2012年8月13日月曜日

だって、あれは嫌だから ― このネガティブな職業選択基準

いつもはS市のアパートにいる愚息が、何という理由はないのだが、宅に帰ってきた ― 多分、お盆でアパートが閑散としており、大学に行っても誰もいないから、行くところがなくなったのだろう。

さっきまでドイツ産のヴァイツェンを飲みながら雑談をしていた。

『法曹合格者を毎年3千人出すと言うのはもう無理になっているみたいだねえ。大都市圏を弁護士であふれさせば、必ず弁護士のいない地方圏に流れていくだろう。そんな風に考えたと思うんだが、どうして流れていかないのかなあ? 』
『札幌では新司法試験が始まって市内の弁護士が3倍に増えたんだって。でも道内地方都市では、ほとんど変わらないらしいんだよね。東京の普通の法律事務所の初任給は大体600万円なんだけど、地方では700万円だというしね。過疎地に行けばもっと高いらしいよ。同じ仕事をするより、地方のほうが評価が高いはずなんだけど、東京からは出たくないらしい。 』
『それは行動として<非合理>じゃないのかい?どうしてだろう? 』
『う~ん、僕の行っていたロースクールでも感じたんだけど、東京から来る人達は、何というかなあ、「追い出された」というか、「流れてきた」っていう感じで北海道に来るらしいんだよね。 』
『そんな風に感じることがあったのかい? 』
『一年に入った直後は、かなり明らかに感じたよ。東京にいれば一流、出れば二流。そんな考え方があるみたいだよ。でもまあ、北海道って道外には出たがらないでしょ。で、北海道ならトップクラスじゃないかと思ってきたら、そうではないとわかってくるのが最初の半年なんだよね。来た人たちは、収入が低くても、やっぱり東京に戻りたがってるよ。東京の外で仕事をするのが<嫌>なんじゃないかなあ? 』
『その感じ方は、やっぱり非合理だねえ、おれも30年、東京圏には住んだけどねえ、ま、俺の場合、生まれた町は四国で東京じゃあなかったがな・・・自分を高く評価する場があれば、イギリスでもアメリカでもオーストラリアでも、どこでも行く。通常はそう考えるはずだからね。狭い日本で、地域を感覚的に細分化するのは合理的根拠がないねえ。俺の知人にね。その言い回しを英語で言ってみろという人がいたよ。「だって、嫌ですから」、英語でいうと"Why don't you get it?", "Because I hate it".こういえば"Why?"とくるはずだ。嫌だからというのは、全くもって内容がない、内実がない、エンプティじゃないか。そもそも価値を生みだす方向とは正反対だ。英語では"Because I hate"じゃなくて、"Because I want"となって、相手に言いたいことが通じるってものだ。法律では<価値>という言葉を使うことはあるかい? 』
『法律では<価値>という言葉は使わないね。<利益>のほうが多いかな。 』
『利益もそうだけど、経営学では価値というと、次は顧客満足という言葉が出てくる。経済学では付加価値だね。たとえば、鉄とゴム製品はなにもしないと無用の長物なんだけど、それを自転車という形にすれば皆の役に立つんじゃないか?そういう着想が自転車を生む。そこに価値が生まれるだろ?自転車という着想、それを作りたいという願望、みんなの喜ぶ顔、驚く顔をを見たいという前向きの動機。この動機から、現実が変わる。実態が変わる。中身が生まれて、価値が生まれるよね。「だって、あれは嫌なんだよね」、だから今やっていることをやる。そこから何が生まれるんだい?それは単なる<情緒>じゃないか。主観的な気分を伝えて、そこはかとなく「ああ、うたてかりしことよ」と言えば、源氏物語の<もののあはれ>にはなるけれど、それは自分にだけわかる<気分>であって、<意思決定>にはならんね。 』
『確かに東京を出たがらないというのは、そんな気分もあるのかもしれないね。 』  
『気分じゃなくて、大事なのは動機だ。「東京を出るのが嫌だから」ではなく、地方で得られる高い報酬より、もっと大事だと考えていること、自分が本当に欲していること、地方ではそれが得られない、東京では得られるのだ、という論拠。地方に移りたいと思う動機がない。その自覚があって、はじめて意志決定に中身ができる。ビジネスは論理だろ?とすれば、こんな風に思考しないと、意志決定は行えないよ。 』
『俺の父方の祖父は、家庭の事情で義務教育のみをおえて銀行に就職した。父は長男であり大学で研究を続ける道を断念して、実家に近い会社に入社することを余儀なくされた。俺は、父が癌になったことを大学院在学中に知って、就職の方便としてとりあえず官庁に入り、15年の間、役人生活をおくった。先祖三代にわたってずっと「そうするしか仕方がなかった」、そんな風に人生を決めてきたわけだな。』 
『それとは違って、いまお前は、そういう意味では、<自由>を与えられている。ここが違っている。何代かぶりで広い選択肢から意思決定をする巡りあわせになっている。ある面、恵まれてもいるんだが、「ああするしかなかった」という状況ではない以上、真剣に自分と向き合って、自らが本当に欲することを自覚しないといかんね。それも責任重大だ。難しいよ。まあ時間はあるから、ゆっくり自分を見つめ直せばいい。』
仕事を決めるというのは、家を買うよりもカネはかからないが、より重大な意思決定かもしれない。自分の志は、海の深層を流れる海流のようなものであり、その時々に覚える興味は世間という風に吹かれておきる波にたとえられるだろう。

