2012年10月31日水曜日

これは民主党の責任ではあるまいぞ

前の投稿で「政治主導型長期低迷」の可能性に言及したと思ったら、日経には以下のような解説記事もあった。少し古いが引用しておこう。ヘッドラインは


本当に日本株を押し下げた民主党政権
日本経済研究センター主任研究員 前田昌孝


尖閣諸島をめぐる日中対立はますます中国側が態度を硬化させ、日本経済への悪影響も避けられなくなってきた。閣議で国有化を決めた9月11日以降、ニューヨーク・ダウ工業株30種平均の騰落が9勝6敗なのに、日経平均株価が6勝8敗にとどまる点にも、日本の置かれた状況が映し出される。ただ、中期的に見ると、日本株が突出して下がり始めたのは2009年9月からだ。鳩山由紀夫内閣発足の月でもあり、やはり民主党政権は内外の投資家に評価されなかったように見える。
(中略)
TOPIXのS&P500種に対する倍率は1990年にバブル崩壊が始まってから97年11月まではほぼ一貫して縮小したが、それから09年8月までは下限0.86倍、上限1.33倍の範囲でつかず離れず推移した。資産バブルの反動で日本株が8年近くも売られ続けた後は、割高感も消え、「恒常状態」に入ったと考えることもできる。ところが、09年9月以降は米国株が買われ、日本株が売られる局面に再び入ってしまった。
(出所)日本経済新聞、2012年10月3日より引用
確かに上で言う通りなのだが、そもそも日本の株式市場は1990年末から20年以上も<長期低落傾向>にあり、アジア危機、ロシア危機などいくつか波乱がもあったものの、概括的には繁栄を続けた90年代の欧米、そんな上昇トレンドと日本は無縁であった。また2000年代以降の欧米株価に見られる長期横ばい傾向も、日本には当てはまっておらず、景気拡大と景気後退の1サイクルを経るごとに、右肩下がりの低落傾向から抜け出られない。この間、IT革新は日本でもそれなりに浸透し、今では日本のブロードバンド普及率、通信速度は世界のトップクラスであるし、電子書籍市場は出遅れているものの、ネット販売市場は順調に拡大している。それでも株価が下げている。もちろん円高要因を調整すれば、円表示で感じるほどには下がっていない。しかし、それでも日本に投資するべきではなかったのがこの20年である。これはハッキリしている。それは世界から日本にマネーが流入しなくなっているからであり、投資に値する企業は少なく、値しない企業が増えたという単純な理屈である。日本株式会社の衰退現象は、2009年の政権交代以降に進んだわけではない。政治ではない。経済に原因がある話しだ。民主党に責任を求めていい話ではない。政治に責任がないわけではないが、責任なら自民党にだってある。

× × ×

「国内株は暗い」という印象をつくっているのは、一つには原発事故であろう。福島第一原発で水素爆発が起こり東電株が暴落してから、安定株の象徴であった電力株全体が、(東電株暴落は当たり前だが)すべて2000円水準から800円水準に低下しており、電力株保有者の資産は半分以下になってしまった計算だ。これは世間の(特に高齢者世帯の)心理を暗くしているようにも思う。言うまでもなく、民主党政権のエネルギー政策が迷走しているからに他ならず、電力株が落ちても、新たなエネルギー産業が立ち上がるアグレッシブな動きがあれば、別の銘柄が上がってくる。しかし、それもなく、それどころか2030年時点に原発をゼロにするかどうかで政治家が不毛の論争をしているという有り様だ。

こういうことは引き合いに出したくはないのだが、小生の昔の同僚がまだ政府の中で働いている。欲目にみても優秀である。少し以前に再会して話しをしたが、相変わらずである。いま日本が解決しなければならない問題 ― 特に経済政策の課題 ― は、熟知しているはずだし、戦略も手順も考え出せるはずだ。手足になるマンパワーは組織内にいくらでもいる。専門家が足りなければ、全国からいくらでも客員で雇用できるのだ。しかし、霞が関から何も出てはこない・・・。

こういうことは考えたくはないが、官僚を指示するべき「国会議員」という集団の低能化が、政府部門全体を機能不全にしている。要するに、教習不十分による操作ミス、運転ミスだな。実際に起こっているのは、こういうことではないかと考えれば、あまりのパフォーマンスの悪さも辻褄があう。

とすれば、日本の株式市場の沈滞の責任まで民主党に負わせるのは理不尽だと思うが、、民主党のいわゆる<政治主導体制>は、現与党議員の人材レベルを全く無視した<許されざる暴挙>であったのかもしれない。小生は、2009年当時、友人と政権交代についてメール交換をしており、その時は「民主党のように中がバラバラの政党がなにか大きな政策などできるはずはない、どうせ2、3年もしたらスイマセンと言いながら退場するだろう」とからかった記憶がある。まあ、その通りになったのは、悲しいことであるが、もっと心配するべき点はそもそも何の資格審査も実績審査もない、ただその日集めた票の数で当落が決まる国政選挙で当選し、当選したから機械的に国会議事堂の玄関をくぐる議員集団、その低レベルが修正される可能性がなにも見当たらないことではあるまいか?これこそ日本の統治構造の危機だとすれば、これは<根の深い危機>である。幕末と同じく現代日本は、上から駄目になりつつある。最上部から上部、上部からその直下層、そんな風に上から下に空洞化が進行しつつある。そんな<日本型支配構造枯死現象>が進行中だとすれば、桜田門外の変から明治憲法発布まで30年、30年1サイクルの変動期に今はあるのかもしれない。そう思ったりしている。

2012年10月29日月曜日

<政治主導型長期停滞>もあるかもしれない

マクロ経済は、色々な原因で変動する。需要要因だけでも建設(住宅)循環、設備投資循環、在庫循環は古くから着目されているし、最近ではIT循環がよく言及される。供給側に目を向けると、技術進歩率や労働生産性の循環変動がキーポイントになる。これらは成長ファクターでもあるので、成長理論と循環理論が一体になって展開されている。その他に、Political Cycle(政治循環)が認められるのではないかと随分前から言われている。「アメリカの大統領選挙年に景気後退なし」とよく言われるし、共和党と民主党それぞれが政権にあるとき、達成した平均的な成長率に格差があるということもよく話題になる。マルクス的な史的唯物論に立てば、政治は上部構造、経済は下部構造であるので、政治が経済の鼻ずらを引きずりまわすなどという可能性はありえない。

