2019年2月24日日曜日

一言メモ: 前稿の続き ― 政治が関係すると分からなくなる

英国与党が中国共産党の人権抑圧に関連してレポートをまとめたとの報道。プロパガンダ機関「孔子学院」をどう見るかである。
英与党・保守党の「人権委員会」は今月18日、同国内にある中国の「孔子学院」について、「中国共産党政権のプロパガンダ機関(中国共産党統一戦線部の出先機関)であり、学問の自由と表現の自由の脅威となっている」と指摘、「孔子学院」と英国内の研究機関との間で交わされた全ての合意内容について再考を求める19頁に及ぶ報告書を公表した。英国与党が「孔子学院」問題を議会で追及するのは今回が初めてのことだ。
URL: http://agora-web.jp/archives/2037405.html

小生が暮らす町の隣町S市の駅前にも「孔子学院」があった。最近、通勤頻度が減ったので看板に気がつかなったが、どうやら駅前からは撤退したとのこと。

札幌大学孔子学院が、今年度限りでJR札幌駅に近いサテライトキャンパスから撤退する見通しだ。運営している札幌大学の経費節減策の一環で、来年度以降は札幌市豊平区西岡の本学キャンパス内に講座場所を移す。
URL: https://hre-net.com/syakai/kyoiku/18683/

 分からないのは、日本の行政に関連することなら(関係の薄いことまで含めて)全ての事柄を審議している国会・予算委員会で、昨今の日韓関係や中国共産党の人権抑圧、対中外交方針との整合性など、これらの重要案件が真っ当に議論されることがほとんどないということだ。

そもそも国会の予算委員会では、与党の側が問題提起することは稀であり、もっぱら野党の側が政権を批判するために論点を自由に選択し、それで審議時間が消費される傾向がある。トランプ大統領をノーベル平和賞候補として安倍首相が推薦したという点を論議の俎上にあげていることは、外交関係を予算委で議論してもよいと野党サイドが考えている証拠だ。

ところが、日本が世界とどう向き合うか、そんな本質的なテーマは(小生の不勉強もあるかもしれないが)ほとんど全く重要論点としてあがらない。野党は政府に対して戦略的方針のいかんを質問しない。

どうでもよいと思っているのだろうか? 実は野党も政府と同じ見方を共有しているということなのか? 質問しないということはそういうことでしょう。

そんなはずはないヨナ・・・

これも政治なのだろう。

政治が関連すると理にかなわないことが多くなる。これも一例だと思う。

理にかなわないのが政治現象の特徴であるのに、「政治学」という学問分野があって、そこでは政治学者がロジカルな議論をしようと努力している。それは小生にとっては七不思議の一つである。

2019年2月23日土曜日

雑談: 分からない事は多いネエ

久しぶりにカミさんとの雑談を書いておこう:

小生: 沖縄県の辺野古埋め立てで県民投票をするんだけどサ、結果は安倍首相とトランプ大統領に伝えるらしいね、知事から。

カミさん: そうなの?それはそうなんじゃないの?伝えないとね。

小生: 伝えたから日米関係をどうするって事にもならないと思うけど、だけど投票って三択らしいよ。「賛成」、「反対」、それに「どちらでもない」って回答もあるっていうから分からないよな。

カミさん: 賛成か、反対だけだと答えられない人も多いのヨ。

小生: なんで、答えられないの?

カミさん: 賛成の言い分も分かるし、反対の言い分も分かるってことあるでしょ?

小生: そりゃ、両方の言い分は分かるってのは大事さ。だけど、分かった上でさ、それではあなたの気持ちを答えてくださいって聞かれたら、どちらに近いかって、そのくらいは誰でも分かるんじゃないの?

カミさん: 遠慮してるのよ。

小生: 無記名投票でさ、誰に言うわけでもないしさ、自分の気持ちだけを書いて答えるんだよ。誰に遠慮するのかなあ・・・どちらかと言えば「賛成」に近いとか、「反対」に近いとか、自分で分かるだろ。答えたくないなら投票所に行かなければいいんだよ。それをわざわざ投票所に行ってだよ、「どちらでもない」って答えるのは、イヤア、俺にはその思考回路は再現できないんだよね。

カミさん: ここで言っても仕方がないの!