自分が本当にやりたいと思っていること。それを自分で知ること自体、決して易しいことだとは言えまい。易しくはないが、仕事は自分が自分であって初めて面白く感じるものだ。仕事のために作った自分は、いつかは壊れるものだ。
俺だって、試験に受かった時は「よおし、こうなったら局長にまで偉くなって、政策の立案をリードしてやろう」と、そんなことを考えたよ。恩師に勧められるがままに試験を受けるまで、そんな風に考えたことは一度もなかったのにね。人間には<勢い>というのがあって、状況のままに自分を作るところがあるのさ。それは自分じゃあない。
自分自身を知る。自分の力は、作られた自分からは出てこない。本当の自分から初めて力は出てくるものである。

2012年8月12日日曜日

日曜日の話し(8/12)

毎月の月参りで亡父母への読経をお願いしている住職が盆供養に来た。帰りにパンフレット『はちす』を置いて行った。読むと大本山の一つである清浄華院の詠歌について説明がある。
雪のうちに 仏のみ名を 唱ふれば
      つもれる罪ぞ やがて消えぬる 
阿弥陀如来の名を唱えて只管に他力信仰を実践すれば、金銭欲、愛欲、名誉欲で汚れきった自分の心が浄化され、清らかになり、幸福に至る道に戻ることができる。そんな風な趣旨が書かれてある。

またまた古代ギリシア哲学に戻るが、ソクラテスは冤罪同様の裁判で死刑を宣告されたが、亡命の機会をことごとく断り、毒杯を仰いだ。死の前後に友人と交わした会話がいま残っているわけだが、人間は生きている間に色々な欲望で自分の心を汚す。欲望を制し、心をきれいに保つことが、<善く死ぬ>ということである。<善く生きる>だけでは十分ではないのであり、善く死ぬこともまた幸福に至る道筋である、と。そう語っている。もちろん、底流には記録者であり弟子であったプラトン自身の思想、つまり魂は過去から未来へと永遠に存在し、この世界における死の後、神の前に一度立ち戻り、そこで審判を受けるというイメージがある。だからこそ、古典『ソクラテスの弁明』の最終幕は、「さあ、皆さん、戻りましょう。あながたは生きるために。そして私は死ぬために」、ソクラテスの台詞で閉じられるのだ。

欲望に心を汚しながら生きている人間と、そんな状況から救われることこそ幸福と考える、そんな世界観において古代ギリシア人と仏教信仰は、何も異なっていない。

ギリシア人にとっては、欲望を抑えるのは理性である。浄土信仰において欲望から脱却できるのは、救済を願う信仰である。そういえば、ギリシア哲学では、正義や善悪、美と真理はしばしば話題となるのだが、<信仰>について対話が進むことは(小生の知る限り)ないのではないか。このあたり、一つ研究というか、小生の個人的趣味における探究テーマが一つ見つかったようでもある。

× × ×

亡くなった母は、フランスの印象派画家クロード・モネが大変好きであった。小生の高校時代は、父が担当したプロジェクトが迷走し、うまく行かなくなり、その悩みもあって父は体調を壊し、小生も近くにある病院まで薬をとりに使いをしたことが何度かある。地方の小都市から転居してきた母も、慣れない都会生活で健康を崩し、半月ほど入院することもあった。そんな頃であったな。小生はしばしば繁華街の書店にいった。モネの画集を買って帰ったのはそんな時期である。画集をみながら、母と一緒に茶を喫しながら、雑談で時間を過ごしたものであった。