しかし、ニーアル・ファーガソン『マネーの進化』を読んでいると、こんな下りがある。
たとえばイギリスでは1989年から95年にかけて、住宅の平均価格は18パーセント下落し、インフレを調整した実質価格でも三分の一(37パーセント)あまり下がった。ロンドンでは実際の値下がりは47パーセント近かった。日本では1990年から2000年にかけて、不動産価格が60パーセントあまりも下落した。そしてこの本を執筆している時点で、・・・ケース・シラー住宅価格指数は、2006年7月のピーク時から、2008年2月には15パーセント下がった・・・(343ページから引用)
最近のアメリカの住宅価格には底打ちの兆候が認められる。ピーク比で概ね三分の一の下落率である。90年代前半の英国で生じた<バースト>とほぼ同規模のバブル崩壊であったわけだ。日本は、それに対して、1990年代後半までバブル崩壊後のグロッキー状態を引きずり、ついには1997年から98年にかけては金融パニックを引き起こし、2000年代に入ってからは日本発の金融危機が世界でも懸念されるまでになり、円ドルレートは暴落にもたとえられる程の下落を示した。要するに、同じ時代にバブル崩壊の洗礼を受けた点は同じでありながら、日本経済の急降下ぶりがえらく目立つのだな。

この違いが、日本の政治・行政システムの機能不全によってもたらされたか、それとも西村日銀副総裁が強調しているように<人口「ボーナス」から人口「負荷」への転換が起こったのが、日本においてはたまたまこの時期であったためか、おそらくは「人口オーナス」が日本経済の低成長をもたらしているのだろうと小生も思うし、低成長であるが故に有権者へ何かお返しをしたいと考えている政治家が右往左往している、たぶんこの図式であると思う。しかしフィードバック効果もあるかもしれない。政治家が経済に責任を持つべきであるにもかかわらずこの体たらくだ、やはり政治家という人間集団は無能極まりないなあと、だから日本国内で生産を継続しても仕方がないと。海外に拠点を移す方が合理的であると。その結果として、長期的低成長がもたらされるとすれば、これぞ<政治主導型長期停滞>。後の経済史専門家は、いまという時代をこんな用語で総括するかもしれない。

とはいえ、そもそも日本経済を再生したいと思って立法府を志すのは、小生、筋違いであると思う。起業するもよし、勉強して経営コンサルタントを営むもよし、もし行政に携わるのであれば行政官を目指すのが本筋である。選挙区の票を積み上げて議員などになるにしても実行できることはマンパワーから言っても、権限から言っても制約されているし、そもそも議案を議場で審議するのが本来の仕事なのだから。

まあ、幕末から明治にかけての時代を振り返ってみても、桜田門外の変があった1860年から王政復古・明治維新を経て西南戦争が終息するまでの1877年まで、新しい経済システムの構築で精一杯であり、政争と混乱の中で結果などは出る以前だった。それだけに17年かかっている。やはり瓦解から再生まで短くとも20年の雌伏は要されるようだ。明治体制での経済成長基盤が整うのは西南戦争後のインフレを解決した松方財政後であると見られる。元来の目的である産業革命に火が点ったのは日清戦争に勝利した1895年以降である。幕府では対応できなくなった時点から数えて40年余りを必要とした。とはいえ、日本の人口は江戸時代の停滞から明治に入ってからは急増期を迎えた。人口ボーナスの時代である。ここが現代日本とは正反対であり、問題解決に向けて最大の急所になっている。

2012年10月28日日曜日

日曜日の話し(10/28)

他人のために生きるのか、自分のために生きるのか?

資本主義経済で社会を運営しながら、他方では他人のために生きることこそ、望ましく倫理にもかなった生き方であると信じる日本人が、昨年の大震災以降増えてきているような印象がある。小生はへそ曲がりだから、他人のために生きることの意味がよく分からない。

ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、題名の通り、実に心のひねくれた、孤独で偏屈な思想家のエッセーである。偏屈で、世を諦念と皮肉の眼差しでみながら、時に多数の人の努力を冷笑するような態度をとるという点では、日本の永井荷風『断腸亭日乗』と似通っているのかもしれない。1700年代に生きて、フランス革命の思想的指導者としての役割を担った人物と、失われた江戸情緒を懐かしみながら戯作を作り続けた20世紀の日本の作家と、生まれと育ちでは全く共通点がないのに、似たようなものを書き残したのは実に不思議だ。



ドラクロワ、民衆をみちびく自由の女神、1831年

フランス・ロマン主義の画家として有名なドラクロワが描いた大作『自由の女神』は、ナポレオン戦争後の王政復古を倒した7月革命が舞台になっている。フランスは、復活したブルボン王朝からブルジョア主導型王政へ移行するが、それも1848年の2月革命で打倒され、全欧州を覆っていたナポレオン後のウィーン体制は瓦解、その後フランス社会は第二共和制、ナポレオン三世による第二帝政へと移り変わっていく。

1800年代前半にこのようにドミノ式で伝播した所謂<近代社会>を招きよせる預言者として生きたルソーは晩年になってからこう書いている。
わたしには、有用な知識という面ではこれから学びうることはほとんどないにしても、わたしの境遇にあって必要な徳の面では非常に重要なことがまだ残されている。その方面においてこそこれから学びうるものをもって魂を豊かにし、飾らなければなるまい。それは、魂を暗くし盲目にしている肉体から魂が解放され、曇りなき真理の姿を見て、わが贋学者たちが空しく誇りとしているいっさいの知識のみじめさを知るときになって、魂が携えていけるものなのである。そのとき魂はみじめな知識を獲得しようとこの世でむだに費やした時を想って呻吟することだろう。 
だが忍耐、柔和な心、諦念、廉潔、公平無私の正義、これらはおのれとともに携えていける財産なのであって、それはたえず豊かにすることができるし、死に臨んでも私たちにとってその価値がうしなわれる心配はない。(ワイド版岩波文庫、54ページ)
ルソーは、いわゆる「知識」や「学問」を徹底的に軽蔑している、所詮はそれらは<飯のタネ>でしかなく、現世限り、この世限り、短い人生を浮世で過ごす一場の演技でしかない ― とはいえ、全ての知的活動を軽蔑しているわけではなく、当時、権威とされていた学問体系を否定したのであって、真理に到達したいというその態度は近代哲学の創始者デカルトを思わせる。

小生、人間が一人で生まれ、独りで死んでいくことに変わりがないのであれば、何のために学び、考え、努力するかという真の動機は、ルソーがいうように、それは自分のためであり、他人の利益のためではないと思う。大体、他人の利益のために勉強するなど可笑しいでしょう?それは、ほとんど常に「自分が食っていくためにいま何を勉強しておくのが有利か」という問いかけと表裏一体である。そういう営利原則で学ぶ人間は、当然、既存の知識を吸収することが目的であり、知識を疑い、自分自身で考え、何が真理であるのか、そんな問いかけに時間をつぶすはずはないのである。そう思うのだ、な。だから多くの人の役に立つために勉強しなさいという激励は、それ自体が学問否定、そう見ているのであって、小生、はっきり言って嫌いである。偽善である。

