2011年6月11日土曜日

被災地復興 ― 「正解」探しに意義はあるか?

停止原発再稼働に手間取り、関西電力が15%節電を要請。西日本でもこの夏の電力事情が厳しくなった。大阪府の対応もあって調整に時間がかかりそうだ。また、義援金の支給が滞り、生活難を訴える人が増えている。仮設住宅の建設が遅れている。当選しても入居しない人がいる。被災で失業した人が余りに多い、ミネラルウォーターの増産はすでに限界、この先どのくらい需要が増えそうか見当がつかない・・・・。


とにかく、あらゆる側面で経済問題が拡大再生産されている。
こんな時、政府は何をするべきであるか?正解は何か?
正論と誤論を識別する勘所はなにか?


そんな風な議論が非常に増えている。


小生は、(別に不真面目な気持ちで話を混ぜ返す気持ちは毛頭ないのだが)、正しい判決とは何なのか?「正しい判決」なんてものはあるのか?正直なところ、こんな気持にかられるのであります。


そんな疑問を感じつつある小生にとって参考になった記事を紹介したい。


まず少し古い地元新聞の記事だが(日数が経ってアクセスできなくなっていたら御免なさい)


被災者嘆き、怒り 復興、原発そっちのけの政争劇 (福島民報:2011/06/03 08:50配信)

政治という場は、実行するべき政策を決める場なのだから、与党と野党が主張をぶつけあって、適切だと思われる選択肢を選びとってほしい。われわれ有権者はそう期待するものだ。しかし、こんな気持が強くなりすぎると、誤った選択はしないでほしい、正しいやり方を選んでほしい。そんな感情が表に出てくるのではないだろうか?これはよいこと(?)なんだろうか?

正しい政策って何だ?

兄弟への義援金支給に対する疑問 (佐藤健 政治ブログ)
確かに全国から被災者支援のために義援金を贈った人たちの気持ちは、困っている人の助けになりたい。その一心だ。だから、経済的に必ずしも困窮してはいない人達にまで、機械的に配分されてしまうとすれば、贈った人の一片の赤心が活かされない。確かにそうである。小生も上のブログの筆者には敬意を表する。とはいえ、敬意を表するから、上のブログの筆者の主張が「だから正しい」とも、どうしても思われないのである。

「正しい」ということは、(仮に正しい、誤りという区別が数学のようにできるとしても)最も大事なことなのだろうか?あなた達がやっていることは、「誤り」だと専門家が指摘をしたら、当事者は必ずやり方を変えなくてはならないのだろうか?たとえ、当事者たちが納得していることであっても。

小生の好きなブログにDani Rodrik's weblogがある。次の記事は5月だから相当日数が経ってしまっている。しかし内容ははっきり記憶に残っている。


上の記事の中の第1パラグラフの最後にある"Here is the result"のHereをクリックすると、Rodrik氏がProject Syndicateに寄稿した元記事が出てくる。Rodrik氏は、自由な市場には強い政府が不可欠なこと、政府の果たすべき役割の大きさを認めつつ、なぜ民主主義が最も大切なのかを議論している。そのサビの所を以下に引用したい。

Well-functioning markets are always embedded within broader mechanisms of collective governance. That is why the world’s wealthier economies, those with the most productive market systems, also have large public sectors.
Once we recognize that markets require rules, we must next ask who writes those rules. Economists who denigrate the value of democracy sometimes talk as if the alternative to democratic governance is decision-making by high-minded Platonic philosopher-kings – ideally economists!
But this scenario is neither relevant nor desirable. For one thing, the lower the political system’s transparency, representativeness, and accountability, the more likely it is that special interests will hijack the rules. Of course, democracies can be captured too. But they are still our best safeguard against arbitrary rule.


