2012年6月4日月曜日

悪いやつほどよく眠るか?

昨日の野田首相対小沢元代表との再会談決裂がトップ記事かと思いきや、オウム真理教の元信者である菊地直子容疑者逮捕の報道である。同容疑者は昨年自首した平田信容疑者を永年の間匿ったことでも追跡されていた。聞けばサリン製造に加担していたともいうから、今後厳しい取り調べが始まるだろう。予断は許されない。

フランスの哲学者アランの著書に『プラトンに関する11章』があり森進一氏による邦訳も出版されている。プラトンといえば経験主義に対する理性主義、経験論に対する観念論で有名だ。死語と化している<プラトニック•ラブ>とは<純愛>のことであります。つまり見えている現実はイメージの影であり、実在するのはイメージの方である、と。こういう立場の人である。たとえばサイコロがある。サイコロは立方体だが、立方体をまるごと認識しているのは心であって、目に見ているのは常にサイコロの一面である。真の実在は心の中にある。だからラファエロの名画でもプラトンは天を指さし、師を裏切った弟子アリストテレスは地を指している。下の絵の中央部分に並び立つ二人だ。


ラファエロ、アテネの学堂、1510年

なるほどねえ。プラトンは2500年程も昔の人であるが、最初に知ったときは何だかムニャムニャ書いているようで、分からなかった。ところが愚息に話してやるので、読み返してみると、これは結構深いのではないかと、心うたれた。

アラン『プラトンに関する11章』の中に次の下りがある。
いったい誰が不正であろうと望むであろうか。 
かりに他のいっさいのことでは成功しているひとでも、正義を怠る機会を待ち望んだり、つかんだりするなら、そのひとは、真底では明らかに病んでおり、脆弱であり、心の奥の奴隷性にひどく罰せられているのだ。 
•••つまり悪人とはヘマな人間のことだ。悪を欲するのも、常に善をめがけてである。
悪いやつとはヘマな奴。そういう哲学だ、な。実は小生の田舎では人間を四分類する言い方がある ー いまでも使っているかなあ。それは<利口利口>、<利口バカ>、<バカ利口>、<バカバカ>である。頭がよく、本当に世の真実を洞察し、行動も間違わない人は利口利口である。 バカ利口は、鈍で知識もなく、テキパキと物事をこなすことはできないが、賢い人に聞くから実際には間違わない。そんな人のこと。これを「運のいい人」と語る御仁もいるが、運ではないのだ。このように始めの二文字が形容詞、後の二文字が実態を表している。

悪人はヘマな奴とすれば、バカバカか利口バカのどちらかだ。今日の表題になるほどの巨悪を実行するほどの人間なら頭はいい。だから、そいつは利口バカである。善かれと思って、やっちまった。間違ったあ!悪人なんて、そういうものだ。そんな社会観であります。どこが間違っていたか、頭がいいなら己の誤りがどこにあったか、それを悟れるはずだ。償いもテキパキとやるだろう。それが社会的利益にかなうのではないか?確かにそういう考え方もあるかもしれぬ。

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