ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、1865年の今日、ドイツ・ミュンヘンで初演された。オペラというと舞台を見に行ってこそ醍醐味が伝わるが、一流のオペラとなるとチケットは▲▲万円する。CDが便利だ。小生が某官庁に入って仕事を始める直前の時期、まだ学生で暇だった最後の何ヶ月か、寒い毎日をコタツに入って寝転び、マタチッチ指揮の「神々の黄昏」ハイライトを聴きながら独りで過ごすことが多かった。その冬、ガンが再発した父はもう助からないだろうと、母は実家に帰った小生に語りかけ、小生はまた同じことを母に確かめるように話しかけながら、やがてくる父のいない生活を想像していた。下宿に戻って一人になると、ワーグナーを聴き続けていた。その後、ワーグナーの長大な楽劇を通して聴くことはあまりない。オペラならモーツアルトやベルディをとるのが常だが、その時期ばかりは憑かれたようにワーグナーを集中的に聴いていた。だから今でもワーグナーが聞こえると暗かった当時の暮らしを思い出す。
ワーグナーの肖像画は数多いが、彼の死の直前にルノワールが描いた下の逸品を私は好んでいる。
Pierre-Auguste Renoir, Portrait of Richard Wagner, 1882
Musée d'Orsay, Paris, France
Source: Olga's Gallery
ルノワールは、モネと並んで印象派の中心人物に数えられているが、その人生を通じて(ピカソほどではないが)大きく画風を変えた人であると言われるー 一生迷い続けたと言われている割には小生が見るとルノワールはどれもルノワールだが。
ルノワールは、フランス人にしては珍しくワーグナーを好んでいたようだ。ワーグナーといえば哲学者ニーチェが有名だー 後になって決別したが。
誇りを持って生きられないなら、誇りを以って死ぬべきだ。自分自身という存在と自分をとりまく世界という存在について西洋哲学はずっと考えてきたわけだが、ニーチェに至って「神」や「普遍」という超越的存在が完全に否定され、現実あるのみ、その現実は自分が心の中で再構成したものであるから、要するに自分自身あるのみ、となった。東洋の「天上天下唯我独尊」と言えば別に驚くほどのことでもないか。まあ素人だから言葉の表現は適切を欠くと思うが、実存主義の始まりである。
母親は息子の友人が成功すると嫉む。
母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。
こういう話しは嫌いではない。とはいえ、<善>は誰が<善>と口にしても、同一の意味内容をもつのでなければ、議論はできない。その議論をする以上は、善とは何か、人間が忘れているだけであり、そういう真の価値があることは誰にとっても共通の知識なのだ。誰でもが合意するような真の結論がある。そういう考え方のほうが、小生の立場ではある、というか分かりやすい。
ワーグナー・ファンはナチス政権の上層部に多かったようだ。ナチスの根本思想はニーチェであったとも指摘されている。そのため第二次大戦後のしばらくの期間、ドイツ国内でワーグナーを演奏することは自粛されていて、バイロイト音楽祭が再開されたのは戦後6年目の1951年であった。そのナチス政権の文化広報担当大臣であったゲッベルスはドイツ表現派「ブリュッケ」に参加した画家エミール・ノルデの水彩画を好んでいたそうである。ノルデ本人も一時期ナチス党員であったという記述がある。
Emil Nolde, 1943年
上の事情にもかかわらず、ノルデはナチス政権から退廃芸術との烙印を公式にくだされ、戦争中はドイツ・デンマーク国境に近い寒村に妻とともに隠棲し、その間おびただしい数の水彩画を制作した。上の作品はそんな時代に描かれた一つである。
やがて病を得た妻とともにノルデは戦後まで生き続けた。その時の事情は次の一文からも窺われて、大変感動的である。
He survived the war, as did his invalid wife, who died in November 1946. As the grand old man of German art, Nolde now enjoyed a new lease of life. In 1947 there were exhibitions in Kiel and Lubeck to celebrate his eightieth birthday. In 1948 he married a twenty eight year old woman, the daughter of a friend. In 1952 he was awarded the German Order of Merit, his country's highest civilian decoration. He continued to work with tremendous energy, producing oils based on the watercolours he had created during the years of persecution. His last oil painting was done in 1951, and he was able to make watercolours late in 1955. Nolde died in April 1956, aged eighty eight.
(Source: http://www.artchive.com/artchive//N/nolde.html)
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