最も大事なことは、「決め方」なのである。そう言っている。
専門家が政府をハイジャックする事態は往々にして発生する。それが最も怖いことであると言っている。もちろん国民大衆一般が一人のカリスマと犬の如き取り巻きに扇動されて、集団的にとんでもない選択をしてしまうことはある。しかし権力を少数の政治家に委任してはいけない。これは危険を避ける一般原則として認めていいじゃないか。Rodrik氏の言いたいことはこれに尽きる。エリートは必ず暴走して失敗する。ま、なんども繰り返されていることではあります。
エリートは賢いから間違いに気がつく。ということは、自分が正しいと考えるわけであります。それをデータで証明する学力もある。かつ自意識が強い彼らは、相互に批判しあう。誰の意見が最も正しいのか。その決着を求める。これは普通の人にとっては、Special Interestであります。これを戒めている。

この点は小生も非常に賛成なのだ。

今日の投稿で言いたいことは、正しいか誤りかを議論するよりも、結論に至るまでの手続きが公開された民主的なものであったかどうか。それが最も重要な点である。この一点なのだ。
小泉純一郎という奇蹟 (池田信夫blog part 2)
小泉内閣が駆使した政治権力は最近ではトップクラスである。しかし、今でも元首相の採った政策が正しかったか、誤りであったかを論じる専門家が後を絶たない。ここでも正しいか、間違っていたか、である。正直なところ小生は、済んだことを再びとりあげるレバタラ論と同次元に聞こえてしまうのだ。実験ができませんからね。時間を元に戻して、違ったやり方でもう一度試してみることができない。
小泉元首相は劇場型宰相と言われたが(変人宰相とも呼ばれた)、アメリカのレーガン元大統領はGreat Communicatorと言われていた。政治の本質は、正しいか誤りかを論じることではない。説得する、信用させる、同調させることではないのか?小泉純一郎という人の奇蹟は、彼の内閣が正しい政策を奇蹟的にも選択した、ということよりも、今はそれをやろうと多数の国民に同調させた、それができたという事実の方でありましょう。
政治家の好きな「信なくば立たず」という格言は、この辺りの機微を伝えているのであって、一般国民も一緒に参加して決めている。民主主義社会の政治に本当に迫力と凄みが出てくるのは、ここからだと思うのだ ―― 現在の菅内閣から、そんな迫力が全く伝わってこないのは、政治家のトップである人が専門家の意見をききすぎること。政治家としては、端的にいって、大失敗だと感じる。あれでは国民は置き去りにされていると思うに決まっているではないか。やり方がまずい。民主主義の原理を理解していないと思う所以です。
次の記事の内容は小生と大体同じ考え方にたっている。参照元はReal-Japan.orgで、この貴重な論壇を小生はごく最近知った。


増税か国債か?専門家にとっては大事な議論ではあるが、どちらでもいいのですよ。つけを回された将来世代があるとすれば、そこでまた考えてもらえばいいではないですか。「先祖は色々と苦心したのだなあ。よし俺達も頑張ろうぜ」と言ってくれれば望外の幸せだ。
第2次世界大戦の悲惨な結末を間接的にしか知らない現在世代は、先祖たちをどう見ているか?
最も腹がたつのは、トップたちが自らの保身のために行動した時もある、という点であり、最も「感動する」のは、日本人の生存への意志が純正に現れている行動を知る時ではあるまいか?
正しいか、誤りかではなく、将来世代に今やっていることを堂々と語れるか否かが大事なのではなかろうか?

2011年6月10日金曜日

5年前の『日経大予測』

今日ちょっと参照したいことがあって、本棚にある『日経大予測2007年版』を手にとった。刊行は2006年10月だから、いまから約5年前の予測になる。

パラパラとページをめくっている内に、予測とはいえ、ここまで大胆に言えるかという記述もあるし、5年もたって何も前進がないねえ。そんな話題も満載だ。

とにかくも予測屋という人たちは、言いっぱなしである。予測が外れても責任をとらない。植木等ではないが、予測屋は気楽な稼業と来たモンだ・・・・・かくいう小生の仕事もそれに該当していたが、ずいぶん昔に予測で飯をくう商売から足を洗ったから、いまはそうではない。

5年前には、こんな予測があった。

米経済の成長はどこまで持続するか?<予測59>
【本命】米経済は安定成長する
【対抗】原油高によるインフレで急減速する
【大穴】景気は潜在成長率を超えて拡大する

出版後の2007年は金融不安が意識され始めた年だ。リーマンショックは、2年後の秋。安定成長はちょっと正解とは言えますまい。しかし、まあ、原油高で急減速する確率に言及していたのはさすがだ。むしろアメリカの住宅バブル崩壊、サブプライムローンこそ、本筋ではありましたが、な。

