2012年8月7日火曜日

野党は常に選挙を望み、与党は常に選挙を嫌がるものなのか?

理屈で言えば、与党は政策が支持されて直近の選挙で政権を獲得したわけだ。それに対して、野党は選挙で負けて野党になったのだから、与党が政策を実現しようという過程で仮に選挙に持ち込んでもまた負けるはずである。ひょっとすると、もっと酷く負けるかもしれない。そもそも、こんな理屈は最初からあると思うのだな。

今日の朝刊には「きょうにも問責・不信任案」、「三党合意、崩壊危機」というヘッドラインが踊っている。ページをめくると「政局優先、改革どこへ」というタイトルがある。日経である。野党は首相の解散確約を求めている。すぐにでも解散すれば、法案に賛成するという。しかし、こういうやり口で解散・総選挙に持ち込んだところで、どの位の議席をとれるだろう。まあ、民主党が負ける事はほぼ確実だとはいえ、自民党も国民から嫌悪されるには違いなく、内閣支持率は30%程度からスタートして、半年以内に10%前後に落ちるであろう。見通しなき攻勢であり、勝ってどうするという戦略がない。

まあ、民主党は「やりません」と言っていた政策を「今はそれが大事です」と言いつつ実行しようとしているのだから、最初から理屈も何もないのだと言えば、それまでである。

IMFは既に日本国債のリスクの高まりを指摘している。つい最近もその危険に言及している。

 【ワシントン=柿内公輔】国際通貨基金(IMF)アジア太平洋局のジェラルド・シフ副局長は1日の記者会見で、膨大な公的債務への不安などから日本国債も利回りが高騰するリスクがあると警告した。
 欧州のような債務危機が日本で起こる可能性について、シフ氏は「短期的には想定していない」としながらも、日本国債を多く保有する高齢者の減少や、消費税増税が政局の混乱などで迷走した場合、財政の先行き不安から「投資家は保有を見直す可能性がある」との見方を示した。
 IMFは、シフ氏が団長を務めた日本に対する年次経済審査の報告書も同日発表し、復興需要で回復が進展しているが、財政不安やデフレなど「構造問題が残っている」と指摘。一方、円高是正の為替介入については、「不安定や無秩序な市場環境では活用できる」と一定の理解を示した。(出所: ロイター、2012.8.2 08:29配信)
日銀の資金循環統計(図表5−2)によれば、日本国債は約3分の2が国内金融仲介機関によって保有され、外国人の保有比率は2011年度末で既に8.3%である。両方とも利を求め機を見るに敏である。最近の円高は、日本国の金融財政運営能力が今なお海外から信頼されているからであり、その信頼がなければ国債価格はとっくに低落し、国内金利が上昇して企業が悲鳴を上げているか、でなければ円レートが暴落し世界のトラブルメーカーになっているはずである。

日本政府が瀬戸際的経済政策で何とかしのいで来られている理由は、『最後には正解を選ぶ国だ』という漠然とした世界的期待以外に何もない。その唯一の信頼基盤を、ほかならぬ国会議員たちが崩してしまう事態になれば、日本においては議院内閣制は不適切であるという論拠を構成するだろう。

一度、日本国債の市場価格が不安定化すれば、それは国内金融市場の不安定、円レートの不安定をもたらし、2、3年うちには物価、それも「デフレ脱却」という狙いとは異質の、悪性のインフレ率上昇と設備投資の低下、生産の低下が同時進行するに違いない。こうなると、日本はスペイン、イタリアと同じような政策を採らなければならない。まあ、先行例があるときの対応は日本は大得意なのであるが、余りにも情けないフォロワー(=追随国)ではないか。

きけば日本の原子力発電施設の製造技術の高さと、既存原発施設の安全管理のずさんさについては、専門家の間でも色々な指摘があったという。小生は詳細を追っていたわけではないが、原発に関する専門的知見は、時に誰にでも瞥見できる場で公表されることもあったはずだ。しかしながら、多数が納得している大勢に水を差すような忠告は、この国では<異論・奇論>、悪い場合には<狂論>に分類されて、マスメディアで面白おかしくとりあげられることが多いような気がするのだな。それは既存体制を上位、異論を述べる側を下位として、まず上下感覚で物事をとらえる日本人の悪癖に由来していることなのかもしれない。福島第一原発では東電や行政の責任が厳しく追及されているが、それは上位に立っていた者への信頼が崩れたから憤っているのか、不合理なことをしていたから非難しているのか、両方があるように思うし、更には日本人全体が原発を見ていた目線、学術的観点にたった忠告をどれだけ真面目に聴こうとしていたのか、より安い電力を求める意識はなかったか等々、利用者側にも振り返るべき側面が多々あると思っている。

もし経済政策においても、原発と同じように「それは専門家はそう考えるのでしょうけどねえ」くらいの感性で大多数の経済学者の勧告を<スルー>していると、やはりそうした行動特性にはそれに応じたペナルティが自然の手によって為される。最近はこんなことを考えたりするのだ。

どうもこの15年の傾向は、だんだん学問嫌い、理屈嫌い、クイズ好き、暗記好きという言葉でくくられるようになっている気がするし、だとすれば確立された知識が間違いであるという異論は忌避されるのも当然なのかなとも感じるわけであり、書いておくことにした。





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