければ、議論はできない。その議論をする以上は、善とは何か、人間が忘れているだけであり、そういう真の価値があることは誰にとっても共通の知識なのだ。誰でもが合意するような真の結論がある。そういう考え方のほうが、小生の立場ではある、というか分かりやすい。

ワーグナー・ファンはナチス政権の上層部に多かったようだ。ナチスの根本思想はニーチェであったとも指摘されている。そのため第二次大戦後のしばらくの期間、ドイツ国内でワーグナーを演奏することは自粛されていて、バイロイト音楽祭が再開されたのは戦後6年目の1951年であった。そのナチス政権の文化広報担当大臣であったゲッベルスはドイツ表現派「ブリュッケ」に参加した画家エミール・ノルデの水彩画を好んでいたそうである。ノルデ本人も一時期ナチス党員であったという記述がある。

Emil Nolde, 1943年

上の事情にもかかわらず、ノルデはナチス政権から退廃芸術との烙印を公式にくだされ、戦争中はドイツ・デンマーク国境に近い寒村に妻とともに隠棲し、その間おびただしい数の水彩画を制作した。上の作品はそんな時代に描かれた一つである。

やがて病を得た妻とともにノルデは戦後まで生き続けた。その時の事情は次の一文からも窺われて、大変感動的である。
He survived the war, as did his invalid wife, who died in November 1946. As the grand old man of German art, Nolde now enjoyed a new lease of life. In 1947 there were exhibitions in Kiel and Lubeck to celebrate his eightieth birthday. In 1948 he married a twenty eight year old woman, the daughter of a friend. In 1952 he was awarded the German Order of Merit, his country's highest civilian decoration. He continued to work with tremendous energy, producing oils based on the watercolours he had created during the years of persecution. His last oil painting was done in 1951, and he was able to make watercolours late in 1955. Nolde died in April 1956, aged eighty eight.  
(Source: http://www.artchive.com/artchive//N/nolde.html)

2012年6月9日土曜日

「確実な議論をしましょうよ」症候群の再発ですな、これは

2030年時点の原発依存率をどう展望するか?これは新エネルギー基本計画の核心である。それを現状通りとすれば、与えられた需要見通しの下では、これまで通りの新規原発の建設計画を淡々と実行していくことになる。需要見通しが一定として、原発依存率を下げようとなれば、既存の建設計画の一部は不必要となる。その代わりに、火力とか、再エネとか、別の一次エネルギーを確保しないといけない。需要を落とすことはエネルギーを使わないということだから、我慢するか、人力・家畜に頼るか、技術進歩を実現するか。いずれかだ。これが理屈だから、原発依存率の展望で激論が交わされてきたのは、当然である。

8日に開催された関係閣僚による「エネルギー・環境会議」で新しいエネルギー・環境政策に向けた中間報告がまとめられた。これによれば2030年時点の原発依存率は、0%、15%、20〜25%の三案が採用された。経済産業省の総合エネルギー調査会の議論では、上の三案の他に「35%」と「市場の選択にゆだねる」も参考として明示されていたが、「エネルギー・環境会議」では、この二つを外すことにしたという。

どうやら政府部内では「15%」が有力な候補らしい。脱原子力路線はハッキリしてきたようだ。ま、脱原発自体は、ドイツも既に宣言しているので、驚くことでもないが。

× × ×

やれやれ。まあ、決めたいなら決めてもよろしいが、市場に選択をゆだねる案も削除したのは「やっぱり、確実な結論にしたいのですねえ」と改めて感じ入る次第だ。もし、再生エネルギー電力の立ち上がりが政府の財源不足で想定外に遅れ、一方で化石燃料価格が想定外に上昇したときは、日本経済に想定外のショックがはしり、労働市場は予想を超える激震に見舞われるだろう。リストラを苦にした自殺も当然増えよう。ギリシアのように焼身自殺すらTV画面に登場するかもしれぬ。そのとき、総発電量に対する原発比率を各年度▲▲%ずつ引き下げるなどと政府が決めていれば、それこそ自縄自縛となって、「○○原発を臨時緊急の措置として再稼働させる」と。またまた日本の行政は混乱し、経済産業大臣が責任をとって辞任するなどという事態になるかもしれぬ。こうなる確率は相当程度あるのではないか?そしてまた、こうした騒動は望ましくなく、不必要で、かつ避けうる混乱であると、今という時点でハッキリと言えるのだ。