それにしても、せいぜい親子くらいの齢の違いしかなく、ありのままの自然を賛美する思想も重なり合っているはずであるのに、ゲーテがルソーを語ることがほとんどなかったというのは、奇妙なことである。同じフランスの啓蒙思想家として先輩格のヴォルテールは、高く評価しているのに、である。ゲーテの口からルソーの名前が一度も発せられなかったとすれば「さすがのゲーテもルソーは知らなかったか」と言えそうだが、エッカーマンも読んでいたようであるし、ゲーテもルソーの名を口にしている。知らなかったわけではないのだな。読んではみたが、評価しなかったのだろう。

エッカーマンから「近代の哲学者では誰が最も優れていますか?」と問われたとき、ゲーテは「カントが最もすぐれている、まちがいなくね」と、語っている(岩波文庫「ゲーテとの対話(上)」、316頁)。カント自身は、ルソーの『エミール』を読みふけってしまい、正確無比な散歩の習慣に時間の乱れが生じたと言われるほどだ。当時のヨーロッパの知識人で、ゲーテの目の届かない人物は、いなかったはずである。だからドイツ観念論を主導した哲学者フィヒテ、シェリング、ヘーゲルもゲーテはよく知っていた。そのゲーテも、ジャン・ジャック・ルソーの思想は理解できなかったか、過激に過ぎると思ったか、論評も意見も残っていない ― なにか書評なり、短文なりが全集を探せばあるのかもしれないが、対話録には記されていない。話題にならなかったことは間違いない。

そのルソーはこうも言っている。
他人より物知りになろうとする彼らは、そこらにみられるなにか器械のようなものを研究するのと同じく、たんなる好奇心をもって宇宙を研究し、どんなふうにそれが組み立てられているかを知ろうとしていた。かれらが人間性を研究するのは、それについて学者らしい話をするためで、自分を知るためではない。かれらが勉強するのは、他人に教えるためで、自分の内部を明らかにするためではない。・・・わたしはどうかといえば、私が学問をしたいと思ったのは、自分で知るためにであって、人に教えるためにではなかった。(同上、37‐38ページ)
ルソーとて、世を変えようと思って学問をしたわけではない。結果として、世を変えるための思想的根拠に祭り上げられてしまった。そういうことである。これまた今の日本の良識派が嫌う<想定外>であったのだ、な。まして社会を自分の意のままに変えてしまおうとする、そのためにこそ勉強をするなどというあり方は、小生の想像を超えている ― ま、そんな人物が日本に出てくることはないと信じているが。


2012年10月27日土曜日

日本経済をマニュアル操作できると思っているのだろうか?

国家公務員の給与が「復興財源に充てるため」という理由で2年間引き下げられているが ― ただし臨時的に実施される<支給額減額>であって、たとえば退職金計算などに使う給与額は元のままである ― 今度は日銀の職員給与が2年間、やはり「震災復興財源に充てるため」引き下げられることになった。
日銀は26日、職員給与を年収ベースで平均7.5%削減することを決めた。2012年度と13年度の時限措置。削減幅は1998年の新日銀法施行後では最大で、国家公務員の給与減額幅(7.8%)とほぼ同じになる。日銀は、経費削減によって国庫納付金を上積みできるため東日本大震災の復興支援に貢献できると説明している。
 職員給与の削減幅は年収ベースで5.94%~9.79%。毎年5月と11月に支給される賞与から差し引く形で実施する。今年3月に決めた総裁ら役員の給与減額と合わせると、日銀役職員の給与削減額は2年間で合わせて50億円程度になる見込み。 (出所)時事通信、10月26日(金)19時0分配信
削減率も国家公務員と概ね同水準である。政府とは独立しているはずの国立大学法人、行政法人の職員給与は労働組合と交渉しながら、政府とは別に決める仕組みだが、ここも(まだ一部で妥結の遅れはあるかもしれないが)足並みをそろえて、給与支給減額を了承している。今後は、全国すべての都道府県、市町村職員の給与が7%~8%引き下げられ、地方公営企業、たとえば市営バスとか、市営地下鉄職員の給与も減額されるのは、もはや必至であるとは言えまいか。こうなると政府から許認可を受けて法的独占が認められている民間企業の給与も、小生はまず確実にそうなると予想しているが、引き下げられる方向になるのではないか。関西電力は、表向きは原発停止に伴うコスト増、損失計上が理由だが、社員の給与を引き下げることを決めた。北陸電力や中部電力のように水力依存率が高く、それほどまで大きな打撃を受けていない電力会社でも、独占を認められている状態で自社だけが給与を元の水準に据え置くわけにはいかないのではないか。

 ガス会社も同じであろう。そうなると大口の電気ユーザー、たとえばJR各社の社員給与も<復興事業のため社会貢献する>ため減額の方向で検討が進むのではないだろうか?高速道路料金はどうだろうか。また金融業界は横並び意識が強い。民間金融機関の社員給与についても、日本銀行の今回の決定に「右へ倣え」となるのではあるまいか。こうなるとマイナスの賃金調整が製造業にも波及する。業種別・職種別の相対賃金は、労働生産性を反映する理屈だから、名目賃金を特定分野で人為的に引き下げれば、それは全面的な賃金調整を進めると見るべきだ。

(こんなバカなことにはならないと信じているが)そうなると、日本経済全体に5%を超える予想外の賃金デフレショックが発生し、そのネガティブショックは、流動性の罠に陥り、名目金利をこれ以上下げられない状態にある日本においては、そのまま物価全体へのネガティブショックとなって波及するだろう。ロジックとしては実質金利が上がり、円高が進む原因になる。設備投資は減退し、生産拠点の海外流出が加速するのがロジックだ。

アメリカの「財政の崖」、日本の特例公債法案の行方が取りざたされているが、賃金デフレショックは「給与引き下げ?財政赤字なんだから当たり前じゃん」と、そんな意識と感覚で多くの日本人が考えているかどうかは小生にも分からないが、その経済的効果が議論されることはあまりないようである。たとえ消費から復興事業への需要シフトであるという議論をするとしても、名目賃金が低下することは事実であり、価格全体に下方プレッシャーを加えることに違いはない。考慮するべき点があるとすれば、2年後には元通りの水準に賃金が復帰すると予想されれば、一種の<選別的所得税>とみられるので、全般的な賃金下落にはつながらない可能性が高いが、この点は不確定と言うべきだろう。賃金動向はこれから要注意だと思われる。