こんな予測もあったのだなあと目を引いた。

デジタル素材の高収益神話はどこまで続くか?<予測32>
【本命】家電向けの好調が続き、自動車などにも市場拡大
【対抗】デジタル家電の失速や原油高で収益性低下
【大穴】韓国、台湾など海外化学メーカーが台頭

リーマンショックの到来が見えてなかった以上、2008年秋から2009年春までの落ち込みは予測できるはずもなかった。しかし、シリコンウエハーの信越化学や日東電工などの好調を聞くにつれ、日本の強みをちゃんと見ていたことがわかる。

まだある。「トヨタの販売台数世界一は実現するか?」、「世界市場で日本車の躍進続く!」。これは大当たり。「日中、日韓の摩擦は解消するか?」、「東シナ海や竹島をめぐり日中、日韓の確執続く!」。これは大当たり、というよりも全く進歩がないと言うべきだろう。

電力市場についての予測もあった。

電力市場の自由化、どこまで進むか?<予測34>
【本命】現状維持、大口市場だけの自由化が継続
【対抗】制度を一部変更、電力会社間での競争を促進
【大穴】全面自由化を導入、家庭用市場にも競争範囲が拡大

なぜ現状維持と予測していたのか?こんな説明が本文にある。
電力行政を担当する経済産業省は、2006年に発表した「新国家エネルギー戦略」で、発電電力量に占める原子力発電の割合を現在の20%台後半から、30~40%に高める方針を打ち出した。初期投資のかかる原子力発電所の建設をさらに進めるためには、電力会社に安定的な経営基盤が必要だ。さらなる競争で電力会社の経営体力を奪うことにつながる自由化拡大の方向性は打ち出しにくくなっている。

現在、原発事業を押し付けたのは国であり、その帰結である福島第一原発の事故についても主たる責任は国にある。そんな議論が一部にある。しかし、国は原発事業に力を注ぐ見返りに電力会社の利益確保に苦心していた。これもまた事実である。国は決定を下すだけであるが、自由化を回避するという路線の下で、競争の恩恵をうける機会を奪われるという形で、国民が日本の「エネルギー戦略」推進のコストを負担してきた。これは否定できない。

電力会社は国策の犠牲になったというのは、一面では当てはまる事実だが、すべてそうだというのは嘘である。5年前の予測を見ながら、そんなことを思いめぐらしたわけであります。

最後に次の予測をみた時には、笑いをこらえることができなかった。

安倍首相、長期政権へのハードルは参院選<予測47>
【本命】参院選で苦戦するも、かろうじて政権を維持
【対抗】参院選に勝利し、長期政権へ大きく前進
【大穴】参院選に大敗し、起死回生の衆院解散を決断

これは全く大外れとなりましたなあ・・・残念!!

概していうと、新聞社とは言うものの、大局にかかわる激変には弱いようだ。それは構造変化がもたらすものであって、いつかは到来すると全員の念頭にあるのだが、それが近い将来に起こるとは予想しない。それが中庸を得たビジネスマンの考えることだ。そう言われれば、それが間違いなのですというつもりはない。

しかし、現実はそうではないですよね。リスクは現実に起こりうるし、中庸を得た発想ばかりをしていると、なにもリスク管理はできない。「もっと合理的になれよ」という社内の決まり文句には、明らかに限界がある。そりゃ、中庸って奴は和を保つにはよいが、むしろ世を動かすのは、イノベーションであって、予想できなかった創造的破壊を完遂する人間が勝って、全部とる。それが勝利の方程式である。そうではないのか?

リーマンショック、大震災と続く激変の後で、誰が次の世界を牛耳るか?それは合理的に考える人間ではなく、ケインズの言う「動物的精神」、すなわちアニマル・スピリットを胸に抱いた人物であろう。

タイムカプセルから転がり落ちたような5年前の予測を見ながら、そんなことを今日は考えたのだ。

2011年6月9日木曜日

覚書き―ヨーロッパの電力輸出入

ドイツが脱原発を決定したという報道をきっかけに、ドイツは電力料金上昇はもちろん、今後は原発を活用しているフランスから、一層多くの電力を輸入せざるを得なくなった。そんな話が増えてきている。

