関西電力経営陣が原発の町である福井県高浜町の元助役、別名「Mさん」という陰の権力者から多額の金品を受け取っていたそうである。「Mさん」は懇意の事業会社から裏金を受け取り、その金で関電幹部に金品を送り、関電はその事業会社に原発関連事業の発注を増やしていた。
これはもう典型的な「腐蝕の構造」である。小説の世界でもやはり核融合、つまり原子力産業の汚れた構造がテーマとなっていた。違うのは、小説では汚れた構造が事件捜査を通して露見して解決されて行ったに対して、現実の世界ではMさんが他界した後、事業会社の税務調査が行われ、そこから不透明なカネの流れがやっと明るみに出たという点だ。
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「Mさん」は、原発を高浜町に誘致した頃は町の助役であったが、その後は退官し一介の民間人であった。にもかかわらず、関西電力はその後もMさんにずっと気を使い、金品を送られるとそれを受け取らざるを得なかったと、そんなことを話しているようだ。
どちらが犯罪の主導者であり、どちらが共謀に巻き込まれた側なのかは今の段階では分からない。文字通りの「構造」である。
まあ、多少同情的な視点をあげるとすれば、20世紀半ばから後半の日本の最大の問題は「エネルギー危機の克服」であったという事実だ。太平洋戦争開戦の動機も正にそうであった。1970年代には石油危機が二度にわたって発生した。安定したエネルギー自給こそ最優先の国策であったのである。そのために確立された「国体」として機能したのがエネルギー産業であったとすれば、それを現在の技術と倫理から「腐蝕の構造」と断罪するのは、自分が立っている足場が誰によって築かれたかを省みない幼稚な正義感であると。ひょっとすると、旧世代の闘士はこんな憤りの心情を抱くかもしれない。ま、小生の近親者に電力産業従事者が一人もいないのは幸いかもしれない。
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人によっては、民間企業が勝手に渡したカネをつかって民間の個人が親しい民間企業の取締役に勝手に贈答品を送りつけた。それをわざわざ返すと付き合いづらくなるので受け取っておいた。それだけだ、と。こんな表現をする人もいる。
しかしながら、自由市場の効率性とは財貨サービスの品質で真に競争力のある企業が勝ち残ることによってもたらされるものだ。事業実施の熟練度を吟味することなく、人的コネクションによって事業を発注するという行為は、市場経済の最終目的である経済・産業の成長を阻害するものだ。健全な経営にも反する。
罪は深い。
この種の経営行動をとる背景は、決して倒産することはない現在の電力産業の構造にある。これ自体が「腐食の構造」かもしれない。
1990年代から2000年代初めにかけて金融産業は破綻と合併の嵐が吹き荒れた。電力産業、いや広く公益事業全般について産業の規律付けと必要な部門は国有化を検討する議論が求められている。そんな方向への契機になるなら、今回の騒動も無駄ではない。
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