★ ★ ★

こんな話もした:

カミさん: 一昨日おとといの地震、▲▲さんのとこのアリサちゃん、駅前にいたらしんだけど、帰れなかったんだって・・・

小生: さっとタクシー乗り場に走らないと駄目だよ、そんな時は。

カミさん: JRに乗ったら地震がきて降ろされたらしいのよ。だから、タクシー乗り場はもう長蛇の列だったそうよ。

小生: う~ん、それは不運だなあ・・・それにしても、停電が起きなくてよかったよ。

カミさん: 厚真町では短い時間だったけど、電気が切れたんでしょ?

小生: すぐに点いたらしいけどね。もしまたブラックアウトなんて事になってたら、もう世界中から『日本はなにバカなことをやってるの?』ってさ、大恥かくところさ、電源はあるのに活用できない。泊には8年間も止めてる大施設があるのにね。何でこんなに時間かかるのって、誰でも思うだろうさ。あるのを使わずに大停電になって、今度は酷寒で人命に犠牲が出たら、そりゃあタダじゃあすまないってことは、何度も警告されてきたからネ。

カミさん: 気温が偶々上がってたから良かったよね。

小生: 9月の地震の時は、運悪くブラックアウトになった、それでも秋だったから不幸中の幸だった。今度の地震は運よくブラックアウトにならなかった。でも、そのうち、運悪くまたブラックアウトになって、予想通り犠牲になる人が出てくるだろうね・・・

カミさん: 怖いなあ

小生: 原子力規制委員会は、学者の問題指摘が厳しくてサ、泊原発の再稼働は許さないみたいだよ。

カミさん: 誰か反対している人がいるの?

小生: 色々な学者がいるからネ・・・セカンド・オピニオンを求める権利を裁かれる側には与えるべきだなあ。裁判も控訴できるし、医師の診察だって当然の権利として認められてるからね。多くの専門家の判断を聞くべきだな。

***

要するに、政治が関係してくると「分かんねえ」。そういうことである。

つまり政治が理に適っていないということだ。政治は社会のマネージメントである。それが理に適っていない。今世紀の日本人はロジックを尊重しない時代に生きている、ということか。

確かな目標があれば、自然と合理的であろうとする意識が生まれる。理に適わなくともよいと感じるのは目的がないためだ。

分からない事が増えているのも、「目的を持てない時代」の「世相」なのだろう。

要するに、「漂流」する時代だ。そんなことはTVも新聞もとっくに分かっているはずなのだが、もう真面目にとりあげてはいない。テーマが大きすぎて、諦めてしまったのだろう。

2019年2月20日水曜日

メモ: 「ニュース」が予測に無益なことが多い理由は

将来予測、特にマクロ経済分野の予測技術は小生のメシの種であった ― そろそろ授業などで解説するのは鬱陶しい作業に感じつつあるが、面白さ自体は主観的にはまったく変わらないままだ。

その予測なのだが、要するに可能性の広い範囲の中で確率的に高い範囲を示すことが目的であって、慎重な人であれば予測範囲で結論を出すはずである。たとえば天気予報もそうだ。点予測を求められるなら最も確率的に高い値を答えるか、確率半々の中央値を言うか、でなければ期待値(=平均値)を予測値とするだろう。

言い換えると、大勢を読むのが将来予測の勘所だ。

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大勢を読むのに、いわゆる世間を驚かせる「ニュース」は概ね必要ではない。それどころか、過剰にニュース性がある珍奇な事柄に興味を奪われると、時代が進行していく方向を読み誤る原因になる。

この理屈は生産管理と同じである。いわゆる「QC」の根本は、偶然変動と異常変動との識別にあるわけで、個々の変化の大半に対しては敢えて応答行動をとらず現行システムを維持する。そして異常と識別される変動については原因を特定して問題解決を図る、というのが要点である。予測も似ている。

