前の日曜日でセザンヌの「レスタックの海」をとりあげた。が、同じテーマでセザンヌは何枚もの作品を制作している。印象派モネは、日差しが刻々と変わるごとに、同じ積み藁や寺院が異なった色あいに映えるその瞬間、瞬間を連作に描きあげた。
しかしセザンヌは、ある一つの瞬間を作品の中にとどめようとしたとは、思われない。というか、セザンヌの作品からは、それをいつ描いたのか分からないことが多い。つまり<季節感>が稀薄なのだな。では同じ対象を、何度も反復して描き続ける必然性は、セザンヌにとって何であったのか?まさか田舎暮らしで何枚も絵を描く画題が少なかったからという理由ではあるまいと思う。
The Gulf Of Marseilles Seen From L Estaque
The Bay Of L Estaque From The East
L Estaque View Through The Trees
The Gulf Of Marseille Seen From L Estaque
Rocks At L Estaque
もうキリがないので止めにしよう。大体、セザンヌは有名なリンゴにしても、郷里にあるサン・ヴィクトワール山にしても、はたまた水浴図にしても、何枚も何枚も納得するまで反復して描き続ける癖があった。確かに行動パターンとしては<癖>というべきだが、それが確固とした動機に基づく反復であるなら癖というよりは<追求>と言い直したほうが適切かもしれない。
レスタック近郊の海を見つめ続けていたかと思えば、反対の方角から見つめ直したり、樹の枝越しに海を見たり、海に沿った家を描くと思えば、今度は岩を描く。こう何枚も描くとなると、描かれる具体的な対象は、セザンヌという画家本人にとって、実は何でもよかった。その点だけは流石に分かるわけである。では、セザンヌが、自分の作品を観る人に何を伝えたいと願っていたのか。何を創造したつもりであったのか。何を見つけたつもりだったのか。
セザンヌの作品を全部鳥瞰すると、それが何であったか、小生にも分かるような気もする。と同時に、それは言葉で説明できるものではない。というか、やはり小生にも分からないような気もするのだな。
確かに言えることは、この画家は真っ直ぐに自分の道を歩いたということだ。歩けたと言った方がいい。孤独に耐えるのも天才である証拠なのだろう。晩年近くになってから、旧友ルノワールが近くに移ってきて、家族ぐるみの親交が始まったことは、セザンヌにとって幸福の源であったに違いない。それはルノワールの子息で映画監督としても高名なジャン・ルノワールが『わが父 ルノワール』で記しているところだ。とはいえ、ルノワールが近くに移ってこずとも、セザンヌは同じ人生を歩んでいたはずである。セザンヌはスケッチの帰りに雨に降られて、それが原因で肺炎をこじらせて死んだ。そういう人生を歩んだ画家である。
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