2016年2月26日金曜日

『一生懸命やっています』にそれ自体としての価値はない

頑張ッテルカイ?
一生懸命ヤッテマス!

もう少しで4月である。新年度だ。ルーキーがまた入ってくる。

上のようなやりとりが、恩師と弟子、先輩と後輩、友人、家族の間で何度も、何度もかわされるに違いない。

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しかし、しばしば無視されたり、見逃されてしまうのだが、一生懸命やっているということそれ自体には何の価値もない。善くも悪くもなりうるのが「一生懸命」というヤツだ。

正しい出発点から、正しい方向に向かって、歩いている時にのみ、その人の毎日の努力は意味があり、正しく、やがて成果が出る。

そうでなければ、一生懸命にやっていることには全く意味はない。直ちに止めなければならない。吾レ日ニ吾ガ身ヲ三省ス、あるいは海軍の訓戒「五省」も、それ故にこそある。

最初が肝心。千里の道も一歩から。初心忘るべからず。

単なる格言をこえて人生に当てはまっている経験則だ。大事である。

2016年2月25日木曜日

Surface Pro 4: これは修正しておかねばならない

昨年末にマイクロソフトの最新タブレット(?)である"Surface Pro 4"の使用感を投稿したことがある。その時のタイトルは、ズバリ、「使えぬ・・・Surface Pro 4」だった。

現時点にあって、上のレポートは修正しておかないといけない。というのは、マイクロソフトが電源管理周辺の更新プログラムを提供してくれたからだ。

以下のように「報道」もされている。
 「Surface Book」と「Surface Pro 4」の一部のユーザーは電力管理機能の不具合に悩まされてきたが、Microsoftがそれを修正するフィックスをリリースした。
 これらの端末の一部ユーザーは、端末が正常にスリープモードに移行したことが一度もないと報告していた。その結果、マシンは熱をもったまま、バッテリを浪費してしまっていた。
 ブログ投稿によると、Microsoftが米国時間2月17日に公開したフィックスには、「Surface BookとSurface Pro 4向けのMicrosoftとIntelのドライバおよびファームウェアアップデートのセットが含まれており、これを適用することで、ユーザーはSurfaceが本来提供すべき電源管理オプションを最大限に利用し、Surfaceの生産性をさらに高め続けることができる」という。
(出所)CNET Japan, 2016-02-18

先にレポートしたような使い難さ、というか「障害」は見事に解決されている。

となれば、Surface Pro 4の強みだけが残ったことになる。

  • Windows 10 が動作するタブレットである。
  • タブレットとしてもノートPCとしても使える。
  • スリープモードから直ちに復帰する。
  • ディスク容量は大きくはないがクラウドサービスを使えば全く問題はない。
  • デジタル・スタイラスを使った手書きの使用感は、追随性能、筆触感などトップレベルである。
  • 瞬時に立ち上がるOne NoteはMetaMoji Noteなどの競合ソフトと比べて決して悪くはない。

Windows7(64 bit)では何故か正常に動作しなかったMaximaも問題なく走り、データ解析ではRStudioを不具合なく使っている。Pycharmも走る。PowerShellもある。Windowsでできることは何でもできるタブレットというポジションは確かに強力である。

名誉回復という意味で再レポートしておきたい。


2016年2月23日火曜日

覚え書: 法治主義国家の宗教は?