ニュースは人を驚かせる話題のことを言うが、予測は新奇な話題ではなく、誰もが聞いたことがあるほどの時代のメインストリームの先を読む作業である。後から振り返ってみると、世界の変化は常識的な流れに沿って、動いてきたと小生は思っている。

二度の世界大戦があった20世紀から21世紀の今に至るまで、リアルタイムに生きた人たちの「無知」や「非常識」が混じっていたにせよ、後から振り返ると大勢としては合理的に歴史を語ることが出来る。驚くべき大逆転劇や奇跡がそこにあったわけではない。理詰めのビジネスの累積が歴史だった。

故に、世界の今後を読み解くのに、いわゆる「ニュース」をできるだけ早く知る努力はそれほど必要ではないと小生は思っている。

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テレビのワイドショーでいくら「面白い」ニュースを提供しても、「世間」という現実はほとんど影響を受けない。むしろテレビの影響を受けるとかえって混乱する。その混乱ぶりは、どこか尻尾が犬を振り回すのと似ている。新規な少数例が圧倒的多数の現実を圧倒することも偶には起きてしまうのだ。

ニュースは面白いが、現実は退屈である。しかし、大部分の人は退屈な現実で毎日を生きている。真に伝える価値のある事柄は、新奇な少数例ではなく、どこにでもある日常である。ありふれたメインストリームをこそ、広く多くの人に伝える方が本当は価値のあるビジネスだ。しかし、こんな内容では誰もが知っているがゆえに視聴率を獲得できないだろう。

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以上をまとめると、視聴率を獲得することを目的にニュース番組を編成しても、私たちが暮らしている社会の現実とはほとんど関連性のない事柄をとりあげて放送する運命にある。いわゆる「ニュース番組」が直面する理屈はそういうことだろうと思われる、というより思うようになった。

2019年2月17日日曜日

一言メモ: 中央官庁再編の予測

統計不正は国会でも「それなりの」というより、「もはや選挙運動」と言った雰囲気で政権批判、与党批判の題材となっている観があるが、こうした国会審議は国会審議として、本筋は解決するべき問題としてリアルに存在していることが要点だ。

これまでは厚労省関係業務で発生する不祥事が余りにも多いということで、元のように厚生省と労働省に分離するかという意見も多く出されているようである。

しかし、元の姿に戻れば昔の元の状態に戻るだけである。戻して良くなるというのは、統合してダメになっていたのである、という認識だがこれでよいのだろうか。

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予測を書いておきたい。

総務省に吸収合併された旧・行政管理庁である。数日前の投稿にも書いたが、その点も含めて行政府内に監察部局はなければならない。警察組織にも警務部、監察官が設けられ、旧軍には憲兵がいた。更に遡れば、旧幕時代の役職に幕臣を管理する目付け役があったわけである。首相官邸が人事を握っているので大丈夫というわけには行かないようだ。

今回の統計不正、小生は「不正」というよりは「違法な手抜き」と言うのがより正確だと思っているが、これは調査などではなく「行政監察」を行うべき事案だとみる。必要なら刑事告発、人事上の懲戒処分などに持っていかなければ士気が弛緩するであろう。

国会の役割だという向きもあろうが行政府内の組織管理も行政である。国会が問題意識を持つなら立法行為によって向き合う必要がある。そのための国政調査権だ。TV向けの井戸端会議をやられても税金の無駄というものだ。

政治を論じるなら、まずは山積する外交問題、児童虐待に対応する体制づくり、原発の扱いも含めたエネルギー計画等々に目を向けるべきだ。北海道のブラックアウトはもう過去の事か・・・本来は時間がいくらあっても足りないだろう。近年の日本では、国会が開かれる新年1月から晩春の5月にかけて、「国民的井戸端会議」のロングランが定期公演されているようだ。情けないの一言だ。

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小生の予測は、行政監察機能が総務省の一部局ではなく、会計検査院、あるいは人事院、国家公安委員会、公正取引委員会と同じく独立性の強い「行政監察委員会」に分離独立して一件落着となるのではないかと。そう予想している。それまでに2年か、いや3年か。多分、現在の安倍政権では感覚的にこうした取り組み方はしないであろう。もう与野党ともに、マスコミもとっくにそうだが、グダグダである。

