2016年2月16日火曜日

愛 vs 不倫 vs 幸福

世は不倫騒動の真っ只中にある。もちろん某国会議員の不倫騒動が原因だ。いまみているTVのワイドショーでも『不倫って悪いことですか』、『もちろんそうですよ!』というやりとりがあった。

★

何度も断っていることだが、小生は骨の髄からへそ曲がりである。

ではあるが、何も渡辺淳一的世界を支持しているわけでもないし、太宰的人生をおくろうと思っているわけでもない。

ただ、思うのですけど、不倫を非難する立場もあるかもしれないが、男女の愛はそれ自体としては、この世の中で最も肯定されるべきことだ、と。そうも思うわけだ。

★

 不倫といえば、(まさか日本人の1ブロガーが引き合いに出すとはご本人は想像もしていないだろうが)クリントン元大統領夫妻。小生も具体的な知識はないし、風聞だけでこんなことを書けばそのうち本稿は削除される可能性もある。ではあるが、ここに記しておくと、世に名高いご夫君の多くの行為は、世間でいう所謂「不倫」とは違うのじゃないかと語る人も多いそうなのだな。ご夫君の元大統領は、育った過酷な環境がそうしたともいえるのだろうが、「異常」なほど弱い立場にある人への「愛情」が強かったそうである。ある日、選挙運動中に窓の外をみると足の不自由な老婆が歩いていた。それをみた元大統領は車を降りて、老婆に駆け寄り、歩行の困難なその人の支えになってあげ、ベンチまでたどり着くと座らせてあげ、老婆の手をとって接吻をしたそうな。単なるパフォーマンスかもしれないが、それにしても「ここまでやるか?」というヒトは多いだろう。これが常識論だろう。また、人を抱擁するというのは日本国外では普通の習慣だが、それにしても(これは元大統領とは関係のない話だが)若い女性を5分間も抱擁するとなれば、しかも同じ女性に対して「異常」なほど親しい態度をとれば、女性も誤解をするし、世間はそれを「不倫」と非難する可能性が高かろう。

要するに、「人はいろいろ」。そういうことである。

★

人間はなぜ生きているかといえば、幸福になるためであって、社会の一部品になるために生きているわけではない。

社会それ自体に価値があるのではなく、そこで生きている人間が幸福であるかかどうかで、その社会の存在の意味は決まる。

社会というシステムが機能するには、法もあるし、倫理もある。しかし、法を守る、倫理を守るという、そのこと自体に究極的価値があるわけではない。

幸福を実現するにはどう対処すればいいのか。最も大事であるのは、常にこの一点にある。これだけは永遠に真理である。というか、唯一の真理である。

そう思っているのだ、な。

故に、鬼の首をとったように「これは不倫ですよネ」と語っている画面を見ると、「あなた、そんな風に人を非難して給料をもらっているんだろうけど、いい加減にしなよ」と言いたくもなるのである。

2016年2月14日日曜日

日経平均株価1万5千円割れは一月早かったなあ・・・

今年の正月早々から株価の急低下が始まり『さすがにサル年の株価だ』と投稿したのだが、その後もドンドンと値を下げ、最初に予想の限界線として目安においていた日経平均1万5千円も先週末にあっさりと割ってしまった。

新聞の報道では黒田日銀総裁によるマイナス金利導入とか、アベノミクスの限界とか、日本国内限定で株価急落の犯人捜しをやっているのだが、そもそも株価は純粋に金融的な現象ではない。また東京市場が世界の株価の低下を招いているわけでもない。

実体経済が景気後退局面に入ると予想されれば、それに先行して株価は下がるものである。それでなくとも、東京市場の場合、年末総選挙で自民党が勝ちそうな状況であった2012年秋から株価は上昇に転じ、そのまま上昇トレンドを3年余りも続けてきた。下がって当然の時機ではあったのだな。