当面の結論だけをハッキリさせたいが故に、近い将来でハッキリとしない点が増えるのだ。どうなるか分からない<仮定上の議論>を今やっても無意味ではないか?こういう意見は、要するに、そういうことなのだ。

こういう非科学的な発想が日本の公の場ではどれほど多いことか。こういう<仮定上の議論>を嫌がるスピリットこそ、東京電力が大津波襲来を甘く見た主因であり、リスク管理を怠り、十分な安全投資が手遅れになった根本原因なのである。「仮に想定通りにいかない場合にはどうするか?」という議論は、想定通りに行かないと考えていることとは違うが、日本国では「想定通りに行かないと考えているからこそ、そんな議論を仕掛けるのだろう」となる。「隠していることがあればオープンにするべきだ」という意見があふれるのだ。備えあれば憂いなしというが、日本国ではいつまでたっても憂いがなくならない所以であろう。

× × ×

<安全保障>なのだろうなあ、脱原発をはっきりといま言えと求めている理由は。それは分かるが、怖いから飛行機に乗らない。怖いから自動車の運転をしない。怖いから料理で包丁は持たない。怖いから冬の雪かきで屋根に登らない。怖いから原子力は使わない、・・・。別に悪い訳じゃないが、福島第一は人災なのではないですか?そう言う人が多いでしょう。不必要な技術不信、科学不信から結論を出すと、不必要な貧乏を招くよ、と。日本国全体の収入が減るよ、と。工場が流出するよ、と。チェルノブイリ事故に見舞われたウクライナの二の舞だよ、と。ウクライナは原発を再稼働したが、ずっと後のことだ。日本も、ずっと後、子供たちが原発を再稼働するのは許すってこと?その時は、もう我々は死んでいるかもしれないしね。「そんな風に考えているのか!」と言われても仕方がないのじゃないか。

何一つ、確実なことなんてないのである。政府がどんなに賢くとも、どんな決定を下すにしても、その決定が裏目に出るというリスクはあるのである。リスクがないかのような体裁にするのは不誠実である。失敗の可能性は日本人が共同で負担するしかないのだ。環境をきれいにし、環境に優しい産業しか持たないと決めるなら、これから産業構造の変化が進むだろう。経済的に苦しくなる家計も増えるだろう。社会が決めた以上、社会が支援するのは当たり前だ。教育コストも支援するべきだ。となると、年金はどうする。介護はどうする。賄えないじゃないか。政府の支出が増えるなら税金も増やさないといかん。しかし、こうなると決まった訳じゃないよね・・・

そう。もちろん<仮定上の話し>である。しかし、仮定上の話を嫌がる傾向が、(本当に)日本人のウィークポイントとしてあるなら、必ず再び、想定外の混乱に陥るだろう。次ぎにくる混乱は、地震ではない(それらは数百年、千年に一度くらいの頻度だ)、津波でもない(数十年に一度くらいだ)。もっと別の混乱であろう。これは、結局、行うべき議論を逃げたコストを、事後的に支払うということなのだ。

だから、今回の「原発依存率=▲▲%決定」のための議論は、「不確実は嫌い」という我々みんなが有している国民的・社会的・心理的なバイアスがもたらした議論だと思えるのだ、な。

2012年6月7日木曜日

ドイツ主導で金融規制がまとまるか?

和の精神というのが、小生、幼少の頃より苦手である。小学生の頃、終業式でもらう通知票に「協調性に欠ける」と何度か書かれていたものだ。しかし、亡くなった父から「お前は協調性をみがかんといかんなあ」と言われると、どうも反発の念を感じたものだ。父は、たくさんいる兄弟の長男として成長したせいか、指導するということに慣れていて、異論をいうと「そこがいかん」と言うのが常であった。それって、全然協調してないよね。小生、言いたかったのだが、怖くて言えない。哲学者ソクラテスは、冤罪で死刑となった。友人は逃亡するように懇願したが、泰然と死に赴いた。その時のやりとりが名著「パイドン」になって残されている。ソクラテスは、そこで「わしはみんなのために死ぬんじゃよ」などとは一言も語っていない。「法に従うことは、自分の魂の清浄を守るためなのじゃ」と。これ即ち「悪法もまた法なり」。自分で決めている。みんなは関係ない。格好いいじゃないか。自分が善しと思うように生きる。和なんてどうにでもなれ、と。一度でいいから父に言いたかったなあ。