かくいう小生もそうだろうと思っていた。ところが、ツイッターの場で、原発推進派のフランスと脱原発のドイツとの電力取引が話題になっている。特に、フランスはドイツへ電力を輸出しているのではなく、逆にドイツから輸入しているのが現実だ。その情報が流れてきたときは、正直、「えっ、そんな風になってるの?」と吃驚した。

やっぱり、情報ネットというのは、大変有り難いものだと思う。お顔は存じませぬが、そんな交流が多くの人と簡単に可能になったことこそが、ICT革命の果実であると実感するのだ。

さて、フランスはドイツから電力入超だという資料として、主に以下のサイトが参照されている。
これによると、確かにドイツはフランスに対して、輸出が11.4TWh、輸入が3.23TWhになっているので、フランスの大幅入超、ドイツの完全な輸出超過である。

実は、小生の手元にある「エネルギー白書2010」(経済産業省編)の222ページにも「欧州の電力輸出入の状況(2007年)」という図が掲載されている。それを下に示そう。
少し画像が暗くなっているが、右上の赤紫部分がドイツ、左側の暗緑色部分がフランスである。この図によると、数字の単位は100万KWhだから、図の数字を1000で割れば、TWhになる。

図をみると、ドイツからフランスに対して725百万KWhの輸出、フランスからドイツに対して16443百万KWhの輸出と記されていて、これだと完全にドイツの入超、フランスの出超になる。しかも、上記ドイツRWE社の資料も、上の図も2007年実績だから、話が奇妙だ。

上の図の掲載元は経済産業省のエネルギー白書だが、基礎データは図の下にあるようにIEAの"Electricity Information 2009"である。それに対して、ドイツRWE社の資料はGermanyとあるが、RWE社の自社調査データか、ドイツ政府の公表データなのかが判然としない。また、このデータはMarket Dataであるという表現の意味が、今ひとつ資料では把握しきれない。

どちらにしても、二つの数字は余りに違う。
欧州の電力取引は複数ルートで、かつスパゲティ状態だから、集計の仕方、集計範囲の決め方等々で数字が違うことは容易に想像できる。とはいえ、事実認識に関わるので、気持ちの悪いことである。すぐに違いの理由がわからなかったので、覚書としてアップしておく次第だ。

今後、詰めていきたいと考えている。原発事故以来、エネルギー産業に関心をもって、色々と調べ始めてはいるものの、まだまだ駆け出しです。

ツイッターの議論では、フランスは原子力発電が主になっているので出力調整が難しい。一度止めると再稼働まで時間がかかる。それで需給調整が不安定になり、ドイツから電力を融通してもらうことが多くなると指摘されているが、IEAのデータを見る限り、ドイツもフランスも電力輸出国であることは間違いないようだ。どうも在庫ができない電力は勝手が違ってややこしい。

ただ、エネルギー自給率という点から比較する限り、ドイツとフランスは逆の方向に歩んでいるのではないかとは思う。たとえば下の図。

(出所)経済産業省「エネルギー白書2010」67ページ

これまたエネルギー白書からの転載だが、この40年間でドイツのエネルギー自給率は下がり、フランスの自給率は上がった。純(6/9修正:準)国産で核燃料サイクルを完備したフランスのエネルギー政策の理念は、この点では、一応、功を奏している。そう評価しても良いのではなかろうか?もちろん新エネルギーに舵を切ろうとしているドイツからも、その戦略性には生存への意志というか、強い迫力を感じる。そう思うのは私だけではないと思う。

2011年6月8日水曜日

エネルギー産業のリスク・プレミアムについて

脱原発を閣議決定したドイツでは、今後1割の電気料金アップが見こまれ、産業界は猛反発している。しかし、そうした反対論を押し切って、政府は脱原発へ舵を切った。もちろん無視できないほどの政治勢力に成長した「緑の党」の理念がそこに反映されていることは否定できない。

その電気料金だが、各国間の違いについては、既に共有知識にもなっているが、もう一度確認しよう。
(出所)経済産業省偏「エネルギー白書2010」、227ページ

これによれば、既にドイツはかなりの高電力コスト国である。産業用電力コストはフランスを5割以上は上回っている様子だ。更に1割上昇すると、独仏間のエネルギーコスト格差が更に広がる。しかし、それでもイギリスやイタリアを超えることはない。ほぼ日本と同等の高さになるのではないか。その日本だが、確かにアメリカや韓国よりは電力コストが高いが、概していえば欧州並みである。