世界の景気をOECDのComposite Leading Indicatorsでみても世界経済は全体として後退局面に入っていることは明瞭である。



OECD全体として2015年は緩やかな後退局面にあった。景気のピークが公式にまだ認定されていないだけである。先行き懸念は潜在していたわけである。

アメリカはリーマン危機のあと曲がりなりにもジグザグ的な回復を続けてきたが、これも2015年に入ってから変化がみてとれる。FRBは金利引き上げをいつ行うかで結構論議を続けてきたようだが、時機の選択としては上の図を見る限り、遅きに失していると言えそうだ。日本経済もまた同様である。マイナス金利導入も「最後の手段」というなら使っても可という選択ではあったのだ。

脆弱と言われてきた欧州経済は、景気動向指数で見る限りは回復色が強い。

メディアの報道ぶりと数字が示す様子には結構大きな隔たりがあるものだ。

ま、いずれにせよ今回の株価低下は日銀のせいでも、金融政策判断の誤りでもないと思われる。いつものとおりの循環的現象である。

+++

それにしても、正月頃の予想では3月頃に1万5千円のラインに近づいて、4、5月とその線を更に割り込みながら、もう少し下げるかと予想していた。

日本株が先駆けてまず暴落し、4月から5月にかけてアメリカ株がもう少し下げる、と。そう憶測していたが、どうも展開が1月早い。

日本株はもっと下がるということなのか。底入れ時期が早いということなのか・・・。
迷うところである。


2016年2月12日金曜日

現場における禁句三例

ずいぶん昔のことになるが、仕事に取り組んでいく中でこれは使っちゃいかんという言語表現に(少なくとも)三つの例があることに気がついていた。

  1. 僕(私)だって・・・
  2. 忙しくって・・・
  3. 無理だって・・・
この三つだ。現場ではいまでも頻繁に耳にするのかもしれない。

上の#1を使うと、大事な議論を本筋から外してしまうことが多い。故に有害である。#2は論外である。#3も不誠実である。不可能である理由を具体的に示すべきである。そうすれば、可能とするための工夫を発見する道筋に立てる。

だから、上の三つの言葉を使われると、小生は真面目に対応しないことにしてきた。とはいえ、若い頃は、恥ずかしいことに多用していた記憶がある。というか、年若で配属されると、まず上の三つの言葉を真っ先に覚えるような気もする。

組織を不活性化するマジックワードなのだろう。

2016年2月10日水曜日

年齢と病院

先週はずっと福島・いわき市に滞在した。その前の週は腸炎でずっと床の中に居た。1月から2月まで本来は多忙だったが、まるで花火のように担当している仕事を代わってもらったり、強引に欠席したりで、暦はいつの間にか2月の中旬だ。

前の日曜に帰ったときは毎日服用する薬がちょうど切れるタイミングだった。

月曜は、泌尿器科にいって前立腺の薬を処方してもらった。次回行くのは春の彼岸に近いころだ。今日は市の総合病院の眼科にいってドライアイとアレルギー性結膜炎の薬を出してもらった。腸炎の薬は先週の金曜日できれている。ただ、腹痛はおさまっているので、市販薬のザ・ガードを飲んでお茶を濁している。おかしくなったら、また消化器内科に行かずばなるまい。

年齢が増すと世話になる薬も増える。いく病院も増えて、仕事の時間を圧迫する。「長寿社会」といえば聞こえはいいが、福禄寿が保障されているわけではない。むしろ現実には長寿リスクが顕在化しつつある。

長寿は日本の自慢の一つらしいが、GDPと同じで、平均寿命が長くなったから日本人がより幸福になるとは限らない。要するに、数字の上の話しだ。

成績確定作業をしなければならないが、気持ちがまだ仕事モードに戻らない。

2016年2月9日火曜日

覚え書: 俳句2句

芭蕉の名句に

旧里や 臍の緒に泣く としの暮れ

がある。確か『笈の小文』ではなかったかと記憶している。

この句自体はずっと好きであった。

が、実に迂闊なことに、「としの暮れ」とは芭蕉が旧里である伊賀上野を訪れた暦の上のことだと思っていた。

旧里の家で自分が誕生した時のへその緒を見て、亡き両親を偲ぶ心情がこめられている、と。そう理解してきたのだが、もう一つの意味もある。

自分の人生もまた、年が暮れていくように、こうして暮れていく。年の暮れという言葉には、自分の晩年を意識する芭蕉自身がいる。月並みに言えば「来し方、行く末」を思い、親を思い、漂白に暮れた自分の人生を振り返って、生あるものの儚さに涙をこぼす。まさに諸行無常にして歳月匆々。それでもなお、自分はいま現世におり、生きている。そんな「もののあはれ」に感じる心情もまた感じとれるのだ。