4年前にもなるが、こんなことを書いたことがある。

話題は次の報道だった。

天台宗総本山の比叡山延暦寺(大津市)が指定暴力団山口組(総本部・神戸市)に対し、寺内で安置し ている歴代組長の位牌への参拝を拒否する通知を送っていたことが17日、分かった。延暦寺では平成18年、山口組歴代組長の法要が営まれたことが発覚。今 後の法要を拒否する方針を表明しながら、その後も少人数の参拝は受け入れていた。近年、暴力団排除の機運が高まり、ようやく“絶縁”に踏み切った格好 だ。 
 延暦寺では18年4月、初代~4代目山口組組長の法要が阿弥陀 堂で営まれ、全国の直系組長ら幹部約90人が参列。滋賀県警が前日に中止を要請したが、延暦寺は「慰霊したいという宗教上の心情を拒否できない」として応 じなかった。(出所: MSN産経ニュース2011.11.17 14:39配信)
 これに関して、次のように書いている。
小生がずっと縁を有している宗派は浄土宗であり、延暦寺は天台宗なのだから、考え方が異なるのは異なるのだろう。しかし浄土信仰を宗派として開 いた法然は延暦寺で勉学した。そもそも延暦寺は日本の大乗仏教の総合大学とでも言える存在で、歴史に名を残す仏教思想家の多くは比叡山出身である。だか ら、延暦寺と浄土信仰とは全く無関係というわけではない。

倉田百三「出家とその弟子」は今でも中学生向けの推薦図書リストに入っているのではなかろうか?その最初の扉には
極重悪人唯称仏  我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見  大悲無倦常照我
の 正信念仏偈の仏句が掲げられている。この「出家とその弟子」という戯曲の主人公は親鸞である。親鸞が法然の弟子であり、現代日本でも最大の信徒を有する浄 土真宗の宗祖となったことは、歴史の授業で必ず登場する事柄だ。その親鸞といえば、どんな言葉を思い出すだろう?教科書にも登場しているので誰でも知って いると思う。

善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや

である。善人が極楽浄土で救済されるというのに、悪人が救済されないはずがないという文意だ。決して逆ではない。悪人すら救済される以上、善人が救済されないわけがない、こう言っているわけではない。あくまでも、悪人こそが救済されるはずなのだという思想である。
そして最後にその時の疑問を提示している。
さて、延暦寺は暴力団参拝を拒否するとのことだ。上に引用したような、悪人の魂をこそ救済しなければならないという思想は、この措置からは到底窺うことはできない。そんな考えは捨てたのか?もともと、そんな思想は天台宗にはなかったのか?
***

 不倫、家庭内とデートの二つのDV、覚醒剤、おれおれ詐欺、ブラック企業等々、現代型悪行が毎日報道されている。特に、組織暴力団が関係してくると、その人間は社会から抹殺される。法に反した以上はそれも当然であると世間も疑問に思わないようだ。

が、小生は極端なほどのへそ曲がりだ。

法に違反した人間は、事実上、社会から退出させる。復帰させない。法に反する事業を展開している「闇の事業主」には存在位置を与えない。裏社会なるものは許さない。あくまで否定する、と。

小生もこのロジックに反対はしない。ただ悲しく、情けなく、その器の小ささに失望するだけである。

***

悪行を重ねる人間は悪行を重ねて生きるという正にその点でそんな運命を負って生きている。そのこと自体が汚辱であり苦しみである。畜生餓鬼の世界に沈んで生を送っているのである。だからこそ魂の救済の対象として真っ先に選ばれる。これが親鸞のいう悪人正機説の核心であると理解している。

悪行を重ねることなく、善い人生を送っている人は、人から親しまれ、友人に恵まれ、仕事でも成功し、家族とも円満に生を送る可能性が高い。であるが故に、その人はこの世において既に報酬をもらっているのであって、善人であるが故に来世においても救われる資格があると考えるとすれば、それは傲慢というものだ。

こんな思想は、日本の他力本願思想に限らず、バイブルの中にも窺われる。成文法を遵守しているか否かという視点とは別に、ドブ川のような空間で生きる人にこそ神の救いの手をみるという発想は国や民族を問わず広く人間社会にあるのだろう。

***

 本来は、成文法を遵守するという法治主義と信仰する神(唯一神からもしれないし、阿弥陀如来かもしれず、あるいは八幡神かもしれないが)という次元の違うこの二つの観点は、方向が重なり合わないX軸とY軸のように交差して、現実社会を規律づけていたはずだ。

ある面では法により統治し、別の時は宗教的感情から裁定する。そのバランスに苦心してきたのが現実の歴史である。どちらか片方に偏ると、この世は非常に生きづらくなる。 そう思っているのだな。