ただ日本の電力コストは今後楽観を許さない。今朝の日経1面によれば、定期点検後の原発再稼働が円滑に進まないと、来春には全原発施設が運転停止に至るという。現在、日本の原子力依存率は約3割だから、これが全面ストップという事態は少々非現実的だ。しかし、いまの世間の感覚、東電福島原発の状況をみると、よほどの政治力を駆使しなければ、大事に至るやもしれない。どちらにしても、新規原発建設がほぼ不可能なのであれば、化石燃料もしくは新エネルギーを開発するしかないわけだ。

化石燃料は、このところ原油価格がピークアウトしているものの、今後の傾向として、安くはなるまい。埋蔵量から言えば、世界に広く分布していて、量的にも豊かである石炭も、この数年は原油価格に連動して激しく価格が変動するようになった。天然ガス(LNG)も然りである。概して、全ての化石燃料はパラレルに価格変動する情勢である。

各エネルギー源別の発電コストだが、下の表は色々なところでマスメディアが引用している。

太陽光49円/KWH
風力(大規模)10~14円/KWH
水力(小規模除く)8~13円/KWH
火力(LNGの場合)7~8円/KWH
原子力5~6円/KWH

更に、地熱発電については、8~22円/KWHという数字になっている(出所:上記「エネルギー白書2010」、123ページ)。

表の数字は、いかにも原子力が低コストであり、太陽光発電が高コストになっている。しかしながら、原子力発電のコストには、生起しうる事故による損害賠償負担をカバーするための保険費用が損金に含まれていないことは、ほぼ確実である。小規模の運転障害から大規模の原発事故に至るまで、データはあるのであるから、予想損失額と保険料コストを計算できるはずである。それを含めた正確な原価計算が待たれるところだ。それでもなお、原発事故による保険金支払いをカバーするための再保険ビジネスが必要だと思うし、その立ち上がりが求められてもいるのではあるまいか。

太陽光発電はいかにも高コストだ。しかし、別の資料「エネルギー・経済データの読み方入門」(日本エネルギー経済研究所計量分析ユニット偏)によれば、2001年時点における太陽光発電コストは25~160セント/KWHであるのが、将来には5乃至6~25セント/KWH程度にまで低下するという展望になっている。つまり、半導体、薄型テレビなどで顕著だった学習効果、言いかえると生産拡大に伴う経験曲線に沿ったコスト低下が見込まれる、ということであり、しかもそのコスト低下はかなり大きい。そう期待してよいわけだ。一方、既存の発電技術については、上記資料に記されていないが、化石燃料が将来とも割高になっていく中、コスト低下はそれほど大きくは期待できない。これも概ね確実だろう。

これまでの議論で、エネルギー源における新エネルギーの割合を高めていくという選択は、それ自体として、理の当然になる。

しかし、太陽光のみならず全ての新エネルギーには、技術進歩の速さをめぐる不確実性がある。また、化石燃料については価格が確実に予想できないというマーケット・リスクがある。原発の事業リスクは実は高いものであることが明らかになった。即ち、エネルギーを何に求めるにせよ、エネルギー産業の事業リスクが、高まることは確実だ。それは、資金調達にあたってリスクプレミアムの上昇となり、資金コストの上昇となる。したがって、事業リスクの高まりによるエネルギー販売価格の上昇が、今後、避けられない。

事業リスクの高まりの中で、企業が効率的な生産技術を採用し、低コストのエネルギー供給を確実に行うには、やはり自由で開放的な市場と競争メカニズムを活用するしか方法はない。そう思われるのだが、どうだろうか?