× × ×

金融投資は自己責任の世界である。負ければ誰が悪いのでもない。まして世の中が悪い訳ではない。投機があたって大富豪になっても、誰に遠慮をしなければならないわけじゃない。大いばりだ。しかし、世界市場を暴走族のように暴れ回られると、大半の人にとっては迷惑だ。それに金融危機の後始末で税金が使われている。金融マンよ、この現実をどうする、と。規制しよう。それが今の世界の方向だ。

独紙Frankfurter Allgemeineに以下の報道がある。
Zwar stehen Einzelheiten nicht fest – außer dem Umstand, dass es sich nicht um eine umfassende Besteuerung aller Finanzgeschäfte (Finanztransaktionssteuer) handeln soll, weil diese weder in der gesamten Europäischen Union noch in der Eurozone durchsetzbar ist. Aber die Vorsitzenden der drei Koalitionsparteien, Angela Merkel (CDU), Horst Seehofer (CSU) und Philipp Rösler (FDP), haben Unterhändler beauftragt, ein Modell zu entwickeln, wie die Finanzmärkte an den Kosten der Finanzkrise beteiligt werden könnten. Am Dienstagabend beriet erstmals eine Arbeitsgruppe von Koalition und Opposition über die Einführung einer Finanzmarktsteuer. (Source: Frankfurter Allgemeine Zeitung, 05.06.2012)
金融危機発生から生じるコストに対して金融業界は応分の負担をするべきであるという発想だ、な。こういう政策方針が検討されていることは聞いていた。金融取引課税の導入で与野党協議も始まるようだ。なるほど、大分まとまってきているわけじゃな、と。
Zuletzt hatte Frau Merkel auf einer Konferenz mit CDU-Kreisvorsitzenden am Wochenende neue Möglichkeiten der Besteuerung angesprochen: „Wir schauen, ob wir vielleicht mit einigen ähnlich gestimmten Ländern etwas hinbekommen.“ Rösler deutete am Dienstag ein Einlenken an. Er ließ wissen, er habe „nichts gegen eine kluge Regulierung der Finanzmärkte“. Zu den möglichen Mitteln gehörten ein Verbot des „Hochfrequenzhandels“ und eine „Besteuerung von Derivaten“. (出所:上と同じ)
導入されるとすれば、(一定期間における)取引頻度規制、金融派生商品取引への課税。この二つが挙げられている。ただEU全域で導入するのか、ユーロ圏で導入するかなど、乗り越えるべき点は多いだろう。
× × ×

日本はデリバティブにはなじみが薄く、金融工学上の技術水準、商品開発力、販売力、顧客層ともども、まだまだ後進国である。それを規制するのは自分の首を絞めるようなものかもしれない。ただ日本も<金融暴走族>を取り締まった方がよいのは確かだ。さしづめ円ドル取引、外国為替市場はターゲットにするべきだ。これは前稿でも書いたことだ。 

2012年6月5日火曜日

グローバル投機マネーは世界経済に貢献しているのか?

日本の株式市場が歴史的安値に沈んでいる。日本だけではない。米市場、欧州市場、アジア市場も下げているから世界同時株安である。

しかし細かく見ると、為替相場安と株安が同時進行しているヨーロッパがある一方で、日本は為替相場高と株安が並行している。確かに円ベースでは株安だが、ドルベースでは、あるいはユーロベースではそれほどの株安ではない。円で安くなっているものが本当に安いのなら、金も円ベースで1オンス12万円台で安値水準である。しかしドルベースでは久しぶりに1600ドルを超えた。金は上がっているというのが、世界の実態だ。同じように日本株も円では下がっているが、国際通貨ドル・ユーロではそれほど下がっているわけではない。

東京市場の過半、相当部分は海外投資家による取引であり、日本株を買うか売るかの判断は、ドルベース・ユーロベースで投資先を管理している中で判断されている。円が上がれば日本株を売って益出しを図るのは合理的行動だ。

