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日本の食生活の中心は米であった。米を作るには水田がいる。良い水田は水を引きやすく、土質が適していることが必要だ。良い土質は好い土壌が堆積されることで形成される。よい土壌は氾濫した河川が運んでくるのである。氾濫する水は低地に流れていく。故に、日本の集落は川に近く、土質がよく、稲作に適した低地から先に形成されることになった。
利水と治水は日本人にとって最優先の事業であったのだ。日本人の生活は水と離れて存在しえなかった。水と共に生きてきたのが日本人である。
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水と縁の深い地域から先に集落が形成され、そこに富と賑わいが生まれ、町が発展した。これが日本社会の歴史の基本である。
米作りに適した良質の水田は最後になってはじめて宅地に転用される。高台から先に宅地開発されたのは、高台は水を引くことが出来ず、土地が痩せて農業には不適であったためである。生産活動には従事しない高級官僚や経営者が暮らす高台は高級住宅地イメージの核となっていった。
小生が元住吉で暮らしていた頃、まだ周囲には水田が多く残っていた。武蔵小杉界隈にもまだ多くの農地が残されていた。中原街道沿いのあの一帯は多摩川に近く江戸期からずっと良い農地だったのだろう。
良い農地は水を引きやすいということだ。だから本来は好い宅地ではない。特に電気・ガス・水道が整備された現代日本では高台でも何も不便ではない。むしろ高台の方が安心だ。しかしこれは現代日本になってから当てはまるようになった新しい理屈である。農業が主たる産業であった長い日本の歴史において人々が生きてきたのは水の豊富な低地であった。水に近いところに住むからには洪水は常に意識されるリスクとなる。水害の多い濃尾平野で「輪中」が多いのはそのためだ。リスクに備えるには知恵がいる。低地に高層マンションを建ててそこで住むにもやはりリスクに備える知恵が必要だということだ。
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江戸の武士は主に山の手に住んだ。サムライは農商工業の生産活動をしないからである。山の手に住んでも不便ではなかったのだ。下町には商人が暮らした。それは水運によって周辺の農村地域との間で物資の集散が容易であるからだ。低地では生産活動が行われた。田舎の小藩の屋敷は下町に近いところにあったりした。好い場所がなかったからである。逆に、市場が高台にあれば商売にならないだろう。
武蔵小杉は低地である。低地で暮らすなら低地であることが利点になるような暮らし方をする。これが基本的なロジックである。しかし、おそらく武蔵小杉で高層マンションを購入して暮らす人々は、眺望がよく、お洒落でもある生活空間に魅力を感じ、そこを住生活の場にしたのであろう。だとすれば、低地のメリットである親水性が実はデメリットになっていたわけだ。
どこで暮らすかは何をして暮らすかで決まってくるものだ。そこにはやはりロジカル・シンキングが要るということなのだろう。
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ロジカルでない国土利用が横行しているのは、小生の個人的印象だが国土庁という官庁が廃止されたからである。いわゆる「橋本行革」でなくなった中央官庁には「いまあったら」と思いたくなるものが複数ある。国土庁もその一つだ。
そういえば国土庁には「防災局」もあった。現在は内閣府の中にある。内閣府の予算で防災行政が本当にできるのだろうか。
当時は政治的偉業と称えられた「橋本行革」ではあったが、100点満点である改革などはありえない。普段に見直していく問題意識はPDCAサイクルの一環をなす。本当は、こういう事柄をワイドショーではとりあげてほしいものだ。井戸端会議では情けない。
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