だから、暴力を旨とする反社会的悪人がもしも魂の救済を求めて六字の名号を唱えたいと寺を訪れれば、社会の法に反して生きているかどうかにかかわらず、阿弥陀如来による救済を願う権利はある、というよりその種の人間こそ真っ先に救われるべきなのであるから、寺は迎え入れるべきである。宗教はその種の人を受け入れることをこそ任務としている。それが憲法の定める信仰の自由でもある、と。そう思っているのだな。

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江戸期の大学者・新井白石は『読史余論』の中で、国家を覆すほどのエネルギーが宗教にはあった点をあげ、しかし織田・豊臣から徳川政権の下で概ね宗教的勢力を押さえ込むことに成功した。しかし、一向宗(=浄土真宗)だけは完全な押さえ込みに成功しないまま今日(=綱吉から家宣にかけての時代)に至っていると。そう書いている。

とすれば、(明治維新以後の近代化の激動の中でこう見ていいかどうか確信はないが)天台宗のような平安仏教や奈良仏教はもはや死火山なのかもしれないが、国内最大の信徒数をもつ浄土真宗はいまだ休火山であるかもしれず、誰かカリスマ性のある指導者が登場すれば、再び社会を動かすほどの熱狂に至る可能性はある。

格差拡大の時代の中でそんな宗教的熱狂の十分条件が整いつつある。そう思ったりしている。


2016年2月21日日曜日

統計音痴の一例: 介護施設の虐待件数

TVのワイドショーを見ていると、果たして介護施設内で発生した事件が話題になっていた。

そこでは虐待件数の急増ぶりが折れ線グラフで示されていた。

何か、老人虐待がどんどん増えていると言いたげである。

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しかし、この話し、半分は真実かもしれないが、半分は誤解。というより嘘である。

そもそも高齢者の人口が増えれば、介護施設も増えるのは当然だ。そして介護施設が増えれば、母数が増えるのだから、虐待件数が増えても当然だ。

人口が2倍になって自動車の台数も2倍になれば交通事故も2倍に増えて当然である。人が倍になれば、窃盗事件、殺人事件の件数も増えるだろう。

こんな風にあからさまに言ってしまっては実に身もふたもないのだが、この世の現実は善いことばかりではなく、悪いこともある。現実を管理するには客観的事実をまず達観することから始めるべきであろう。

余計な道草を記してしまったが、つまりこうだ。

故に、介護施設の運営状況について何かの知見を得たいなら、虐待件数を介護施設数で割って標準化しなければならない。

また老人が虐待を受ける可能性について何かを知りたいなら、虐待件数を高齢者人口で割った数字を見なければならない。

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主要経済指標の一つである全国百貨店販売額をみるときも、必ず店舗調整後販売額をみる。なぜなら百貨店の店舗数が増えれば、その分販売額は増えると予想されるからだ。だから所謂「客足」の好不調を判断するには店舗調整後の数字をみる。ただし、これにも異論はあって店舗調整後販売額は百貨店の経営効率をみるための指標であるという人もおり、その人は店舗調整前の数字を見るべきだという。確かにそれも理屈だ。

なので、虐待件数の生の数字にも読み取るべき社会的メッセージはある。それだけ多くの虐待が世の中で発生しているという事実に変わりはないということだ。この事実は、それだけで社会全体としての幸福に大きな影響をもたらすに違いない。しかし、だからといって個々の介護施設の運営の中で過去よりも多くの虐待行為が発生しつつあると示唆されるわけではない。それを言うには施設数調整後の数字をみなければならない。

個々の介護施設がいかに真剣に誠実に運営されているとしても、総数としては虐待事件が世の中で増えていく。それは将来の人口構造を考えれば、いまから当然に予測される。多くの人はこの予測に反対しないと思う。

であれば、当然に予測されることについて、その一々を善い悪いと評価しても仕方がない。少しでも予測を下回るように、施設運営システム、価格戦略、メニュー戦略、それに従業員の待遇等々、これらを少しでも改善していくしか道はない。 これが実行可能な努力目標だ。