これは随分以前に、東日本大震災の直後、メモ代わりに投稿した「日本原子力発電公社」設立予想とともに、小生の予想の中では結構規模の大きい部類に入る。

官僚集団は国民が選挙で選んだ国会議員や内閣の部下というより、それとは独立した選抜方法で採用した国民の公有資産である。内閣は官僚組織と相互に理解をして、国益に本分をつくすのが理想型というものだろう。役人の取り締まりは、国会議員から就いた内閣がやるより、独立機関が政治色を排して公務員倫理の観点から担当する方がはるかに見やすくなる。

行政監察機能の具体的な形と並行して、多分、内閣人事局の現在のあり方も見直されるのではないかと勝手に予想している。

2019年2月15日金曜日

「がっかりする」より「抱きついて離れない」方がずっと悪質である

東京五輪を来年に控えて、競泳の有力選手が白血病と診断されたことが世間に衝撃を与えている。

ところが何と五輪担当大臣が「がっかりした」と発言したというので、野党からは「罷免せよ」、「五輪担当大臣をいつまでやるのか」等々、非難の嵐を浴びせている。

その第一報を目にしたときは、『ほんと、政治家っていうのはデリカシーがないものだねえ』、『ずっと前の<産む機械>騒動を思い出すねえ』などとカミさんと話したものだ。

ところが発言内容の全文を八幡和郎氏がAGORAへの投稿で公開してくれたので勘違いに気がつくことができた。

読むと、まったく問題のない発言である。ある意味で「がっかりした」という心情は日本国民の心の片隅にもあったはずであり、その心情は<驚き>、<同情>、<落胆>、<憐み>、<支援>など、あらゆる気持ちがないまぜになっていたに違いないのだ。この辺の事を桜田大臣は記者に対して朴訥に回答しているだけであるように感じる。

★ ★ ★

野党が政治問題にしているだけなのだろう。

楽屋裏はいずれ露見するだろう。

もっと酷いのは、マスメディア、特にTV放送だろう。病に倒れた選手を話題にすれば視聴率が上がるのである。だからなのか、連日、ワイドショーでとりあげている。その合いの手に桜田大臣の「がっかり」を織り交ぜている。

文字通りの番組編集である。

画面では同情を装っているが、経営動機から憶測すれば「喜んでいる」はずである。

こちらの方が余程悪質であると小生は感じている。

★ ★ ★

国会予算委員会の審議のレベル低下は、そこに居る人たちのレベル低下である一面も確かにあるかもしれない。が、レベルが低下した国会風景をテレビで観たいと思っている日本人がそうさせている一面もあるだろう。

そもそも日韓外交の難問や北方領土交渉、日中関係という案件、防衛予算拡大の是非、社会保障の見直し方向等々、真剣に問題解決しようとする委員会審議をそのまま中継しても、大半の国民は退屈でテレビを見ないだろう。チャンネルを変える。視聴率が下がるだけだ。

政治家も、マスコミも、そんな国民の空気を読んでいるのだと小生は解釈している。

現在のような井戸端会議と同タイプの予算委員会をテレビ中継することの意義はなく、必要性もないと小生は感じる。重要案件に限定して、たとえばNHK教育で中継するのが適切ではないだろうか。興味本位の視聴者は視ないはずなので、真に展開されるべき論戦がみられるかもしれない。

2019年2月14日木曜日

思いつくまま: 使われなくなった言葉

前稿で「自浄作用」という言葉をサッパリ耳にしなくなったということを書いた。そう言えば・・・というので、思いつくままに。

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「自浄作用」は「自浄能力」ともいう。「自己規律」という言葉も同根であるし、更には自らの失敗、失策の責任は自分が真っ先に負担するという意味では「自己責任」という言葉とも縁が近い。

「自浄能力」に期待しないから「独立した第三者の目」という方法論になるのだが、外部の目をとにかく入れるという発想は、言葉を換えれば「自浄能力」よりは「他人の監視」をより信頼するという感性があるからだ。

なぜか?