× × ×

今日の日経朝刊には政府との距離感をはかりかねている経団連が報じられている。
自動車、鉄鋼、電機といった日本を代表する企業でつくる経団連が、政治との間合いを計りかねている。衆院選後の政権交代が現実味を帯びるなかで、かつてのように特定の政党へ支援を鮮明にできないでいる。新たな政権の枠組みを読み切れないためだ。経団連が政治的に中立の姿勢をいつどのように転換するか。政界は注視している。
世間は、経済界が何か政府について注文をつけて、政府がその線に沿って政策を実施したり、基本方針を変更したりすると、「財界に屈した理念なき政治」などと、それはすさまじい程に非難するが、小生はずっとそんな低レベルの傾向に呆れる思いがしていた。日本人の所得は、「生産に参加して得られる所得(給与、利子・配当・賃貸料など資本所得)」と「生産には参加しないで得られる移転所得(社会保障給付など)」に分かれるが、移転所得は生産活動から発生する一次所得を源泉としている。要するに、日本人が使える所得は日本人がどれだけ生産的な活動をしたかに比例して生まれるものだ。そしてその生産活動のほぼ全ては民間企業という場で行われていて、その活動を続ける価値があるかどうかは、利益が出るかどうかで判断される ― 利益が出なければ別の国、別の事業分野に投下したほうがお金が生きるわけであり、世界的にはそのほうがプラスである。

経済の現場から政府の政策に注文をつけるのは当たり前であり、特に個人は投票で政治に影響を与えられるが、生産組織は投票権をもっていない。生産現場の実情は誰かが言葉で伝えなければ伝えようがないのである。

経済的自由を尊重する論客として高名な八代尚宏氏は同じ紙面で次のように述べている。
八代尚宏国際基督教大客員教授の話: 国の財政余力が限られるなかで、経済を成長させるには規制緩和で内需を喚起するのが近道だ。これは官僚に任せたら進まないので、経団連などの経済界が圧力をかける意義が大きい。 
だが、政治に対して具体的に発信せずに改革を諦め、生産拠点を海外に移している印象がある。政治がリーダーシップを失っているので、働き掛けが難しい事情は理解できる。個別の議員へのロビイングが主体となっている米国の例も参考に、経済界と政治との間合いを根本的に見直す時ではないか
大企業を代表する経団連に関する報道とはいえ、黙って海外に避難している民間企業が続出していることは、日本の従業員にとってはマイナス、外国の従業員にとってはプラス、日本の投資家にはプラス。つまり日本の従業員が一人負けするのである。この点は経団連だろうが、商工会議所だろうが、誰が言っても同じである。

日本の従業員といえば有権者の過半を占めるだろう。その過半の有権者が、もしいま経済界が政府に要望している規制緩和や法人税減税を<政府への圧力>として非難するとすれば、それは自分の首を自分で締めているわけであり、極めて愚かだ。

経済のことは経済の論理で決まる。<より良い経済社会>を<賢明な>政治家が官僚を指導しながらマニュアル操作で実現できるという理論的根拠はない。モラルは人生の幸福を実現するのに重要なものであるが、社会経済を上手に運営するには全く不要のものである。社会経済の運営は、幸福の実現とは独立の事柄であり、政策科学の専門的知見を活用しないといけない。それは野球やサッカーと同じである。一生懸命やれば勝てるとはいえないのだ。

そして専門家のほとんどは、自由な市場にまかせた時に経済全体がどうなるかが予見できているのであって、政治家や官僚にまかせる時に社会がどうなるかは、まったく分からない、ここに信じるべき理論は一つもないのである。理論通りにはいかないから、政治家が経済社会に責任を持つべきだと言うのは、今日は風が強くて飛行機が安定しないから、乗客が投票をしながら民主的にマニュアル操作しようと提案するのと同じ話しなのだ、な。

2012年10月25日木曜日

覚え書き ー 幸福は善意ではなく愛がもたらすという考え方

今年は小生にとってまれに見るほど出入りの激しい一年になった。多事多端、自分史の中では波乱の年である。 ー まだ2ヶ月余り残っているが、もう沢山だという思いがある。

昨晩は、夜の授業があったのだが、かみさんは松山に帰って留守である。授業が終わって高速バスで帰ると、いつも近くの高速バス停留所まで車で迎えにきてくれていた。それがないので昨晩は携帯でタクシーを呼んだ。タクシーが到着するまで寒かった。今朝はS市にある大手流通企業が実施する社内研修の出張講義である。コートなしでは外を歩けなくなってきた。

授業が終わって帰る道筋、車を運転しながら考えた。誰しも幸福な人生をいきたいものである。その幸福に至るような行動が善であると定義されているのが西洋哲学の伝統的考え方だと理解している。ただしかし、幸福は快楽とは違うのだ、な。だから話しが堂々巡りになる。

「お客様に喜んでいただきたい」、ビジネスマンがそんな風に話す時、それは顧客に幸福を与えるのではなく、実は快楽を与えているにすぎないことが多い。大体、幸福がビジネスになるはずがない。なるのは快楽だ。だとすれば、その顧客サービスは、ソクラテスの言う単なる<おもねり(flatter)>である。ソクラテスの時代、一世を風靡していた弁論術もそうだと喝破したことは有名だ。<真の幸福>をもたらす行為だけが、善たりうる。相手に喜びを与えるというのではダメなのだ、と。快楽ではダメだとしても、帰結主義であるのに違いはない。功利主義に近い。ドイツの哲学者カントは<実践理性>なるものを導入して、人間は誰でも人として生きていきたいと考えるものだ、それは実践理性が最初から持っている能力だ、その実践理性の要求に従うことが善であり、真の幸福への道である。こんな言い方をした。ま、理屈はともかく、では<真の幸福>とは何か?それは善なるモラルに従うことによって実現できる状態だ。小生、哲学の専門家ではないが、ここはどうも循環論法のようにずっと思っていた。

人は最初から悪を為そうと思って悪をなすわけではない。それが自分には善だと判断したから、そうするのだ。悪い奴とはヘマな奴。このことは以前にも投稿した。ヘマをするかもしれないなら、勘違いしないだけの知恵がいる。しかし、そんな知恵をもっているのはソクラテスくらいの人だろう。凡人が善い人間でありたいといくら望んでも、それはそもそも難しいのだ。だから悪人が後を絶たない。と、そこで考えが一転した。曲がり角にきたからハンドルを左にきる。右車線に入ろうと・・・おおっと歩行者がいる!あぶない、あぶない。

愛じゃないか、ここで決め手になるのは。愛で動機づけられた善意志は、その帰結とは関係なく、絶対的に善であると考えるしかないのではないか。帰結とは関係なく、必ず幸福に至るのではないか。後悔という炎に心を蝕まれることはないのではないか。そう思った。

・・・しかし待てよ。人間には理智の部分、感情の部分、欲望の部分がある。愛は、この三つの部分に共有されているのだな。欲望に基づく愛、感情から生まれる愛、そして理性に基づく愛がある。欲望に基づく愛は、文字通り「欲」から生まれる。ギリシアの神で言えばエロスにあたるか。自分の欲望に動機づけられた愛は、モラルをむしろ破壊するはずだ。これは明らかだ。そろそろ5号線との合流地点だ。えっと、左車線によるのだったかな・・・