総数としては、それでも望ましくない数字が結果としては出てくると思うのだが。

いずれにしても、到達可能な目標を設定するべきであり、絵に描いた餅を現場に強いるべきではない。

【加筆】 ここまで書いてきて、念のため統計データをあたってみた。各種介護施設が混合されており、また虐待についても様々なカテゴリーがある。ザックリと言えば、上のように言えるが、実際に施設数を調整した数値を算出するのはTV局のスタッフには難しいと思う。右から左には出ない。この件については、改めてまた覚え書を投稿したい。それにしても日本の統計ポータルサイトe-Statの使い難さはどうだ。最初から統計データの名称がわかっている場合はスラスラと検索結果が出てくるが、それは作成官庁のサイトからでも入手できる。データの名称すらわかっていない場合にポータルサイトが役立つはずだが、一番必要な時にほとんど助けにならないのがe-Statである。アメリカのData.govと比較する気にもならない(2/22)。

2016年2月20日土曜日

陳腐な話題: 個人情報保護は絶対か?

今さら『個人情報保護は絶対か?』という質問ほど退屈な問いかけはない。10年前も5年前も、そして今でも、時によりけりという答えと、絶対不可侵だという回答は、同じ程度に分布していると思うのだ。

いまアメリカのFBIとアップルが対立している。捜査の必要からiPhoneが保護している個人情報(通話履歴とかメールとかメモとか、その他諸々のデータだろう)のロックを解除するソフトを提供してほしいと捜査当局が要請したというのだな。で、アップルは拒否した。メディアでも盛んにとりあげられている。

確かに、パスワードを知らないまま5回だったか、いや今では10回になったのか、ログインに失敗すれば全データが消去されるように設定されていることもある – 現に小生はそうしていた。

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小生はアップルの姿勢に共感を感じる。

しかし、(よく考えてみると)小生の本音、というかずっと持ち続けてきた自分自身の意見とは違うことに気がついた。

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それは後で述べるとして・・・

日本でも10年ほど前に導入された個人情報保護法。あの時、日本のメディア業界、及びいわゆる「有識者・知識人」はおしなべて法制化には反対だった。理由は報道の自由を侵害する可能性があるというものだった(と記憶している)。

上のロジックに立てば、その時「個人情報保護法案」に反対した日本のメディア業界は、今回のFBI対アップルの対立ではFBIの立場を支援しなければならない。

特に今回は犯罪捜査という公共の利益に基づいている。

しかし、個人情報保護は絶対に必要であるという立場もある。その立場にたてば別の意見になる。

公共の利益が先だって?そんな理由は口先だけで意味がない。もし今回のケースで可とされれば、捜査当局は、犯人でなくとも、捜査当局が必要と考える個人なら誰であっても、個人情報を侵害しても良いと考えるに違いない。それは明白だからだ。

クレディットカードの使用履歴はすべて当局の手元にある・・・嫌だという人はやっぱり多いだろう。

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小生もまた個人情報保護法案には実は反対なのであった。というより、厳密に言えば、無関心であったと言うべきだろう。

というのは、小生のことを(どんな理由でか)調べられても、確かに気色は悪いが、何も困ることはないからだ。

知りたいなら、どうぞお調べになっておくんなせええ。困ることはなんもござんせん。そんな感じだ、な。

男子たるもの、一歩敷居を跨げば七人の敵あり。幾つも別荘をもっている富豪なら、自分の現在位置、保有資産、事業内容などは、いわば私的な軍事機密のようなものだから、隠しておきたいはずである。

持っていないっていうのは、弱みもないということなのだ。

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とはいうものの、金銭取引など勝手にハッキングすればそれは犯罪であると。この位の認識は制度化してくれないと困る。

それでもなお、知りたいなら勝手にどうぞ、と。しかし、もしも不正に情報を利用して私に損害を与えたなら、それは10倍返しだよ、と。当局に告発するからね。それで、当局は取引経路を何の手続きもなしに、いくらでも調べられるのだからね。しっかり賠償してもらうよ。

