その予測なのだが、要するに可能性の広い範囲の中で確率的に高い範囲を示すことが目的であって、慎重な人であれば予測範囲で結論を出すはずである。たとえば天気予報もそうだ。点予測を求められるなら最も確率的に高い値を答えるか、確率半々の中央値を言うか、でなければ期待値(=平均値)を予測値とするだろう。
言い換えると、大勢を読むのが将来予測の勘所だ。
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大勢を読むのに、いわゆる世間を驚かせる「ニュース」は概ね必要ではない。それどころか、過剰にニュース性がある珍奇な事柄に興味を奪われると、時代が進行していく方向を読み誤る原因になる。
この理屈は生産管理と同じである。いわゆる「QC」の根本は、偶然変動と異常変動との識別にあるわけで、個々の変化の大半に対しては敢えて応答行動をとらず現行システムを維持する。そして異常と識別される変動については原因を特定して問題解決を図る、というのが要点である。予測も似ている。
ニュースは人を驚かせる話題のことを言うが、予測は新奇な話題ではなく、誰もが聞いたことがあるほどの時代のメインストリームの先を読む作業である。後から振り返ってみると、世界の変化は常識的な流れに沿って、動いてきたと小生は思っている。
二度の世界大戦があった20世紀から21世紀の今に至るまで、リアルタイムに生きた人たちの「無知」や「非常識」が混じっていたにせよ、後から振り返ると大勢としては合理的に歴史を語ることが出来る。驚くべき大逆転劇や奇跡がそこにあったわけではない。理詰めのビジネスの累積が歴史だった。
故に、世界の今後を読み解くのに、いわゆる「ニュース」をできるだけ早く知る努力はそれほど必要ではないと小生は思っている。
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テレビのワイドショーでいくら「面白い」ニュースを提供しても、「世間」という現実はほとんど影響を受けない。むしろテレビの影響を受けるとかえって混乱する。その混乱ぶりは、どこか尻尾が犬を振り回すのと似ている。新規な少数例が圧倒的多数の現実を圧倒することも偶には起きてしまうのだ。
ニュースは面白いが、現実は退屈である。しかし、大部分の人は退屈な現実で毎日を生きている。真に伝える価値のある事柄は、新奇な少数例ではなく、どこにでもある日常である。ありふれたメインストリームをこそ、広く多くの人に伝える方が本当は価値のあるビジネスだ。しかし、こんな内容では誰もが知っているがゆえに視聴率を獲得できないだろう。
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以上をまとめると、視聴率を獲得することを目的にニュース番組を編成しても、私たちが暮らしている社会の現実とはほとんど関連性のない事柄をとりあげて放送する運命にある。いわゆる「ニュース番組」が直面する理屈はそういうことだろうと思われる、というより思うようになった。
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