しかし、その一方で、地域社会を単位とする小規模なエネルギー事業の有用性が高まっているのではあるまいか?実際、下の表をみても日本の熱供給事業は全く普及していない(というか、必要なかった)。

(出所)上記「エネルギー白書2010」223ページ

熱供給事業とは、地域単位、企業単位で温水、冷暖房サービスを行う事業のことである。国土面積が日本より小さい韓国のほうが、熱供給を行う導管ネットワーク距離数が6倍も長いことが分かる。小国オーストリアでは、小規模のバイオマスプラントが国内に1500か所程度も存在し、熱だけではなく電気を提供している所もある。

1994年の酒税法改正では、全国に小規模の地ビールが続々と生まれた。エネルギー事業は、技術特性上、必ずしも装置産業でなければならないわけではない。いまのエネルギー産業のあり方は政府の制度に依存している面が大きいのである。

単に東電をどう処理するかでは駄目である。9電力会社に何をやらせるかという発想も余りに低レベルだ。そうではなく、日本全体のエネルギーを、将来、どのように確保していくかという基本段階に戻る必要がある。家庭向けエネルギー、小売店などの業務用エネルギー、産業用エネルギーをどう生産し、販売するかを考える必要がある。それこそ、日本のエネルギー戦略の名に値するのではあるまいか?



2011年6月7日火曜日

TPPのプラスとマイナス

中野剛志「TPP亡国論」でも指摘されているように、現在参加を検討中のTPPは、実質的には日本の農産物市場の開放だ。製造業の関税率は、既に無視できるほどに低く、これ以上下げる余地はない。変更を迫られるとすれば、先ずは農産物の関税保護、それに種々の日本的商慣行である。

小生が住んでいる北海道は、地域食料自給率が約200%で、いわば「日本の食糧基地」になっている。では、日本がTPPに参加し、アメリカ、オーストラリアなどと完全貿易自由化に踏み切ったとすれば、何がどんな風に進行するだろうか?

この計算を小生の勤務先でベンチャービジネスを専門とする同僚がやってくれた。それを含めていま本を共同で書いているのだが、特にTPPが地域農業に与える影響をとりあげてみたい。

国内の農産物生産額に占める北海道のシェアだが、概算で牛肉が15%、小麦で60%、砂糖で80%、乳製品で50%である。もちろん、取引されている農産物は国内品のみでなく輸入農産物もある。上のシェアは国内生産に対するシェアである。

TPPに参加したとしよう。よく話題になるのは米だ。国産米はカリフォルニア米に勝てるのか?日本人が国産米を捨ててアメリカ米を選ぶとは思えない等々、米については既に色々な議論がある。しかし、北海道の農業に影響があるとすれば、寧ろ小麦や乳製品においてだろう。オーストラリアの生乳は高品質である。それがダイレクトに、ロングライフ牛乳で入ってきて、たちまちに日本の消費者をとらえるという事態は、ちょっと考えにくい。とはいえ、食品加工業の原料が国内生乳から輸入生乳に置き換わるという事態は高い確率で起こる。

輸入品に置き換わるのは、顧客にとってメリットがあるからである。つまりは輸入品を使うことで低コストを実現できる。付加価値を上げることができる。故に従業員に支払う給与、社の利益が増える。そうしたプラスの効果と国内農業に対するマイナスの効果を比較して参加を決めるのがTPPである。

産業連関分析で、仮に北海道から道外への農産物移出が半減する場合の影響が、どんな産業分野にどの程度現れるかを計算した。そうしたところ、畜産、酪農製品の生産は10%~20%の減少になる。農業にマイナスの影響が出るのは当然だが、同時に化学、紙、自動車、運輸、金融保険など、一見、農業とは無関係に思われる産業でも、9%ないし2%程度の需要減少が見込まれ、マイナスの影響は広い分野で現れてくる。需要の減少は、当然、それぞれの産業で行われる設備投資の減少を招く。これが私の同僚S氏が得た結果である。

輸入が増えて、投資需要が減る。これはTPPの負の面である。ではプラスの面はどこでどれほどあるのか?本当に韓国と国際競争力がイーブンになったからと言って、対米輸出数量は維持できるのか?そもそも製造業の対米輸出数量を維持したいがために、負の側面を耐えなければならないのか?これが国民の生活を豊かにする選択ということなのか?人と資本の投入先を農業からどこに移動させて国民の生活水準を上げようとしているのか?それを証明する数字はどこにあるのか?こうした議論が、本当は国会で喧々諤々展開されていなければならない。国会議員は政府にこれらを質問しなければならない。そのやりとりをマスメディアは報道しなければならない。議論をしないなら、しないというその点を批判しなければならない。

何を譲って、何を得るのか?