投機は経済活動を行うすべての参加者にプラスの利益をもたらすというのは、確かに経済学のロジックだ。ここまではよい。

しかし、日本で起業し、日本で成長してから海外に進出しようと考えている日本企業の立場に立てば、円ベースの株価が(業績とはほぼ無関係に)長期的に下落する現状は、明らかに資本調達の便宜を損なっている。グローバル投資家は、日本企業に投資しようと考えて円を選択しているわけではない。日本円でマネーを保有していれば損をしないと予想するから円を短期間保有するだけのことである。だから円高を招いている。それが株安を引きおこしている。因果関係はこう解釈するべきだ。それは確かに海外資本の利益にはかなっている。しかし日本企業の利益には反している。海外投資家のプラスと日本企業のマイナスを合計してグローバルに考える視点は重要だが、世界のプラスのために日本の産業がマイナスを耐え忍ぶ必要は、本来的には、ない。

海外資本の利益にかなう状態を放置することで、日本企業の成長機会を奪うべきではない。

政策当局は、現物・先物為替取引に為替取引税を課し、同時に国内株式の売却益・配当課税を引き下げるべきである。一過性の小手先介入をやるかやらないか、グダグダと議論する世界経済状況ではなかろう。本質的に国益にかなう政策方針をとるべきだ。

2012年6月4日月曜日

悪いやつほどよく眠るか?

昨日の野田首相対小沢元代表との再会談決裂がトップ記事かと思いきや、オウム真理教の元信者である菊地直子容疑者逮捕の報道である。同容疑者は昨年自首した平田信容疑者を永年の間匿ったことでも追跡されていた。聞けばサリン製造に加担していたともいうから、今後厳しい取り調べが始まるだろう。予断は許されない。

フランスの哲学者アランの著書に『プラトンに関する11章』があり森進一氏による邦訳も出版されている。プラトンといえば経験主義に対する理性主義、経験論に対する観念論で有名だ。死語と化している<プラトニック•ラブ>とは<純愛>のことであります。つまり見えている現実はイメージの影であり、実在するのはイメージの方である、と。こういう立場の人である。たとえばサイコロがある。サイコロは立方体だが、立方体をまるごと認識しているのは心であって、目に見ているのは常にサイコロの一面である。真の実在は心の中にある。だからラファエロの名画でもプラトンは天を指さし、師を裏切った弟子アリストテレスは地を指している。下の絵の中央部分に並び立つ二人だ。


ラファエロ、アテネの学堂、1510年

なるほどねえ。プラトンは2500年程も昔の人であるが、最初に知ったときは何だかムニャムニャ書いているようで、分からなかった。ところが愚息に話してやるので、読み返してみると、これは結構深いのではないかと、心うたれた。

アラン『プラトンに関する11章』の中に次の下りがある。
いったい誰が不正であろうと望むであろうか。 
かりに他のいっさいのことでは成功しているひとでも、正義を怠る機会を待ち望んだり、つかんだりするなら、そのひとは、真底では明らかに病んでおり、脆弱であり、心の奥の奴隷性にひどく罰せられているのだ。 
•••つまり悪人とはヘマな人間のことだ。悪を欲するのも、常に善をめがけてである。
悪いやつとはヘマな奴。そういう哲学だ、な。実は小生の田舎では人間を四分類する言い方がある ー いまでも使っているかなあ。それは<利口利口>、<利口バカ>、<バカ利口>、<バカバカ>である。頭がよく、本当に世の真実を洞察し、行動も間違わない人は利口利口である。 バカ利口は、鈍で知識もなく、テキパキと物事をこなすことはできないが、賢い人に聞くから実際には間違わない。そんな人のこと。これを「運のいい人」と語る御仁もいるが、運ではないのだ。このように始めの二文字が形容詞、後の二文字が実態を表している。

悪人はヘマな奴とすれば、バカバカか利口バカのどちらかだ。今日の表題になるほどの巨悪を実行するほどの人間なら頭はいい。だから、そいつは利口バカである。善かれと思って、やっちまった。間違ったあ!悪人なんて、そういうものだ。そんな社会観であります。どこが間違っていたか、頭がいいなら己の誤りがどこにあったか、それを悟れるはずだ。償いもテキパキとやるだろう。それが社会的利益にかなうのではないか?確かにそういう考え方もあるかもしれぬ。