感情による愛は憐憫、共感、いたわりから生まれる。それは美しい愛だ。まあヴィーナスだな。美しいが、器の小さい、狭い範囲の愛である。差別的な愛でもある。そして理性的な愛。古代ギリシア人は、この理性的な愛を非常に尊重した。神を愛する、人類を愛する、これらは抽象的な愛であり、全ての存在を容認し許す愛となる。ま、神が人間をみる眼差しに近い愛である。この二種類の愛は人にモラルを与える根本原因なのだろうか?キリスト教は(それほど詳しく勉強したことはないが)神を愛することを厳しく求めるし、同胞を等しく愛することを求めている。5号線に入った。大分、帰ってきた。のんびりいくか。

愛に基づく善意志は、たとえどんな帰結を生んでも、それは必ず倫理規則を満たすのであって、必ずその人は救われるのである。こうであれば、真の幸福とは何かを洞察する深い知恵も必要ではない。誰でもが、善でありうる。結論はこんなところか、とにかくロジックが通っている。我が町に帰り着く。生活道路をクネクネといく。

ただあれだ。国を愛するとはいえ、自分の国を愛し、他国は愛さないという愛は、いかなる愛なのか?「愛国無罪」の愛とは、幸福を実現する倫理的な愛なのか?どうも違うのじゃないか?やはりモラルに合致する愛は、感情から生まれる差別的な愛ではなく、抽象的な愛、理性から生まれてくる愛なのじゃないか?そんな愛は、頭の悪い凡人に持てるのか?やっぱりまた循環論法か・・・こんなことを思い巡らせながら、帰宅した。

なんの結論も得られなかったが、ひとつ「愛は地球を救う」などという戯言は本当にのんきで、かつ一顧の価値のない軽薄なスローガンであることが納得できたし、それと同時に「地球を救うのは、それは愛である」と。差別的な、感情的な愛ではなく、普遍的な愛である、と。そんなまとめ方をしたのであります。


2012年10月24日水曜日

不平等をいうなら所得よりも重いものがある

今晩義兄の告別式等を済ませ名古屋経由の便で北海道に戻る。カミさんは、しばらくの間向こうに滞在して、相談相手になったり、雑事の手伝いをする予定だ。東日本大震災の日まで20年以上ずっとつけていた日記は、震災の後、Googleドキュメントにして大変重大な事柄だけに限定して簡単に記すようにした。今週日曜の記述をここに貼付けておく。

昨日帰松したY子から11時頃に電話あり。「兄がダメだって・・・T子さんから電話があって、呼吸が止まったんだって・・・」、早すぎる急変に驚く。言葉が出ず。レオパレスの契約はうまく済んで、今日から使えることになったが、すぐに兄の家に帰るというY子に、これからの予定が決まったら教えてくれと言いおく。仏壇の灯明をともし、父と母、なかんずく20年の昔、松山で療養していた時分に何度か母とも会ったはずの義兄が亡くなったことを告げて、まずは合掌十念する。
最初に発病して手術をしたのが3年後に再発して、それから7年、計10年の闘病生活である。特に再発した時は、まだ五十前で医師として油の乗り切った時でもあったし、呼吸器での再発となると平均的余命は1年か2年というのが相場であったので、これまでやってきたことが全て無駄であったように思ったらしく、内室のT子さんの目にも落胆と絶望の様子がうかがわれた由。何をやっても無駄であるという気持ちを中々乗り越えられなかったようだ。再発後の7年間は一年一年が予想外の一年だったのである。

塚も動け 我泣声は 秋の風(芭蕉)
よく所得や資産の不平等が問題視されているが、小生は何よりも命がもっと公平であればと思うことが多い。しかし、現実に神は不平等を愛するようだ。ただ、不平等というのは人間の言い分であり、実は不平等ではなく多様性と認識するべきなのだ。その多様性は、数多くの貧困をその中に包み込み、それによって全体としては何かの進歩と活力をなくさずにいさせることができるのだろう。そう考えるしかないのではないか。あらゆる自然はそうではないのか。現実に人間にとって悲哀の感情が刺激される状況が現にあるのは、それがありうるからであり、なければならないからであり、それを自然が必要としているからだろう。それは決して無駄ではなく、人間社会といってもむしろ自然の働き、宇宙の運行の一つの断面なのだと受け止めている。

僧朝顔 幾死に返る 法の松(芭蕉)
生命の在り方そのものだとすれば、ある人とある人の命の差を人間の正邪善悪の判断対象として考えてもそれは意味がなく、また違いの意味付けを考えても答えはない。同じように、それが人為的規制ではなく、社会のプロセスから自然に形成されるのであれば、ある人の所得を別の人の所得と比べても、その違いに意味はないだろう。ただありのままに現実を見ることを通して、自然を受け止め、自然の中で明日を生きるしか人間にできることはない。

2012年10月21日日曜日

日曜日の話し(10/21)

ずっと以前に<依存効果>という用語が経済学分野で一世を風靡した。高名な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが1958年に刊行した主著『豊かな社会(The Affluent Society)』の中で用いた造語である。

市場経済では、数多くの人たちが色々な商品に対してどのような評価を与えるかが、価格メカニズムによって調整されるので、ある意味<民主的>な資源配分ができるのである。自由資本主義を支持する人たちは、このようなロジックで市場メカニズムを評価する。しかし、実際には巨大企業が展開する広告・宣伝など販売促進活動によって顧客は商品の性能・効能・内容を知るわけであり、そもそも顧客自体が企業につくられる、顧客評価そのものが企業によってつくられたものである。ガルブレイスはそう見たのだな。企業は、独占的な価格支配力を活用して、自社製品を高く評価するように仕向けられた顧客に対し、高めの価格を設定する。つまりは製品差別化に成功するわけだが、その成果として巨額の独占利潤を得る。これがその時点の資本主義経済のありのままの姿である。まあ、こういう叙述をしたわけだ。

21世紀の初めにおいて激烈なグローバル競争にさらされている現実を振り返るまでもなく、アメリカの巨大企業の大体はガルブレイスの指摘の後、急速に没落してしまい、いま頑張っている優良企業はベンチャー企業から成長した会社である。ガルブレイスが描いた資本主義がどれほど当時の現実に当てはまっていたのか、今日では疑問符がついているようである。それでもなお、優位に立つ者によって<つくられた趣味、つくられた文化>という視点は、時に鋭い切れ味を示す分析ツールになる。これも事実だろうと思う。