そういうことではないかと、気が付いた次第。

夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡

一場の夢のような人の生を思う心情は共通している。芭蕉の句に流れる意識は時間である。永井荷風の随筆とも相通じるモチーフだ。

+++

これ以上書き込むと理屈っぽくなる。今日はこの辺で。

2016年2月8日月曜日

挽歌 -池の畔

『そうか、もう君はいないのか』というエッセー集がある。が、小生には、そう必ずしも思われない。


上のエッセー集は作家・城山三郎が亡妻を偲んで綴ったエッセーをまとめた遺稿集である。TVでも放送されたことを記憶している。

その立場に他ならぬ実弟が置かれることになろうとは若いころに誰が想像したであろうか・・・と、こんなことを話しながら、小生はカミさんと昨日北海道に戻ってきた。

★

愛する人を失ったとき、流す涙がすべて目にあふれ出るわけではない。

流す涙の半分以上は心の中に流れ、やがて涙の池ができる。

心の傷はとじることなく池がかれることはない。

池の畔に、愛する人の魂が住まいをみつけ、そこに生き続けるのだ。

★

人生には春夏秋冬がある。

長い人生にも、短い人生にも、四つの季節があるものだ。

思い返すと、いつの間にか人生の夏が過ぎ、穏やかな秋をおくったあと、冬を迎えていたのかもしれない。周りのひとは、まだまだ夏の終わりと思っていたが、人生の季節ははやくも一巡りしていたのだろう。

人はいろいろな理屈をためしては起こった事実を解釈しようとするものだ。親しい人の死に面しても人の傾向は変わらない。

+++

今日は勤務先で試験監督の仕事がある。日常生活は、1日24時間、変わらぬ速度で回っている。

2016年2月4日木曜日

福島・いわき滞在4日目

今週月曜から福島県いわき市に滞在している。弟の恋女房が急逝したのだ。その急報が弟からあったのが2月1日、月曜早朝の電話であった。

『悪い知らせなんだけどね・・・あの・・・H美がね・・・死んだんだ』
『エッ!・・・・・・』
『昨日(1月31日)の夕方、5時39分。大動脈解離だって』

これだけを記録しておけば、何年たっても、その後のやりとりや、その時の気持ちを思い出すには十分だ。

14時のエアドゥの空席が運よくあったので、羽田経由常磐線で駆け付けた。今週は週半ばに最終回の授業があり、その後は毎日学部の定期試験の監督が入っていたが、授業は休講、試験監督は旧知の同僚に代わってもらった ― もちろん休講した授業には補講をするわけだ。

先週来、小生は腸炎で、加えて「一度殺菌しましょう」というので抗生物質を服用し、そのため絶え間のない下痢、というか便意に憔悴していたので、旅行は本当に大変であった。

いま福島県内のホテル事情は原発処理事業関係もあって、外からどんどん人が入ってきているということで、どこも満室状態で、1週間の滞在場所を確保するのは実に大変であった。

初日は弟宅に近い勿来の隣駅にある「ホテルみどり」がとれたが、その後はいわき駅前に移った。火曜、水曜が東洋ホテル、本日木曜から三泊がセレクトインである。

腹の痛みは次第にとれてきている。今日の夜は「大石」という店で鍋焼き饂飩を食った。結構大きな鍋でこれだけ食べてなんともなければ大丈夫だとカミさんは話している。

後から入ってきた男女連れが後ろの席に座ったが、話をきくともなく聞いていると、どうも小生とは同業の人たちらしく、年長の男性は原子力関係の専門家、どこかの大学で授業も担当している様子であり、女性のほうは新しく来た若い人で、この地域の大学事情をいろいろと教えてもらっている。そんな雰囲気で、カミさんもすぐに旦那と同じ職業人と気づいたそうである。

その大きな鍋焼きを食ってすでに3時間。特に何ともないので、腹のほうは北海道に帰るまでもちそうだ。