2012年6月3日日曜日

日曜日の話し(6/3)

美術は千年さかのぼって見ても、名作はやはり名作である。稀な名作の裏には無数の凡作があったに違いない。それらの凡作は現在まで伝えられず、所有者の手を離れたあと、それほどの時間を必要とせず地上から消えていった。今はもうない、というのはそういうことだ。

千年前の日本は平安時代であったが、その時代の普通の人が所有していた身の回りの装飾のほうが、今日まで残っている仏教絵画などの美術作品よりも、よほど数多くあったはずだ。しかし、それらは廃棄されたり、焼亡したりして、全てなくなってしまった。どれほど見たいと思っても、現代の日本人は見ることはできないのだ。よほど世間に流布された「源氏物語絵巻」など、ごく少数の作品は模造品などが制作されたので、それが作品の長い寿命を保たせることになった。贋作には贋作の歴史的使命があるというものだ。著作権など小うるさく主張するものではないという指摘も一面の真理である。

先日、発注したiPadが届いてから数日間、手なずけるまで時間を要した。やっと落ち着いてきたところだ。


上はiPadのアプリ"Paper"で描いてみた。フ~~ム、これがタブレットで描けてしまうなんてねえ・・・。スケッチブックなんて、もういらねえじゃねえか。書き間違えたら、消しゴム・モードにして消せばよい。あっという間に、最初から。便利だ。

下はカンディンスキーとも交流があり、青騎士旗揚げ時にも参加し、年刊誌"Der Blaue Reiter"にも同人フランツ・マルクの友人として『仮面』を寄稿したアウグスト・マッケの作品"Vor der Regatta"である。制作年は不詳だ。



制作年は不詳だが、画家マッケは1887年に生まれ、1914年には第一次大戦に従軍しフランス・シャンパーニュ地方の村ペルト・レ・ユルリュで早すぎる死を遂げている。彼の瑞々しい画風は、1907年に最初にパリを訪れ、印象派による美の創造を観てから形成されたものである。20歳の時だ。上の作品からももその薫りがうかがえる。してみれば、上の作品が描かれたのは、1910年代の中のいつかであることは、ほぼ間違いがない。

マッケの作品が100年後の今日まで残ったのは彼が死んだあと、未亡人エリーザベットと再婚の相手ローター・エルトマンの努力の賜物である。ナチス政権による文化抑圧をかいくぐって美術作品を保護するのは大変だった。その事情はカンディンスキーがドイツに残した作品を守ったミュンターも同じだった。コピーはとれないし、収蔵のためのスペースも必要だし、湿気から守る必要もある。真作はたった一つしかないのだ。他方、iPadで描けばコピーはいつでも作れる。SDカードに何千枚も保存できるし、持ち運びは至極便利、隠せば発見もされにくい。

しかし電子芸術は、記憶媒体とともに再生装置やその再生装置を動作させるソフトウェアが全て毀損されることなく完全な形で残されなければ、SDカードだけがあっても役に立たない。小生思うのだが、今日のSDカードやUSBメモリーは平安時代の屏風や扇にも似て、一定時間がたった後は何一つ残らないのではないか。そんな気もする。ま、ファイルが残っていればいいわけか。だとすると、形のないファイルとして残りますかね。しかし、ファイルを相手に真作とか偽作とか騒ぐはずはない。

それはちょうど、神田の古本屋街で昭和40年前後の『週刊少年マガジン』が一冊1万円前後で売買され、その隣の店では岩波書店が発行した『漱石全集』全16冊が価格8千円程度で売られている。こんな事情ともどこかで似ているようである。

2012年6月1日金曜日

世界経済 ― 3か月前の予想と全く違った展開なのか?