Monet, "The Seine at Vetheuil"

モネと言えばやっぱり水と光である。が、その当時、どの作品を最も好んでいたかとなると、実はもう記憶が定かではない。母は、やはり有名な睡蓮が好きなようであったが、その母の晩年、還暦の日に画集「睡蓮」を買ってあげても、あまり嬉しそうな様子ではなかった印象がある。確かに同じ音楽を聴いても、今と昔と同じように感じるわけではない。小生にも母の気持ちは何となく分かるのだ。


上は、そんな風であった小生の高校時代、モネの画風を真似てP12号に描いた実に稚拙な油彩画である。絵の具の使い方も滅茶苦茶で、ジンクホワイトを置いたところは剥げてきており、更に真ん中左上部には引っ越しの際、乱暴に扱ったのだろうか、裂け目ができてしまっている。

不思議なことは、自分が高校時代に描いた作品を、もう一度、奇麗に模写しようとしても、同じように描けなくなっているということだ。どうしても今現在の自分が入り込んで、色が濁ってしまう。前よりも上手には仕上げられるのだが、力の抜けた、つまらない、ゴミのような絵しか描けないのだ、な。セザンヌなら憤怒のあまり、喚きながら、絵を破って丸め、そのまま火の中に投げ入れてしまうだろう。だから撮影して、ブログとして残すつもりもない。

17,8歳の頃に描けたように今は描けなくなっている。それはこの年齢になるまでに様々な欲望に心が汚れきってしまっている。その心の汚れや醜い姿が、絵に描く作品に滲み込み、それが作品を汚してしまうのだろう。そう考えれば、考えられないこともない。

だとすれば、自分の心の汚れ、醜い心の姿は醜いままに、汚れたままに表現しておく。それを残しておく。残した自分の姿を見つめる事で、せめて自分の醜悪な心を知る。それが善く死ぬためには最低限不可欠な努力ではないか。齢を重ね、偽善や自己満足はともかく、真の意味で世に貢献できる事もだんだんと少なくなる。そんな風になってから、人間に出来ることは、汚れた自己自身を自らが見つめる、その程度のことしか残っていないように思う。それが闘い終盤にさしかかり、タイムアップを予想するようになってから、誰であれ戦士ならばすることであろう。


2012年8月11日土曜日

消費増税可決 − なぜ議論の真剣勝負をしないのか

昨日の参議院で消費増税法案が可決された。実施には景気条項が緊急措置として設けられている。が、(万が一)仮に予定されている14年度実施が延期されても、景気下降局面は平均でも1年半程度であるから、せいぜい1年遅れて15年度からになるという程度であろう。消費税率がこれから4、5年間で10%にまで上がるのは確定であろう。

しかし、よく分からんねえ・・・と思うのは増税反対派は、なぜ確固とした哲学と論理を構築して、堂々たる論陣を張らなかったのか?正にこの点である。

だって簡単ではないか。実に簡単に議論を構築できる。

× × ×

現在の支出構造に問題はないと判断して、負担なきところに給付なし。そう考えるなら、政府の増税案となる。その増税案に反対するなら、支出削減を主張するのが理屈だ。

大所は、社会保障、そして公共事業、それから科学・文化・教育、軍事。何かというと公務員の給与削減がマスメディアでは論じられる。確かに高すぎる給与は下げないといけない。が、それも客観的に見て数パーセントないし1割だ。大体、給与を下げて経営が再建できた企業はありますか?あるはずがないでしょう。問題は事業内容にあるのだ。

支出削減は事業の見直しによって実行するべき事だ。事業を見直して人を整理するのだ。見直すなら、効果の小さい政府サービスから見直さなければならない。財政支出の効果とは、将来にわたって期待される便益だ。故に将来への観点にたって、見直すということになる。では、社会保障、公共事業、科学・文化・教育、軍事の中で何を見直すべきか?自ずから明らかではないか。既に人生の終盤にさしかかっている人の長い寿命をもっと長くするのではなく、これから価値を生み出す若年世代の教育に財政資金を投入するべきである。