× × ×

先週の日曜日の話しの中でロココ美術をとりあげた。そのロココ美術は、特に18世紀、1700年代の中盤からフランス革命にかけて、フランス・ブルボン王朝ルイ15世の治世の下で花開いた、というより寵姫ポンパドール夫人やデュ・バリー夫人が邸内で主催するサロンで作り出された装飾芸術である。芸術家たちはそれに応える作品を制作し続けた。

高校時代に天才ワトーについて読んだことがある。何が書かれてあったのか忘れてしまったが、真作を見たことはないものの、確かに優美にして華麗。いわゆる「ベルサイユの薔薇」的な美的感覚であるなあと感心した。


Watteau, The Embarkation for Cythera, 1717
Source: Web Museum 

とはいえワトーは早逝した。上の作品はワトー晩年のものであるが、まだルイ15世は即位後2年しか立っておらず、7歳の少年だった。ポンパドール夫人を愛するには余りに幼い。ロココ美術の成熟期は、更に一世代が過ぎ去って、18世紀の半ばを待たないといけない。その時期、サロンの美的感覚に応えて活躍したのは、ブーシェと先週とりあげたフラゴナールである。この三人がロココ三人衆。まあ出世頭である。ブーシェはポンバドール夫人の肖像画を納めている。これまたベルバラ風貴族趣味が横溢している。


Boucher,  Marquise de Pompadour, 1756
Source:Wikipedia

1756年ということは夫人が35歳の時の肖像である。ロココ趣味は次の国王であるルイ16世の時代になると次第に低調になり、その装飾過多が辟易されるようになった。所詮、<装飾>は、ありのままの姿を表に出さない志向、その意味では主観的なものである。美の標準は次第にルネサンスの昔に規範を求める新古典主義の時代になるが、それでも王妃マリー・アントワネットはロココ的な美と装飾を大変愛したそうである。革命直前期にもてはやされたロココという<つくられた美>は、その後、退廃芸術として否定され続けてきたが、最近になって再評価される向きもあると耳にしている。これが社会の退廃、主観の強調、人間の精神の衰えに起因する現象であるのかどうか、なかなか難しい問題だと思う。

2012年10月20日土曜日

潔癖なはずの日本人が偽善には甘い理由は何か?

カミさんの実家は四国松山にある。義兄は永らく医者を続けてきたが、ずっと以前に手術したはずの病気が再発し、最近は極めて危ない容態になってきた。子息は医学部で修行中であるとはいえ、まだ若く、奥方一人では大変である。心理的負担も大変なものだ。で、実家の近くにレオパレスを50日ばかり借りて、かみさんが向こうに長期滞在して手伝うことになった。それで今日はカミさんを新千歳空港まで送ってきたのである。しばらくは「逆単身赴任」というのか、一人暮らしである − いざという時は間もなくやってくるのかもしれないが。送った帰りに冬の到来を予感させる驟雨が運転する車の窓をたたいた。かと思うと、つかの間、日が射したりする。そんな天候のせいだろうか、道央高速から札樽高速に入り海が見えてきたところで、鮮やかな虹が一瞬の晴れ間に浮かび上がっていた。北海道は晩秋である。


小生: いまはお前の実家とおれの家はすごく近しい縁で、T家とN家はすごく濃い関係なんだけど、次の子供の代になると従兄弟の関係に薄まるし、その子の、またその子の代になっていくにつれて、いまの縁はいずれ消えて、N家の人とT家の人は最後には元の他人に戻ってしまうのだろうねえ。

かみさん: だけど子供達はつきあうと思うよ。小さい時から行ったり来たりしているし。ああ、だけど名字が違うから、そのうち、つきあわなくなるよねえ。

小生: 昔はさ、近くに住んで、嫁さんを迎えたり、養子にとったりして、縁が薄くならないようにしたんだろうけど、今じゃあ、そんなことはしないしね。北海道と松山じゃあ、仕方ないよ。お祖母さんの出里までは知っているけど、ヒイ祖母さんの実家は知らないだろ?

かみさん: 縁はもうなくなったってことだよねえ。

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日本の町は非常に清潔である。ゴミがなく、清掃が行き届いていることは海外から帰った日本人にもよく感じ取れることだし、まして外国人が日本の町を歩いて最初に印象づけられることはゴミが少ないことだ。そのことは頻繁に耳にすることだ。しかし、モノについては清潔好きである日本人が、ウソ、特に<偽善>なるものについては意外な程に大まかである。小生は、そんな風に感じることがある。

というのは、巷の井戸端会議のホット・イシューである次の報道のことだ。
日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は19日、自身の出自に関する週刊朝日の連載記事に関し、出版元の朝日新聞出版が謝罪コメントを出したことを受け、朝日新聞への取材拒否を続けるかどうかは「次号の内容を見てから判断する」と述べた。
 同時に「次号のおわびの内容は朝日新聞グループの見解として受け止める」との見解も示した。市役所で記者団の質問に答えた。
 連載記事は週刊朝日の10月26日号に掲載。橋下氏は「内容が一線を越えている」として、朝日新聞出版の親会社である朝日新聞の取材を拒否する姿勢を示した。週刊朝日はノンフィクション作家佐野眞一氏と取材班による緊急連載で「ハシシタ 救世主か衆愚の王か 橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」と題して記事を掲載。18日に「不適切な記述が複数あった」とする編集長名の謝罪コメントを出した。
(出所)MSN産経ニュース、2012.10.19 15:19 配信
佐野真一氏というと、例の「東電OL殺人事件」を著した人物であり、小生も読んだが前後の行動を見ていると、それほど低劣な記事を書く人とも思われない。思われないが、個人の努力と人格を評価し、その範囲に批評を限定することなく、親、兄弟の素行や出自にまで話しを広げ、それを種に誹謗中傷するとなると、一体何のために現代世界は努力しているのかと、これまでの文明国の努力を全く無にする行為である。そう弾劾されても仕方のないことであり、報道の自由とか、言論の自由とかを唱えても、所詮は勝手自儘の域を出ない。この判断が基本的には正しい。誰かも話していたが、橋下市長は今回の件を裁判に訴え、裁判所は個人の尊厳と報道の自由とのバランスについて有効な判例を一つ加えておくべきだろう。

ただこんなことを言うと、話しがグチャグチャになるのであるが、出自やDNAを云々する同じような文章が、たとえば産經新聞の、たとえばコラム記事「正論」になって掲載されていたとすれば、小生、それほど義憤にはかられなかったと思うのだな。もちろん誰もが知る右翼紙である産經新聞が政治家・橋下徹をいかなる理由であれ貶める記事を書くとは思えない。しかし、仮に政治家・橋下が例えば菅元首相と連携するようなラディカル再エネ派であれば、やはり同種の文章を掲載するのじゃないか、そんな想像をたくましくしている。そもそも産経は、個人の能力を反映する自由資本主義を強く支持し、基本的人権の擁護や格差拡大の是正には、決して力を入れて支持してはこなかった。そんなマスメディアが勇み足で、気に食わぬ政治家の出自を暴露する。「おいおい、そこまで言うかねえ」、そんなこともあると思うのだな。もちろんよろしくはない。