そう考える人が増えているからだ。

この根本的理由は小生にもハッキリとは分からない。何かがあると直ぐに「進駐軍」がやってくるご時世だ。

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「プライバシー」という言葉も最近はメッキリと使われなくなったと思う。むしろ「個人情報保護」という術語を使う中で「プライバシー侵害」という以前はあれほど使われていた言葉が廃れてきたのだろう。

ただモラルとしての「プライバシー」と法律としての「個人情報」はどこか違っている。

そもそも「個人情報保護」を法制化した原因は、個人情報がまったく保護されてはいないからである。この点は小生、100パーセント、老子のいう『大道廃レテ仁義アリ』の信者なのである。モラル、モラルと五月蠅くいうのは、モラルが守られていないからである。個人情報など今の世間で本気で尊重する企業も人もいないからこそ、法制化して保護している。そう考える方が理に適っている。

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「悠々自適」とか「晴耕雨読」という言葉もほとんど使わなくなった。同じことを言うなら「年金生活」と言うようになった。

忙しい雑務から卒業して、後は後世代に任せて自分は自由に生活をするのは、経済的基盤があるからだ。その昔は、現役時代に資産を蓄積して、引退すれば労働所得ではなく資産収益で暮らすというのが理想の人生であった。今では、私的貯蓄ではなく公的貯蓄、つまり社会保険料という名の税金が資産となり、国が管理をして、その収益で年金生活が支えられている ― 制度の建前では。

悠々自適と年金生活がどことなく違ったニュアンスであるのは、年金生活者=寄食者というイメージができてしまったからだろう。

やはり「もらい得」でこの世からサラバをするのは不公平だ。「もらい得」になっている分は個人資産になっている。故に、自分がもらい過ぎた分は死後社会にお返しをするのが理には適っている。相続税、富裕税の税率を上げる。なるほど公平だ。

それでも不足する分があれば、「使ってしまったカネは返せねえ」。年金ではなく、生活保護の領域だ。この二つがゴッタ煮になっているから「年金生活者」イコール寄食者のイメージになるのだろう。これはプライドの侵害である。


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「忖度」も昔と今では言葉のイメージが真逆になってしまった。

言葉の使い方が変わってしまうのはよくあることだ。「すごい」という言葉の元々の意味は「寂しい」であり、「かなしい」の原義は「かわいい」であった。

仕事の方向性を決めるのは部下ではなく、上司の方、というよりトップであるが、全員が目的感を即座に共有できるわけではない。故に、日常の習慣としては上司の身になって、聞いた言葉の真の意味を思い返すことが習慣となっていた。これが「忖度」である。

自分の属する組織はプラスになる事をやっていると信じなければ仕事をする気にならない。しかし、組織は目に見えず、自分こそ組織であると信じるのは自信過剰だ。なので、まずは上司の真の意図を理解しようと努める。当たり前であったな・・・・。

「忖度」がマイナスのイメージをもつようになったのは、上司にとってプラスであっても本当のプラスではないかもしれない。疑ってかかるべきだ。組織にとってプラスであっても本当のプラスではないかもしれない。疑ってかかるべきだ。こんな理屈があるからだろう。

サムライとは侍。侍従の侍。つまり手足となって立ち働くプロの職業人を日本では侍(サムライ)といった。だから弁護士や公認会計士には<士>の字が使われる。立ち働きながら、疑わしくなればお上にすぐに訴える。これはユダである。芥川龍之介は『駆け込み訴え』を書いたが、実行するのは嫌だなあ・・・。

小生は古い人間だ。上司の真意を忖度するなという組織であるのなら、いても仕方がないから、辞めますわな。

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言葉の事を書いてきたが、そういえば『大事なのは言葉です』という言葉も昔はなかった。誰もそんなことは言わなかった。