リターンが期待できない支出は、極力節減するべきであるという原理は、企業経営、財政運営のいずれにおいても同じである。公的年金は、あくまでも想定以上に長生きする場合のリスク対応であるはずだ。そうであるならば、公的年金は、日本社会で生きるときのリスクを小さくする保険となり、国がその事業を管理運営する論拠はある(ただし必然性はない)。しかし、リスクもないのに、あげると喜ばれるので給付するという政治をすれば破産するのは当たり前だ。平均寿命が80歳の長寿社会で、65歳から80歳まで生きるのはリスクとは言えない。予想するべきことだ。予想できる事態に備えるための貯蓄を国家が管理するのは不適切だ。自己選択にまかせるべきである。また、日本国では<勤労の義務>が憲法上規定されており、自分の生きる糧は自分で得ることが義務となっている・・・とまあ、こういう論理にたって、<無駄な財政支出>を徹底的に整理するという主張をすれば、増税反対派にも論理が通ることになる。理念も確固としたものになる。理念がはっきりすれば賛同者は必ずいるものだ。賛同者が多ければ政権をとれるだろう。

× × ×

しかし、結局、反対派も最後まで「国民の生活が第一」などと言いつつ増税には反対するという理屈もなにもない、浪花節的かつ非合理的な政治行動を貫き、まったく真面目な政治論争は展開されなかった。まあ、欲しいのは自分の政治理念への支持ではなく、<議席>であったのであろうと。動機があまりにも露わであった騒動に堕した点、ここが最も情けないという感想をもったのは残念至極だ。

社会保障見直し+国防予算見直し+規制緩和+TPP参加+自由貿易推進+減税
vs
社会保障維持+資本取引規制+TPP不参加+医療、介護産業補助+増税

せめて上のような政策路線対立が、なぜ日本では有権者に対して堂々と展開されないのか?ま、つまりは日本の政治家自身が問題を理解できていない、理解するだけの頭がない、学問がない、というか関心は日本の将来ではなく、全然別の動機から政治家になった。そう言い切ってしまえば、現実を整合的に説明できるのだが。

日本において国会は国権の最高機関であり、それ故に議院内閣制を布いているのだが、それも時代の荒波に翻弄され、今後も生き延びていけるのか、誠に心もとない。そう感じたこの半月程であった。

2012年8月9日木曜日

欧州債務危機の火種はどうなるのか ― 最近の記事から

欧州債務危機は燃え盛る一方で手が付けられないという感じではない。しかし、火種は消えず、根元から消化できる体制作りが進められているわけでもなく、火の勢いが強くなったら、とりあえず水をかける。そんな対応を繰り返しているのが現実だ。

古い順に最近の記事から記録しておくと、まず日本の日経から:


(出所)日本経済新聞、2012年7月26日

6月末のEURO圏首脳声明でひと先ず水をかけたものの、メルケル独首相が帰国してから、自国で散々に非難され、経済学者グループからは反対の署名が提出されたりして、大騒ぎになった段は、本ブログでもとりあげた。欧州協調の内実を充実させるために負担を引き受けてもよいという気はドイツにはない。それがかなり明らかになり、更にイタリアの希望的観測が打ち上げられていたにすぎないという現実も露わになってきて、結局、火種はそのまま残ってしまった。

次に、独紙Frankfurter Allgemeineから:


Source: FAZ,2012,8,5

欧州内部で形成されているインバランスというか「きしみ」は、心理学的な観点からみると、既に欧州分解への道筋をたどり始めている。モンティ伊首相が独誌"Der Spiegel"によるインタビューに応じた時の発言である。

これと並行して、独バイエルン州のゼーダー蔵相は、ギリシアは今年中にも離脱するべきであると独紙"Bild am Sonntag"の取材で述べている。ドイツはギリシアの<支払責任者(Zahlmeister)>ではないというのはドイツのみならず、欧州北側諸国の共通の心情でもあるだろう。ここを乗り越えて財政統合への道筋を確立できるかどうか。信頼できる欧州財政システムを構築できるかどうか。速くやらないと時間切れになりますな。が、どうも肝心のドイツ国内がまとまりそうもない様子だ。

今後、1年から1年半位の間により緊密に統合された欧州財政システムの骨格が浮かび上がるならよいが、<会議は踊る>的な状況がダラダラと続けば、もう駄目であろう。そうなる可能性は、小生、かなり高いと見ている。仮にそうなれば、欧州は投資主体としても、投資先としても、甚だしい地盤沈下を経験するだろう。ま、世界経済の潮流は(足元では)そういう方向に流れているとは言えようが。