こんな風に、知りたいならどうぞ、しかし損害はしっかり10倍返し(ひょっとすると、100倍返し?)ですよ。このほうが世の中、ずっと活性化されて、面白いと思うのだ。大体、秘匿しておきたい個人情報、他人に知られると本当の意味で困る個人情報、そんな情報の多くは何らかの意味で当人の弱みにつながる情報ではないだろうか。この情報は漏えいの恐れがあると思えば、それでも隠す方法を考える人もいるだろうが、多くの人は「止めておくか」と思うだろう。これは他人の目が社会的規律として作用するという意味でもある。

事後的な損賠賠償を厳格化する。その反面、情報はそれ自体としては緩くする。このほうが小生の感覚にはマッチするのである。

故に、感覚的には「守るものは守る」と言っているアップルの姿勢に共感するのだが、昔から個人情報の保護なんて必要ないって言ってたよねと言われれば、確かにそうです、と。ということは、FBIに教えてもいいんじゃないの。そんな結論に個人的にはなってしまうのである。

珍しくも、メディアが多分とるだろう立場と小生の個人的意見が合致する見込みが出てくるわけだ。

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それにしてもアップルという企業は度胸がある。ここに最も感心した。

仮に東京地検特捜部から協力依頼があったとして、その依頼を蹴っ飛ばせる日本企業があるか。犯罪捜査であっても守るものは守ると、NTTDoCoMoは言ってくれるか、AUやSoftbankは言ってくれるか・・・、個人情報保護法があるとしても実に心もとない。

大体、いまでも「必要性があれば」匿名のスパムメールが誰から送信されたものか、そのくらいなら警察に相談すれば、警察がプロバイダーから情報をとってくれるそうだ。

そんなお国柄だからねえ・・・。

2016年2月18日木曜日

リアルの"Amazon Books" ー これは行きたい

電子書籍の雄であるアマゾンがリアルの書店を大量に出店するという報道がある。
米インターネット通販大手アマゾン・ドット・コムが実際の書店400店を出店することを計画している。既存の書店との戦いの最前線に切り込む動きだ。
一部を引用しているのは、本年2月12日付け日経記事である。

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■400店舗が目標
昨年11月にシアトル郊外に設置したアマゾン書店1号店(C)Shutterstock
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昨年11月にシアトル郊外に設置したアマゾン書店1号店(C)Shutterstock
 アマゾンの計画を認めたのは、米ショッピングセンター運営大手ゼネラル・グロース・プロパティーズのサンディープ・マスラニ最高経営責任者(CEO)。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが2日付で報じた(注:マスラニ氏はその後、自らの発言はアマゾンの計画を反映していたわけではないと訂正している)。マスラニ氏は決算発表で客足について質問され、「アマゾンは実際の書店を出店する計画だ。私の理解では、300~400店舗を目標に掲げている」と答えた。
 だが、こんなことが本当にあり得るのだろうか。米ボーダーズなど老舗の書店チェーンを経営破綻に追い込んだに等しい企業が、デジタル時代以前の遺物が残したギャップを埋めようと考えるだろうか。実際には、それほど不自然な考えでもない。
 アマゾンは数カ月前にシアトルに初の書店を開店したばかり。1月にはオンラインで注文した商品を受け取り、同社の最新の機器もチェックできる有人の拠点をカリフォルニア大学バークレー校に開設した。年内に他の大学にもこうした拠点をオープンする方針を明らかにしている。

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Amazon Booksともなれば、書籍の他に”Kindle Fire”やら”Fire TV Stick”やら、Amazonが製造販売している今風の小道具の実物も展示され、そこで簡単に手に入るようになるのだろう。

店内のデザインがどんな趣味になるのか。それは進出してからのお楽しみになるが、もし日本店第1号が開店すれば、小生は東京まで見に行くかもしれない。

手に入ればいいという場合と手に触ってから買いたいという消費者の動機のバランスをとるには、やはりリアルの現場は販売戦略として必要だ。

楽天市場も最近は大手デパートとコラボして成功している。

電子商(e-Commerce)市場は、リアルの小売市場への浸潤、さらにはネットの中に現出する仮想現実店舗、つまりバーチャル空間の設計。この二つが競争優位に立つためのキーポイントであることが段々と見えてきた段階にある。