この経済問題は、エネルギー危機というもう一つの大問題を乗り越える方法を考える際にも、やはり論点になることである。TPP参加問題を解決できない国は、エネルギー危機を乗り越えるための議論にもやはり失敗するだろうことは間違いない。

2011年6月6日月曜日

増税が最も重要な政策課題なのか?

今日の日経朝刊掲載の経済教室に岩本康志氏が寄稿している。タイトルは「政府債務の拡大どこまで」だ。

震災復興の財源をどこに求めるかで議論が続いており、政府の復興構想会議でも増税なくして復興事業を進めることは困難との考え方が色濃く出されそうな気配である。

その点で岩本論文の内容は大変興味深い。要点を整理すると以下のような概略だ。
  • ロゴフ・ラインハート「国家は破綻する」(日経BP社)によれば、19世紀以降に限っても対外債務によるデフォールト(=政府債務償還不能の事態、以上筆者注)が250回、国内債務(=日本の国債はこちら、筆者注)のデフォールトが68回起きている
  • 第1次世界大戦と大恐慌で増えた政府債務は主にデフォールト(=返済停止)で整理されたが、第2次大戦後は人為的な低金利政策という金融抑圧で債務負担を軽減した。
  • リーマンショック以降の金融危機に対応するため、先進各国の政府債務残高は第2次世界大戦以来、最高水準に達している。ロゴフ・ラインハートの著書では、この累積した債務が金融抑圧によって縮減されるのではないかと予測されている。
  • GDP成長率よりも金利を低い水準に維持する金融抑圧だが、自由化された現在の金融市場において、この先ずっと低金利政策を続けることが本当に可能なのかどうか、それは定かではない。また、金利を下げるよりもGDP成長率を上げることを狙う「上げ潮路線」だが、高成長を規制緩和によって実現できるのか、やはり定かではない
  • インフレによって政府債務を実質的に軽減することも可能だ。実際、中央銀行は財政危機に際して国債の買い支えを行う可能性が高い。このような状況になると中央銀行が物価の安定を図ることが極めて難しくなる。その意味で「財政限界」を突破しないことが必要だ。
  • 財政限界だが、一つは租税負担率から決まる。税率が既に高い欧州の場合、増税で政府債務の軽減を図ろうとしても、それが財政収支改善につながるかどうか不透明である。財政限界を規定するもう一つの要因は政治リスクだ。政治的に増税が難しければ、たとえ税率が低くても財政限界に達するかもしれない。
  • 財政限界に達した時に、政府が社会保障を削減するのには時間を要するとすれば、一時的に債務を安定させられない事態となり、その時、中央銀行が国債の買い支えを行えば、比較的短期間で激しい物価上昇を招く確率が高い。
  • スウェーデンの財政限界とソブリンリスクを推測する確率モデルが開発されているように、今後データが整備されて、統計的手法による財政危機(=国家の破綻)分析が大いに進展する可能性がある。
日本の政府債務残高は対GDP比で200%をはるかに超えている。この高さは、国家破綻の瀬戸際にあるとされるギリシャやポルトガル、アイルランドなどよりも高い。これまた不思議なことであるわけだが、一つには日本の租税負担率が低く、国債償還のための資金調達が増税によって可能だと見られているという事実がある。しかし、客観的な状態として増税が十分可能であっても、政治的な理由で増税を実現できないという見方が広く共有されてしまえば、国債の確実な償還が危ぶまれ、故に誰も国債という証券を買おうとしなくなる。そうなれば、(日本では)日銀が国債を買わざるを得なくなるだろう。それは、マクロ経済としては異次元の世界であり、「財政限界」は超えられた。そう判断しなければならない。対処は、財政限界に到達する前に実行することが不可欠である。

これが岩本論文の趣旨である。

× × ×

同じ本日朝刊の1面は、日本経済新聞社による設備投資動向調査の結果。全産業で前年比15%超の増加率という明るい話だ。

反対に、3面では「潜在成長率低下の恐れ」という暗い話。サプライチェーン再構築は急ピッチだが、より大きな問題は、大震災をきっかけに企業行動が変化すること。電力需給の不安定が日本国内に生産拠点を置くことの事業リスクを高めている、という話だ。日経としては、本当はこちらの方を言いたいに違いない。小生はそう読んだ。