そもそも<EU>は、グローバル化時代の中で<統合の利益>を追求する試みだったはずだ。その統合を実現できない場合には、欧州諸国が自ら予想していたとおり、政治経済両面で多くの損失を蒙らざるを得ない。それが最初から分かっていたからこそ<EU>への道を歩んできた。失敗すれば失うものが大きいのは当然だ。単純なロジックである。では、欧州があるべき統合を成し遂げられず、まずはEURO瓦解、そしてEU自体の存在の意義が問われるようになるとして、それからどうなるか?ギリシアだけではなく、スペインでも一部の民間企業は(万が一)EURO離脱になったとしても困らないように手を打ち始めているという。こういう議論は、経済予測と同じく<自己実現的>なものなのかどうか?こんな論点に、小生、いま非常に関心を抱いているところである。


2012年8月7日火曜日

野党は常に選挙を望み、与党は常に選挙を嫌がるものなのか?

理屈で言えば、与党は政策が支持されて直近の選挙で政権を獲得したわけだ。それに対して、野党は選挙で負けて野党になったのだから、与党が政策を実現しようという過程で仮に選挙に持ち込んでもまた負けるはずである。ひょっとすると、もっと酷く負けるかもしれない。そもそも、こんな理屈は最初からあると思うのだな。

今日の朝刊には「きょうにも問責・不信任案」、「三党合意、崩壊危機」というヘッドラインが踊っている。ページをめくると「政局優先、改革どこへ」というタイトルがある。日経である。野党は首相の解散確約を求めている。すぐにでも解散すれば、法案に賛成するという。しかし、こういうやり口で解散・総選挙に持ち込んだところで、どの位の議席をとれるだろう。まあ、民主党が負ける事はほぼ確実だとはいえ、自民党も国民から嫌悪されるには違いなく、内閣支持率は30%程度からスタートして、半年以内に10%前後に落ちるであろう。見通しなき攻勢であり、勝ってどうするという戦略がない。

まあ、民主党は「やりません」と言っていた政策を「今はそれが大事です」と言いつつ実行しようとしているのだから、最初から理屈も何もないのだと言えば、それまでである。

IMFは既に日本国債のリスクの高まりを指摘している。つい最近もその危険に言及している。

 【ワシントン=柿内公輔】国際通貨基金(IMF)アジア太平洋局のジェラルド・シフ副局長は1日の記者会見で、膨大な公的債務への不安などから日本国債も利回りが高騰するリスクがあると警告した。
 欧州のような債務危機が日本で起こる可能性について、シフ氏は「短期的には想定していない」としながらも、日本国債を多く保有する高齢者の減少や、消費税増税が政局の混乱などで迷走した場合、財政の先行き不安から「投資家は保有を見直す可能性がある」との見方を示した。
 IMFは、シフ氏が団長を務めた日本に対する年次経済審査の報告書も同日発表し、復興需要で回復が進展しているが、財政不安やデフレなど「構造問題が残っている」と指摘。一方、円高是正の為替介入については、「不安定や無秩序な市場環境では活用できる」と一定の理解を示した。(出所: ロイター、2012.8.2 08:29配信)
日銀の資金循環統計(図表5−2)によれば、日本国債は約3分の2が国内金融仲介機関によって保有され、外国人の保有比率は2011年度末で既に8.3%である。両方とも利を求め機を見るに敏である。最近の円高は、日本国の金融財政運営能力が今なお海外から信頼されているからであり、その信頼がなければ国債価格はとっくに低落し、国内金利が上昇して企業が悲鳴を上げているか、でなければ円レートが暴落し世界のトラブルメーカーになっているはずである。

日本政府が瀬戸際的経済政策で何とかしのいで来られている理由は、『最後には正解を選ぶ国だ』という漠然とした世界的期待以外に何もない。その唯一の信頼基盤を、ほかならぬ国会議員たちが崩してしまう事態になれば、日本においては議院内閣制は不適切であるという論拠を構成するだろう。

一度、日本国債の市場価格が不安定化すれば、それは国内金融市場の不安定、円レートの不安定をもたらし、2、3年うちには物価、それも「デフレ脱却」という狙いとは異質の、悪性のインフレ率上昇と設備投資の低下、生産の低下が同時進行するに違いない。こうなると、日本はスペイン、イタリアと同じような政策を採らなければならない。まあ、先行例があるときの対応は日本は大得意なのであるが、余りにも情けないフォロワー(=追随国)ではないか。