2016年2月17日水曜日

経済データ・天気予報と生活実感

小生が暮らしている町では昨晩から今朝にかけてまとまった雪が降り、住んでいるマンション駐車場には、今朝、除雪車が入った。除雪車が入ると、車を移動しなければならないので、アタフタする。できれば来てほしくない。

天気予報をきいていると、今日もまた深夜にかけて20センチ、明朝までに20センチ降る可能性があるという。

ヤレヤレ・・・、一軒家に暮らしている人に比べれば、そりゃあ遥かに楽だ。それにしても、2月は暖冬になるという予報ではなかったかいな・・・ぼやきも出るってものだ。

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そういえば、今冬の長期予報はエルニーニョ現象の影響で暖冬であると、特に西日本は暖冬であると。北海道は「暖冬」とまではいえず、平年並みということであったが、厳しいという予報ではなかった。

確かに、12月は少雪傾向であり、スキー場はどこも心配していた。それが年末、年始にドカ雪が降り一安心したそうだが、その後はプラス5度、プラス8度の日もあったから、困っただろう。ジェットコースターのような気温、それがこの冬の特徴だ ― 幸いにして、「雪まつり」や「雪明りの路」開催期間中は、ハラハラと雪が舞う、祭り日和が続いたが。

マンション管理人のYさんによれば、除雪車出動の依頼回数は昨年より少なくなるだろうと思っていたところ、だんだん追いついてきて昨年並みになりそうだということだ。

Yさんと一緒に除雪を手伝っているKさんは、「それでも今年は雪少ないよ。今年は屋根の雪下ろし、まだやってないもん。去年はいまの時期、もう2,3回はやったからね」。

つまり、降るときはしっかりと降っている。それが気温の乱高下でとけてしまう。だから積雪量としては少ないのだ。

雪というのは、とけるときはとけるで危険である。屋根から落雪があるかもしれないし、とけた雪が夜間にはアイスバーンになって車がスリップしやすくなる。歩いていると思わぬところで滑って転倒して骨折することがある。

今年は<危ない冬>なのだ。

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経済統計でも景気動向指数や実質GDPの、それも季節調整済前期比。消費者物価指数の対前年比もそうだ。

どの経済統計もサッパリ暮らしの実感と合致しない。そんな声をよく耳にする。

それを統計技術的な側面から説明してみても、感覚的に合わないと言われれば、合わないと言う事実はやはり認めなければならない。

だから、最近は街角の声をきく景気ウォッチャーなどというデータもある。

天気予報も同じだろうと思う。確かに、冬季の平均気温をとってみれば、今年は「暖冬」になるのかもしれない。

しかし、平均気温が高いか、低いかで毎日の過ごしやすさが決まるわけではない。それは必需財、贅沢財、公共料金等をすべて含めた価格の平均的変動で暮らしの実感が決まらないのと同じである。

言葉でいえば、この冬は<気温は高めだが荒れた冬>である。

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雪国の人にとって毎日がどの程度しのぎやすいか。必ずしも気温だけが大事ではないし、降雪量で決まるわけでもない。

冬のしのぎやすさに影響する要因を集計して<冬の過酷度指数>でも作成、公表してはどうか。

ただ、こんな指数を作っても、北日本の雪国の人しか見ないはずだ。故に、国の機関である気象庁が作成する理由は乏しい。

何度も書くことだが、気象庁は基礎的データを整備することに専念するべきだと思う。もちろん大規模地震など国家的見地からとりくむ予報業務もある。しかし、気象予報の大半はローカルな機関が本来は担当するべきだろう。地元住民のニーズを熟知しているからだ。

データ解析技術は産官学のテーマとしても非常に有望だ。心配はまったくない。

冬の厳しさ、夏のしのぎやすさ、花粉飛散状況等々、ローカルな必要性に対応することで住民が大いに助かるサービスは特に気象という分野で非常に多く残されている。