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この変更提案のきっかけが先に開かれた世界陸上ドーハ大会のマラソン、競歩の状況であったことは言うまでもない。
科学的観点から判断できる際には、倫理や規則、手続き等々ではなく、科学的に結論を出さなければならないというのは現代社会の鉄則である。非科学的な結論は反対や論難に対して常に脆弱である。
その科学に従事する人たちの立場は、大なり小なり「経験主義」に帰着する。何より「観察事実」がポイントになる。弁論、ご卓説はともかく、データが何よりも重要だと言うことだ。
この点を考慮すると、重要なことは多くはなく、たった一つである。
東京では真夏にマラソン大会を開催していない。暑いからである。つまり開催経験がない。札幌は8月下旬の真夏の時期にもう30年以上も「北海道マラソン」を開催してきている。北海道マラソンではランナーが大量に棄権をするなどはなく、マラソン大会として正常に成立してきている。この開催実績はキーポイントたりうる実験的事実であろう。
東京がいかに暑さ対策を進めていると主張しても、それは担当者の主張であって、開催実績として何もその安全性、信頼性が観察されているわけではない。ドーハ大会の観察事実は東京でのマラソン、競歩に抱く不安を更に高めるものであった。
今回の開催場所変更はドーハの経験から導かれた帰納的な結論である。ただ、サンプルは1回である―それはそうだろう。真夏にマラソンを挙行する際の実績サンプルはそうそう多くは収集できまい。
ドーハのたった一度の経験から「東京は危険だ」と結論するのは、余りにサンプルが少なすぎるきらいはある。それでもなお、今回の変更に手続き上の問題が多々あることは認めるとしても、実績と事実に基づけば東京ではなく札幌を採ったというIOCの判断には相当な合理性がある。
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