きけば日本の原子力発電施設の製造技術の高さと、既存原発施設の安全管理のずさんさについては、専門家の間でも色々な指摘があったという。小生は詳細を追っていたわけではないが、原発に関する専門的知見は、時に誰にでも瞥見できる場で公表されることもあったはずだ。しかしながら、多数が納得している大勢に水を差すような忠告は、この国では<異論・奇論>、悪い場合には<狂論>に分類されて、マスメディアで面白おかしくとりあげられることが多いような気がするのだな。それは既存体制を上位、異論を述べる側を下位として、まず上下感覚で物事をとらえる日本人の悪癖に由来していることなのかもしれない。福島第一原発では東電や行政の責任が厳しく追及されているが、それは上位に立っていた者への信頼が崩れたから憤っているのか、不合理なことをしていたから非難しているのか、両方があるように思うし、更には日本人全体が原発を見ていた目線、学術的観点にたった忠告をどれだけ真面目に聴こうとしていたのか、より安い電力を求める意識はなかったか等々、利用者側にも振り返るべき側面が多々あると思っている。

もし経済政策においても、原発と同じように「それは専門家はそう考えるのでしょうけどねえ」くらいの感性で大多数の経済学者の勧告を<スルー>していると、やはりそうした行動特性にはそれに応じたペナルティが自然の手によって為される。最近はこんなことを考えたりするのだ。

どうもこの15年の傾向は、だんだん学問嫌い、理屈嫌い、クイズ好き、暗記好きという言葉でくくられるようになっている気がするし、だとすれば確立された知識が間違いであるという異論は忌避されるのも当然なのかなとも感じるわけであり、書いておくことにした。





2012年8月5日日曜日

日曜日の話し(8/5)

午後からかなり強い雨が降り始めた。知人は夫婦二人で今日から知床に旅行しているはずだ。道北もそれほど天気は良くないはずである。買い出しに出たカミさんとそんな話をしながら帰宅した。明日はビジネススクール最後の授業がある。筆記試験が50点満点。その後に事後課題として出題する重回帰分析演習が50点満点である。広島原爆記念日だ。ホントにお盆前まで授業をやっている大学は日本にどれほどあるのだろうなあ・・・と、またまた不覚にも、ぼやきが出てしまった。

前の日曜日でセザンヌの「レスタックの海」をとりあげた。が、同じテーマでセザンヌは何枚もの作品を制作している。印象派モネは、日差しが刻々と変わるごとに、同じ積み藁や寺院が異なった色あいに映えるその瞬間、瞬間を連作に描きあげた。

しかしセザンヌは、ある一つの瞬間を作品の中にとどめようとしたとは、思われない。というか、セザンヌの作品からは、それをいつ描いたのか分からないことが多い。つまり<季節感>が稀薄なのだな。では同じ対象を、何度も反復して描き続ける必然性は、セザンヌにとって何であったのか?まさか田舎暮らしで何枚も絵を描く画題が少なかったからという理由ではあるまいと思う。


The Gulf Of Marseilles Seen From L Estaque


The Bay Of L Estaque From The East


L Estaque View Through The Trees


The Gulf Of Marseille Seen From L Estaque


Rocks At L Estaque

もうキリがないので止めにしよう。大体、セザンヌは有名なリンゴにしても、郷里にあるサン・ヴィクトワール山にしても、はたまた水浴図にしても、何枚も何枚も納得するまで反復して描き続ける癖があった。確かに行動パターンとしては<癖>というべきだが、それが確固とした動機に基づく反復であるなら癖というよりは<追求>と言い直したほうが適切かもしれない。

レスタック近郊の海を見つめ続けていたかと思えば、反対の方角から見つめ直したり、樹の枝越しに海を見たり、海に沿った家を描くと思えば、今度は岩を描く。こう何枚も描くとなると、描かれる具体的な対象は、セザンヌという画家本人にとって、実は何でもよかった。その点だけは流石に分かるわけである。では、セザンヌが、自分の作品を観る人に何を伝えたいと願っていたのか。何を創造したつもりであったのか。何を見つけたつもりだったのか。

セザンヌの作品を全部鳥瞰すると、それが何であったか、小生にも分かるような気もする。と同時に、それは言葉で説明できるものではない。というか、やはり小生にも分からないような気もするのだな。