しかし朝日新聞社は違う。人権擁護には非常に熱心であった。差別ということについて非常に敏感な感性をもってきた社風である。その朝日新聞の系列週刊誌が、いくら気に食わない右翼政治家だからといって、日頃唱えている個人の尊厳を否定するような言動をしちゃあ、日頃の立派な言動は全て<偽善>であったのか。そうなるでしょう。今回の騒動は、特に朝日が関係しているので、憤慨の念を覚えたのだ。

朝日新聞社は平和主義である。しかし戦後日本は平和であったからこそ、経済成長ができたし、豊かになったのである。だからこそ、平和を主張したのだとしたら、狙いは利益であり、それをそうと言わず、平和こそを求めるべきだと議論すれば、それは<偽善>である。朝日新聞社は格差拡大には大変批判的である。確かに戦後日本では分配の平等化が進んだ。その平等化と、ぶあつい中流階層の形成から最も得をしたグループの一つに、部数拡大と企業の成長を実現できたマスコミ各社が挙げられる。求めるものは企業利益でありながら、それをそうと言わず、平等の理念を吹聴するのは、文字どおりの<偽善>である。

自社にとって望ましくない政治家を誹謗することが目的であれば、日頃の発言とは異なった行動をとる。だとすれば、社の理念は所謂<理念>ではなく、たまたまその方向が自社利益にかなっていただけであり、そういう意味で<経営戦略>であったのであり、理念などではなかったことになる。理念でないことを理念として語るのは偽善である。

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まあ、そんなことを考えつ、思いつしながら、高速を運転して帰ったのだ ー 危ないよなあ。家に帰りつくと、小生一人である。「ああ、もう君はいないのか」、いやいや、これは不吉である。

日本人は、友人・知人の心の中にいる己(おのれ)を確認して、はじめて自己という存在を確認する傾向があるのじゃあないか。先日、ビジネスプランの狙いを聞いてみると、「お客さんに喜んでもらう、これが究極的目標です」と、そんな回答をえた。確かに顧客志向というのはビジネスの根本である。しかし、「これは悪い」という正邪善悪の判断は、倫理的判断であり、周囲の全ての人が自分と正反対の判断をしている時に、なお自己自身はどう判断するのか?これが正真正銘のモラル的判断であるはずだ。日本人にとって、友人・知人こそが自分のいる「社会」である。そう言えないか。その社会の中で、自分はどのように思われ、どのように評価されているか、他人集団の中に描かれている<自分の肖像画>をみて、そこで初めて自分が自分であることを確認して安堵する。そうでなければ不安になる。こういう心には、そもそも自由はなく、したがってモラルは存在しえず、故に善悪を論じることに意味はない。強いて言えば、おかみの指導や外圧によって集団的間違いを抑えるしか方法がない。

もし個人だけではなく、日本企業の企業内心理学としても同様のことが言える、つまり顧客は自社に何を求めているのだろうか?顧客を喜ばせてあげたい。この点を最優先するとすれば、敵対する政治家をどのように誹謗中傷しようと、<なぜ>そのやり方が悪いのか?この問いかけに真の意味で答えられないのじゃないか。偽善ですよ!こんな非難に対して「私達が悪かったってことですか?ミスですよ、単なるミス」。いやあ、言いそうだねえ。ここまで考えて、納得しつつ、自宅のドアを開けたのである。

2012年10月18日木曜日

話しのタネ ― マリー・アントワネットの靴、地球ゴマ

前の「日曜日の話し」でフランス革命時の王妃マリー・アントワネットの肖像画を使ったら、本日の読売新聞にはこんな報道があった。マリー・アントワネットの靴の話しである。
【パリ=三井美奈】フランス革命で処刑された国王ルイ16世の妃きさき、マリー・アントワネットの靴が17日、パリで競売にかけられ、約6万2000ユーロ(約640万円)で落札された。 
靴のサイズは約24センチ。白と緑の縞しま模様の絹で覆われ、リボン飾りがついている。ヒールは木製で、白い皮革で覆われている。 
王妃がベルサイユ宮殿に出仕した貴族から1775年ごろ贈られたものとされる。落札予想価格は8000~1万ユーロだった。 
競売ではルイ16世一家ゆかりの品々が出品され、王妃が革命で捕らわれる直前、身に着けていたとされるドレス生地の断片には、約6100ユーロ(約63万円)の値が付いた。(2012年10月18日10時45分配信)
 サイズは24センチというから現代日本人女性の平均的な体格と同程度であったろう。身長は分からないが160センチ前後だったのかなあ、ウェイトはどの位だったのだろうとか、色々と想像を刺激される。それにしても落札額が640万円か・・・。今春、ニューヨークのクリスティーズで落札されたセザンヌ「習作‐カード遊びをする人々」は15億円だった。紙に描いた簡単なスケッチであり、水彩画である。

単なる旧い革靴と鑑賞に耐える水彩画との違いはあるが、それにしても640万円と15億円。生きていたときの職業は王妃と「売れない画家」、文字通りの月とスッポンだ。評価額640万円は安いなあと思うのだが、こんなものか。もしこれがナポレオンの愛用した軍靴となると、より高値がつくのか、靴などはそんな相場であるのか、小生にはよく分からない。

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地球ゴマという玩具はまだ販売されているのだろうか。販売されて最近の子供たちもそれで遊んでいるのだろうか。小生の幼いとき、年上の友人が地球ゴマを糸に乗せたり、糸の上をはわせながら移動させたりしているのをみて、その情景がいまでも印象に残っている。自分では地球ゴマを一度は買ったか、買わずじまいであったのか、記憶がない ― 自分で買ったのだとしても、いざ自分で遊んでみると、それ程面白くもなかったのであろう。

その地球ゴマの夢を今朝方みたのである。と言っても、コマとしてではない。どこの外国だろうか、格安航空会社を利用していて、その便に乗ったら、鉄骨やトンネルをすり抜けるように飛行し始めた。機体は時に垂直、いや背面飛行かと思うほどに傾いているのが窓の外を見ていてわかる。それでも自分の体は傾いていない。「ああ、地球ゴマ方式というか、椅子が常に水平であるように設計されているのだな」、夢の中でそんなことを考えている。地球ゴマだから離陸するときも水平のままである。急降下するときもずっと水平である。