CMにもあったくらいだ。「男は黙ってサッポロビール」、そんな時代だ。

明治生まれの祖父が一番好きだった言葉は「巧言令色スクナイカナ仁」。要するに、言葉上手な人間は信用できない。「剛毅朴訥仁に近し」。ボキャ貧で、マスコミ受けしない人物こそ、徳があつく、力量もあるもので、いざという時に信頼できる人物である。物事を任せるに足る。これはもう経験則であろう。

大事な事は「知行合一」。口先の言葉に価値はなく、汗をかく行動が価値を創る。この点では古典派経済学の労働価値説は本筋に沿っている。小生はそう思っているのだ、な。「知価革命」などというが、知価の知は苦心の末の賜物であり、いま思いついた言葉とは無縁である。

口に入るものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。(マタイによる福音書、第15章、11)

人物評価の根本も小生の若い時代と今とでは一変してしまったねえ。

今日はこの辺で。

2019年2月11日月曜日

覚え書: 経済データとアベノミクスに関連して

「統計不正」があったからと言ってアベノミクスの成果には変わりなしと、今春以降の「選挙の季節」を間近に控えて、現政権・与党側は懸命にアピールしている様子だ。

小生も今回の「統計不正」、というより厚労省による違法な「手抜き」はあくまでも現場の怠慢と士気低下に原因があり、閣僚や、まして首相官邸の意向との関連性はなかったものと推測している。観るべき観点の選択。「そんな問題ではないと思いますヨ」というわけだ。

意図的かつ直接的なデータ操作が何か望ましくない政策誘導を引き起こしているのだとすれば、現にマイナスの影響とそこから利益を得た集団の存在が表面化しているはずであり、むしろ因果関係は見つけやすいのである。確かに、毎勤統計による賃金水準の過少推計が問題になっているが、これは2004年という相当前の時点に遡って始められた行為である。そして2018年に至って水準修正されたわけだが、これ自体は過少推計を解消する行為であり、労災保険や失業保険の過少給付はこの時点で解決されている。かつ一度水準調整されれば、それ以降の増減率に凸凹は生じない理屈だ。(←前年比は1年間高止まりする、その後、元の前年比トレンドまで落ちる)

故に、今回の毎勤統計不正とアベノミクスとの関連性はなく、いわゆる「偽装」という誹りとも無縁である。

まあ今後の経済分析で賃金データを用いる場合、「過少推計期間」の効果を測るためダミー変数の追加が余儀なくされるだろうが、こんなことは大きな制度改正による環境変化が頻繁に起こる経済領域では珍しいことではない ― そのダミー変数が制度変更ではなく、データ自体の不連続に対応したものであるというのは恥ずかしくもあるが、海外の賃金データを利用する場合などは、国境の変更、政権転覆などもあるので、経済専門家はこの種の作業には慣れているものだ。

★ ★ ★

しかし、小生思うに、アベノミクスと経済データとの関係で問題が何もないわけではない。

以前にも一度投稿したことがあるのだが、以下の記事と関係することだ:
消費増税関連法では15年10月に税率を10%に引き上げることを明記していた。だが8%への増税時に駆け込み需要の反動で消費が落ち込んだことを踏まえ、安倍首相は引き上げを17年4月に延期することを14年11月に表明。16年6月には新興国経済の落ち込みなどで世界経済が危機に陥るリスクを回避するため、19年10月に引き上げを再び延期するとした。
(出所)日本経済新聞、2018年10月15日

なるほど消費税率の引き上げ時期として2015年10月はいかにも不安だったに違いない。その年の6月12日の上海市場大暴落に端を発した金融不安の中、日本の日経平均株価も年前半の回復基調から一転、8月~9月には一挙に20パーセントの暴落を演じている。


URL:http://apl.morningstar.co.jp/webasp/marketevent/page/r2015.html#short

その直後の10月から消費税率を8%から10%へ引き上げるというのはいかにも時機が悪い。2014年11月にこの時期の税率引き上げを回避できたのは「英断」だった ― 景気動向指数の動きを観ると、なぜそんな判断が出来たのか、これまた理解に苦しむのだが、とにかく「結果オーライ」であったのは事実と言える。