確かに言えることは、この画家は真っ直ぐに自分の道を歩いたということだ。歩けたと言った方がいい。孤独に耐えるのも天才である証拠なのだろう。晩年近くになってから、旧友ルノワールが近くに移ってきて、家族ぐるみの親交が始まったことは、セザンヌにとって幸福の源であったに違いない。それはルノワールの子息で映画監督としても高名なジャン・ルノワールが『わが父 ルノワール』で記しているところだ。とはいえ、ルノワールが近くに移ってこずとも、セザンヌは同じ人生を歩んでいたはずである。セザンヌはスケッチの帰りに雨に降られて、それが原因で肺炎をこじらせて死んだ。そういう人生を歩んだ画家である。


2012年8月4日土曜日

覚え書き ー 欧州債務危機の足どり

英紙Telegraphに欧州債務危機の進行が簡単にまとめられている。覚え書きまでに記録しておこう。7月4日以降から記す。
7月4日: 
Angela Merkel and Mario Monti hold talks in Rome, while Greece prepares for a visit from the Troika, who will assess the country's progress in implementing its €173bn bailout programme.
7月5日:
Italian and Spanish bond yields spike upwards as Mario Draghi fails to give any hint about further bond-buying by the European Central Bank.
7月6日:
US markets expected to sink on opening after disappointing jobs data fell far short of expectations and caused concerns about the strength of the economic recovery.
7月9日:
ECB President Mario Draghi Spanish gives testimony to the EU Parliament's Economic and Monetary Affairs Committee as Spanish borrowing hit danger levels ahead of eurozone finance ministers' meeting.
7月10日:
French president says policy to raise taxes for the highest earners is "not a punishment," as Sir Mervyn King warns of the damaging effect of the euro crisis on Britain and businesses around the world.
7月11日:
Riot police and protesting miners have clashed in Madrid as the Spanish prime minister Mariano Rajoy announces more sweeping austerity measures, including a rise in VAT and other taxes, and increases to spending cuts.
7月12日:
Ireland passes the latest review of its bailout programme, as Britain's economic forecaster says the Government must find £17bn of savings on top of the current £123bn austerity plan or face a £65bn deficit by 2061.
7月13日:
Italy's bond yields are hovering around the danger zone of 6pc, while civil servants in Spain protest against the government's sweeping austerity measures that were approved by the Spanish cabinet this afternoon.
7月16日:
The IMF said Britain’s growth prospects have dropped sharply over the past three months as the eurozone crisis weighs on recovery, while the top German court says it will only rule on the ESM and fiscal pact in September.
7月17日:
Ben Bernanke, the Fed chairman, said the US economy had slowed significantly due to the eurozone crisis, as reports suggested that Greece will seek a bridging loan to September.
7月18日:
The International Monetary Fund warned the eurozone was in "critical" danger, urging the European Central Bank to tackle the crisis by turning on the printing presses, as Greek leaders continue to wrestle over spending cuts.
7月19日:
Germany's lower house of parliament approved the Spanish banking bailout as Wolfgang Schaeuble, German finance minister, warned Spain faced an "emergency situation".
7月20日:
Spanish borrowing costs climb back above 7pc, as eurozone ministers hold a teleconference to approve up to a €100bn bank rescue.
7月23日:
Stock markets tumbled, Spanish borrowing costs touched new highs and the euro slumped to its lowest level against the yen in almost 12 years on Monday as Spain's debt crisis deepened, raising concerns over the wider eurozone.
7月24日:
Jose Manuel Barroso, head of the European Commission, will visit Greece for the first time since the start of the crisis on Thursday as the country's prime minister said the economy could shrink by more than 7pc this year.
7月25日:
The UK economy has shrunk by a shock 0.7pc in the second quarter, official statistics show, as Spanish officials are forced to deny that Germany is pushing the country to accept a €300bn bail-out.
7月26日:
Markets surge and Spanish borrowing costs fall back below 7pc as the head of the ECB says the euro's critics should not underestimate the political will of leaders to save the single currency.
7月27日:
Germany Chancellor Angela Merkel and French president Francois Hollande back ECB President Mario Draghi's pledge to preserve the eurozone after Bundesbank opposes bond buying by the central bank.
7月30日:
US Treasury Secretary Timothy Geithner and German finance minister Wolfgang Schaeuble urge quick reforms to end a crisis of confidence in the euro, as markets rise on hopes of imminent ECB action to tackle the crisis.
7月31日:
Greece's deputy finance minister warns that the near-bankrupt country is "on the brink" with cash reserves at "almost zero," as eurozone unemployment hits a record level of 11.2pc.
8月1日:
US markets slip as the Federal Reserve warns the economy has lost momentum so far this year and holds off on announcing any new monetary stimulus measures.
8月2日:
ECB President Mario Draghi said a rate cut was discussed but it was decided the time was not right as he stressed the central bank may act independently in markets and use "non-standard measures".
8月3日:
Spain inched closer to seeking a sovereign bailout as prime minister Mariano Rajoy opened the door to a request, but said he would first need to know the attached conditions.
 この間、ロンドン金融界は"LIBOR Scandal"で揺れている。