昨年末には、そろそろ中国が経済再加速にギアチェンジをして、アメリカは大統領選挙の年、欧州はドイツの好調とイタリアの引き締めの綱引きになるだろうが大崩れはしないだろう、日本は(いくら何でも)大震災からの復興需要が本格化するだろう・・・・と、まあ、方向としては上向きを予測していた。OECDの景気先行指標の動きもそんな形を示していた。

ところが・・・

5月のIFOビジネスサーベイの結果はドイツ経済の急減速である。
The Ifo Business Climate Index for industry and trade in Germany fell significantly in May. Assessments of the current business situation deteriorated clearly. The business situation nevertheless remains above the long-term average. Companies also expressed greater pessimism about their business outlook. The recent surge in uncertainty in the Eurozone is impacting the German economy. (Source: IFO NEWS, May 2012)

さすがのドイツも、ドイツ国内ではギリシア放棄の観測が高まっているし、問題は既にギリシア離脱ではなくユーロ圏存続の可能性をどう見るかという点に移りつつある。ドイツは通貨統合によって損をせず、得をしてきた側であることを考慮すると、ユーロ圏の将来不安がドイツ経済に暗雲を投げかけるとしても、それは当然の理屈である。

一方、5月公表のOECD景気先行指標をみると、こう書いてある。
Composite leading indicators (CLIs), designed to anticipate turning points in economic activity relative to trend, point to regained momentum in the OECD area but with divergence between economies
Compared to last month’s assessment, the CLIs for Japan and the United States show stronger signs of improvements in economic activity, pointing towards an expansion. In the Euro area, the CLIs for France and Italy continue to point to sluggish economic activity below long term trend. The CLIs for Germany and most other Euro area economies show slightly more positive signals. The CLI for the United Kingdom and major emerging economies, in particular China, where the assessment points to above trend growth, are showing stronger positive signals compared to last month’s assessment.
 近年の世界経済はシンクロナイズすることが多いが、足元ではディ・シンクロナイズしている。日本の経済財政白書用語を使うと<跛行性を強める世界経済>というところだ。

ただ中国経済についてはOECDは強気にみている。実際、先行指標は下の図のようになっている。


どうみても底打ちは昨年末に終えており、今後は長期的トレンドを超えていこうという形である。ところが本日の日本経済新聞には以下の報道がある。
【ムンバイ=黒沼勇史】インドや中国など新興国経済が予想を上回るペースで減速している。インドの1~3月期の実質成長率は5.3%と、7年ぶりの低い伸びとなった。中国でも輸出や消費が振るわない。物価高を抑えるための昨年までの金融引き締めや欧州危機が響いた。各国は利下げなどで景気テコ入れを急ぐ。(出所:日本経済新聞、2012年6月1日付け朝刊)
自然体で政策運営をしても中国経済はこれから上向くはずの状況ではあるまいか?ところが足もとのレベルはまだ低い。そこでアクセルを思いっきり踏む。そういうことか。中国政府も政権交代期にある。経済状況の明暗が及ぼす影響は、派閥ごとに一様ではあるまい。とはいえ、アクセルの踏み方によってはインフレが再び問題化するかもしれない。国際商品市況、中でも原油価格市場にとって想定外のランダムファクターになるかもしれない。

新興国経済が円滑な成長を持続していくかどうか、ギリシアの再選挙にもまして、注意が必要だ。幸い、このところ原油価格は騰勢一服しているが、予断は許さないと思う。

それとユーロ圏そのものの未来であります、な。大きな鍵は。ギリシアの国政選挙で財政緊縮が頓挫しそうであることはある程度分かっていた。フランスの大統領選挙で左翼政権が生まれそうだということも、サルコジ前大統領の評価を見る限り、ある程度わかっていた。メルケル首相が次第に孤立するだろうということも、ある程度、分かっていた。ドイツ流の財政緊縮一点張りの政策は次第に難しくなるだろう。これも分かっていた。それなら、<ユーロ圏崩壊>もまた未来予想図の中に入れるべき時が来たのか?

それは違う。何故ならドイツが欧州全体の経済発展にどのように向き合うのか?その覚悟のほどに依存するからであり、そのドイツの覚悟はこれから形成されるものであり、どの程度まで形成されるかが不確実だからである。そこが予測できないので、欧州が良い方向に再建される見込みになるのか、このまま崩壊していくのか、分からないのだ。故に、今後一年間の世界経済の予測も甚だ難しい。いわゆる確率法則とは別の<不確実性(Uncertainty)>が増大している。