2016年2月8日月曜日

挽歌 -池の畔

『そうか、もう君はいないのか』というエッセー集がある。が、小生には、そう必ずしも思われない。


上のエッセー集は作家・城山三郎が亡妻を偲んで綴ったエッセーをまとめた遺稿集である。TVでも放送されたことを記憶している。

その立場に他ならぬ実弟が置かれることになろうとは若いころに誰が想像したであろうか・・・と、こんなことを話しながら、小生はカミさんと昨日北海道に戻ってきた。


愛する人を失ったとき、流す涙がすべて目にあふれ出るわけではない。

流す涙の半分以上は心の中に流れ、やがて涙の池ができる。

心の傷はとじることなく池がかれることはない。

池の畔に、愛する人の魂が住まいをみつけ、そこに生き続けるのだ。


人生には春夏秋冬がある。

長い人生にも、短い人生にも、四つの季節があるものだ。

思い返すと、いつの間にか人生の夏が過ぎ、穏やかな秋をおくったあと、冬を迎えていたのかもしれない。周りのひとは、まだまだ夏の終わりと思っていたが、人生の季節ははやくも一巡りしていたのだろう。

人はいろいろな理屈をためしては起こった事実を解釈しようとするものだ。親しい人の死に面しても人の傾向は変わらない。

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今日は勤務先で試験監督の仕事がある。日常生活は、1日24時間、変わらぬ速度で回っている。

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