「この夏のEURO迷走劇」の発端は、上に記されているように、欧州中央銀行による債務危機国の国債買い取りをドラギ総裁が明言しなかったこと。そのため市場が不安に陥った。

自国政府による国債危機の解決をその国の国民が反対して行動に出る。そんなギリシア病の兆候がスペインでも認められた。「問題を解決できない」という不安が再び高まった。更に、問題解決能力をもつ責任主体が不在であるという事実。これらが夏の迷走劇に幕を降ろせないでいる原因になっている。

× × ×

独紙"Handels Blatt"ではこういう報道がある。欧州中央銀行による国債買い取りにドイツ連銀総裁が、ただ一人で猛反対をしている。その様子が「孤独な騎士」であるというのだな。

Der einsame Reiter
Im EZB-Rat stand Bundesbank-Chef Weidmann gestern allein. Als einziger von eigentlich 23 Mitgliedern stimmte er gegen die Anleihekäufe. Viele Deutsche teilen seine Skepsis - doch an den Märkten kommt sie nicht gut an.  ...  
Weidmann brandmarkte die Anleihekäufe der EZB immer wieder als Rechtsbruch - und als unvereinbar mit dem Mandat der Zentralbank. "Ich kann nicht erkennen, wie das Vertrauen in ein System zurückkehren soll, das seine Gesetze bricht", gab Weidmann im November 2011 zu Protokoll. (Source: Handels Blatt, 3,8, 2012)

ズバリ「ECBによる国債買い取りは法的根拠がなく違法である」という反対である。欧州中央銀行が、債務危機にある国の国債を買い支え、その中央銀行をドイツが支えれば、ドイツ人が財政赤字国に(大変不透明な形で)カネを上げる事と実質は同じなのであるから、ドイツ人の相当部分が連銀総裁に共感をもっているとしても、それは当たり前のことである。

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それより上にリストアップしたテレグラフ(7月12日)に述べられているが、<緊縮(austerity)>とは、すなわち強制貯蓄である。ここは要点だ。緊縮とは、消費から貯蓄へのシフトであり、つまり貯蓄率の引き上げ。所得の引き下げ・生産水準の押し下げではない。というか、緊縮により生産を押し下げてしまえば、所得が低下し、貯蓄も低下するので、そもそも累積債務の償還は不可能である。借金の返済も貯蓄であり、資産運用の一環なのだな。

国債とは、その借金を国民全員でやって、債務償還とは国民みんなが節約をして国債保有者に返済する。原理はこのように単純至極なのだ。国債のリスケジュールとは、つまりは国債保有者、大体は富裕層であるが(時に外国である)、一部の国民に対する選別的課税強化と中身は同じである。もしも国債償還のために紙幣を増刷すれば(中央銀行が国債を無際限に買い取れば)インフレによって帳消しになる。要するに、借りた者にあくまでも泣かせるか、貸した者が諦めるか、インフレという形で応分に負担するか、いずれをとるかという選択の問題である。

政治的には多数の国民を泣かせるよりは、少数の富裕層に泣いてもらうほうがよい。政府が増税して国民からカネを徴収して、富裕層に返済しても、富裕層はその国内資金を国内に再投資することはせず、新興国に投資するだけだろう。緊縮よりは、国債のリスケジュールのほうが今後のマクロ経済運営を容易にするという理屈は確かにある。しかし、国債の信頼性が崩壊する。裁量的な財政赤字は今後市場に受け入れられず、大幅な税率引き上げか、歳出削減のいずれかを選ばねばならない。だから、不健全な財政を続けた国の国民は、最後に必ず泣かないといけない。この結論は避けようがない。ツケが回ってきたといえば、その通りなのだが、その当たり前の理屈を普通の国民が理性で理解することは稀有である。