3面の記事を読むと、オーストラリアの労働市場改革を紹介するなど、基本的には規制緩和の徹底路線を支持している。具体的には、電力市場の自由化。更に、法人税率引き下げ、TPP参加も挙げている。これは小泉改革時代に標榜された構造改革路線であって、特に輸出型製造業を主とする財界本流の考え方そのものですね。

消費税率引き上げは3面にはない。ないのだが、経済教室の岩本論文と併せて読んでほしいということだろう。財政限界に達する前に、消費税率を引き上げて、政府債務の安定化を図るべきである。

× × ×

つまりこういう議論である。

1. 自由な国際金融を前提すれば、低金利をずっと続けることは難しい
2. GDP成長率を上げないと、政府債務の安定化は困難
3. 政府債務の安定化ができなければ、財政限界を突破して、つまりは猛烈なインフレになる。
4. 実際に、実質GDP成長率を規制緩和だけで上げられるかどうか(必要ではあるが)、これまた定かではない
5. 社会保障を削減することも政治的に困難かもしれない。
6. だとすれば、今やるべきことは増税だ。増税によって政府債務の安定化を図ることが不可欠。

この路線は、与謝野経済財政相が唱えている政策論に他ならず、菅総理が総理就任後に、にわかに言い始めた経済政策でもある。

文中下線を引いておいたが、難しい、困難、定かではない、という形容詞が並んでいる。全てが難しいのであれば、増税しかないだろうという論理ですな。また、増税できるはずだ。その判断もある。

上で「難しい」とされている課題の中で、もっとも多くの国民の利益になることは何だろう。本当に国民にとって大きな利益になるのであれば、簡単に難しいと言わないで、不退転の決意で頑張ってくれるのが国会議員であり、政治家ではないか、そのくらい言ってもいいでありましょう。

それは実質GDP成長率を上げることだ。一人当たり実質GDPで測られる生活水準を下げないことだ。まずはそれに決まっているではないか?更に細かいことを言えば、日本の領土内で生産された生産物というよりも、日本人が国内・海外から受け取った所得合計である国民可処分所得を重視してほしい。国民がどの程度豊かであるかを重視してほしい。そう願うのは小生だけだろうか?

このように考えた場合、まずは増税という政策が、目下の最重要政策課題であるとするのであれば、知恵も工夫も何もない政府と言われても抗弁はできないのではあるまいか?




2011年6月5日日曜日

日曜日の話し(6/5)

薄晴。気温19度。さっきまで青空が見えていたが、雲で白くにごってきた。午後には小雨も降りはじめる予報。

「どこに買い物に行く?」
「そうだなあ、発寒(ハツサム)のジャスコにでも行くか?」
「いわきには、もう水は送らなくてもいいの?」
「箱買いで買うだけ買っとくか、な。2リットルの水が2本買えるようになったって言うんだけどさ。・・・東京の浄水場で放射能の数値が上がるとネ、向こうの人が買いだめするらしいんだよね。東京でそうすると、いわき市ではすぐに品物がなくなるんじゃないかなあ?とにかくギリギリでやってるって感じ。いつでも送れるようにしておかないとな」
「ずっとこんな感じで、続くのかなあ?」
「東京でも一人2本て言ったってサ、違う店に行けば、何本でも好きなだけ、買えるわけじゃない?都知事か、都議会で買いだめ禁止令かなんか出してさ、購入履歴書なんかを都が全住民に支給して、買うたびに免許証とか保険証を見せて、判を押してもらうようにしたらいいんじゃないの。それが一番確実だね。そしたら、地方にも品物が出回って、みんな助かるんじゃないのかねえ?水だから、1本500円に上げるっていうのも非常識だからねえ」

地方圏ではこんな話が何気に出ています。今朝は、いわき市に住んでいる弟が話題になって、こんな暗い会話をカミさんとしました。北海道では文字通りのJune Brideの季節のはずなのですが、例年になく、晴天が少なく、肌寒い日が多い初夏です。

小樽運河と橋 F6 水彩

秋に間に合うようにF30のキャンバスの地塗りを始めた。テレビン油の香りが久しぶりに家中に充満して、カミさんは息ができないとこぼしている。松のエッセンシャル・オイルですからね。精神鎮静効果があって、健康にもいいはずなのだが・・・違ったかな。