上の図で黒の実線は先行指数、赤い点線が一致指数、青い点線が遅行指数である。第1回目の税率引き上げ延期を決めた2014年11月で縦線を入れている。確かに延期決定を決めた2014年秋には「ピークアウト感」があった。一時的な踊り場とも思われたが、それ以後景況は悪化し、翌年夏の上海市場暴落につながっていったわけだ。しかし、その時のリアルタイムの景気はそう悪くはなく、拡大が一服という判断と半々の可能性だったろう。事後的には2012年3月にリーマン危機後のピークが一度訪れているというのが公式の景気基準日付で認定された「山」なのだが、こう認識したのはいつだったか?2014年11月の前だったか、後だったか?記憶が明らかでない(調べれば分かるのだが)。しかし、公式の景気判断をいうならば、2012年3月にピークアウトし、同じ12年の11月にはボトムアウトしているのですゼ。2014年11月は景気拡大中だ。そして、その拡大がまだ続いているというのが内閣府の公式の景気判断なのである。2014年11月になぜ景気の先行きを心配したのかネエ・・・マア、色々と突っ込みたい点はあるが、引き上げ延期は結果オーライ。これは確かなことであった。

しかし、2017年4月に予定された税率引き上げを前年の16年6月という時点で早々と延期しようとした判断は小生は今もなおサッパリ理解できないのだ。

2016年の年初から春先にかけては、国際商品市況が低迷し、株価も世界的に低落した。その背景としては、特に中国の(鉄鋼製品で顕著だった)過剰設備と過剰生産、アメリカ・シェールオイル産業の過剰設備と過剰生産を無視することはできない。2016年の前半という時期、世界経済に不安があるとすればそれは石油、鉄鉱石など各種の「一次産品価格の崩壊」であって、それによる「新興経済国」の先行き不安だった。他方、先進国のマクロ経済データはそれほどのダメージを蒙ってはいなかった。実際、その前後の日本の景気動向指数(一致系列)をみると下図のようになっている。

URL:https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/201812psummary.pdf

これをみると、2015年から16年にかけて景気は下降傾向を示しているが、「景気後退期」の平均的長さから判断しても、16年後半から17年にかけてなお一層景気が悪化していくと予想される状況ではなかった。

しかるに2016年6月という時点において早々と経済の先行き不安を理由に翌17年4月の税率引き上げを19年10月に延期するという判断をしている。と同時に、その後もずっとアベノミクスの成果を現政権は誇示し、景気上昇局面はついに高度成長期の「イザナギ景気」も、小泉内閣からリーマン危機までの「イザナミ景気」も超える戦後最長を記録したと内閣府は認めている。

全体が矛盾しているのではないか。小生はおかしいと思う。

もちろん、消費税率が17年春に引き上げられていれば、実際の動きとは違っていたはずだという意見もあるだろう。が、2016年後半から2017年末に至るまでの世界経済と世界の株式市場は極めて好調であった記憶はまだ鮮明である。日本の消費税率引き上げ程度で世界経済の基調が変わっていたとは思えない。

故に、日本の景気循環を振り返っても、2017年4月に消費税率を引き上げておいた方が賢明であった、と。本質的な増税反対・歳出削減論者は別にして、大半の人はそう考えていると思われるのだ、な。

2016年6月という時点において、翌年2017年4月以降の世界景気の動向は決して心配されるものではないと助言しなかった内閣府の「官庁エコノミスト」は、何も間違った経済データを観ていたわけではない。間違ったデータを参照すれば間違った経済判断をするのは仕方がない。その点をいま心配している。しかし、正しいデータを観ていながら経済動向判断をミスリードするとすれば、経済専門家としての罪は深い、と。そう言われても仕方がないのではないか。

少なくとも消費税率の引き上げ時期の選択として、本年10月よりは2017年4月の方が不安は少なかったはずだ。小生にはそう思われるし、決して少数意見ではないと思う。

統計不正とアベノミクスとの関連はない。不正による誤りではなく、経済判断能力そのものは確かなのか?そんな疑問を持っている。