そのうち、海の上に出た。船が往来している。肉眼で甲板を歩いている人がよく見える。飛行高度はずっと200メートル位である。そんな超低空を高速で飛んでいる。周囲の景色をみると、別の飛行機も同じくらいの高さを飛んでいて、すれ違ったり、追い越したりしている。レーダーと衝突防止自動制御機能が備わっているのだろう。ちょうど東京都心、シドニー都心の交通状況が2次元平面から3D空間に次元拡大されたようであり、要するに大変混雑している。「これはいつの時代なのか・・・、数えきれないほどの飛行物体はそれぞれ定まった航路を飛んでいるのか?」、夢の中で一生懸命考えていると、やがて着陸した。そこで目が覚めた。

起きてよく思い出すと、地球ゴマは回転盤がずっと水平であるわけではない。「ちょっと違うなあ」、そんなことを考えているうちに、細かい部分は思い出せなくなった。ギリシアの哲学者プラトンは魂は永遠であり、何度も肉体的な生と死を繰り返すと考えていた。生まれるときに魂は前にこの世で生きた時の出来事を全て忘れてしまうということだ。それは夢で見た出来事を起きた直後は覚えていても、じきに思い出せなくなる。そのことと似ているのかもしれない。

2012年10月16日火曜日

世界的な景気後退が明瞭に

英国紙Telegraphで以下の報道があった。

Germany in 'great danger' of falling into recession

Germany is in "great danger" of plunging into recession, four respected think tanks have warned, as they slashed the country's 2013 growth forecasts in half.

The four institutes - Ifo in Munich, IfW in Kiel, IW in Halle and RWI in Essen - also lashed out at the European Central Bank, saying its latest anti-crisis measures risked fuelling inflation in the 17 countries that share the euro.
"The euro crisis is negatively impacting economic activity in Germany," the institutes wrote in their joint twice-yearly forecasts, published on Thursday.
"Should the situation in the eurozone continue to deteriorate, this will also impact the German economy. Over the forecasting period as a whole the downside risks prevail and there is a great danger that Germany will fall into a recession," they warned.
While Germany clocked up growth of 0.5pc in the first quarter and 0.3pc in the second quarter, "there are currently a large number of signs that overall economic expansion will weaken towards the end of the year," they wrote.
Source: The Telegraph, Tuesday 16 October 2012  
ドイツはユーロ圏に属していることから恩恵を享受しているという指摘が以前からされているが、もはやそんな状態ではなく、欧州経済の混乱が独経済にとってのマイナス要因になり始めている。

IMFの経済顧問兼調査局長であるOlivier Blanchards氏は独紙Frankfurter Allgemeineとのインタビューで次のように語っている。

Droht Europa wegen der Euro-Krise ein verlorenes Jahrzehnt, wie Japan es erlebt?Es gibt Grund zur Sorge, und man muss vorsichtig sein. Wir wissen, dass Finanzkrisen im Gegensatz zu einer normalen Rezession sehr lang andauernde Effekte haben. Sie scheinen mit ungewöhnlich schweren Schäden verbunden zu sein, die repariert werden müssen, und das braucht seine Zeit. Keine Frage, nach dieser Krise muss uns das japanische Beispiel beunruhigen. 
Wiederholen wir die japanischen Fehler?Sicher hat Japan nach dem Platzen seiner Finanz- und Immobilienblase Fehler gemacht. Mit den Banken haben sie nicht in angemessener Geschwindigkeit gehandelt. Die anfängliche hohe Abhängigkeit von staatlichen Wachstumsprogrammen war möglicherweise unklug, und die Geldpolitik nicht expansiv genug. Aber das sind Fehler, die sich im Nachhinein herausgestellt haben. Für die Eurozone bin ich optimistischer.
Source: F.A.Z., 11.10.2012 
「失われた10年」という言い回しは、既に世界で共有されている経済用語となり、ドイツ語では”Ein Verlorenes Jahrzehnt”と言われている。金融崩壊による景気後退後は、損傷個所を修復しない限り元の成長軌道には復帰できないという点を強調しており、その点で1990年代の日本は行動に敏速を欠いていたと、政策の失敗を明瞭に指摘している。その失敗だが、当時の日銀エコノミストは今日もなお政策の失敗とは、どうやら認めてはいないようであり、このあたりの認識が現在の日本で実施されている金融政策方針にも反映されているのではなかろうかと(小生の目には)映っている。現在の欧州の政策努力については、(日本の政策と比べて)より楽観的な見方をしているようだ。



いずれにせよOECDの景気先行指標(Composite Leading Indicator)は、世界的に下降しており、上昇基調にあるのはオーストラリアとブラジルくらいなものだ。

アメリカの財政支出削減方針が現実化するときの「財政の壁」をめぐって新政権の方針が明らかになる来年春先までは景気はこのまま下降を続ける可能性が高い。


2012年10月14日日曜日

日曜日の話し(10/14)

ドイツが生んだ巨大な文化人であるゲーテは自らが不惑の齢を迎えてから約20年間、フランス革命という政治的嵐の中で世を過ごすことになった。暮らしていたワイマール大公国がフランス軍に蹂躙された時には、自宅に侵入した仏軍兵が迫り、図らずも生命の危険を感じる経験をしたという。そのゲーテの芸術は古典主義であり、彼が賞賛するのは先ずは古代ギリシア・ローマ文化であり、さらには14世紀から16世紀にかけて特にイタリアで展開されたルネサンスの作品である。

ゲーテと同時代のフランスでは<新古典派>の美術が開花し、ダヴィッド、アングルなどの絵画作品が生まれていたのだが、たとえばエッカーマン『ゲーテとの対話』で彼らの名が登場することはなく、ドイツの同時代の画家に至っては散々な貶しっぷりである。まして前時代に一世を風靡したロココ美術はゲーテの目には一顧の価値もなかったようである。


Fragonard, The Stolen Kiss, 1756-61

ロココ美術の最後の代表者であるフラゴナールは、しかし、ゲーテの一世代前の人物かと思ったがそうではなく17歳の年長、死んだ年も1806年だから26年前、親子の違いとも言えそうだが、実は重なって生きた人である。にもかかわらずゲーテはフラゴナールを一顧だにしていない。というか、フラゴナールは早熟の天才であり、最高の作品は、ブルボン王朝の治世の下、若い頃に描いてしまい、革命勃発後は世から忘れ去られて生きた画家である。

ゲーテと生きた時間を共有した芸術家としては、ほかにスペインの大画家フランシスコ・デ・ゴヤがいる。こちらはゲーテより3歳年上、死んだ年も2、3年先でまさに重なり合っている。しかし、できれば一度でもゲーテと面談がかなっていれば、それはそれは興味深い面会になっていたであろうと思うのは、フランスの女流画家ヴィジェ・ルブランである。フランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットの肖像画を何枚か描いているので非常に有名である。

Madame Vigée Le Brun、Marie Antoinette、1787
Source: The Art of Elisabeth Louise Vigée Le Brun

画家ルブラン夫人は欧州全域で大変な人気であり、招待されるがままに時間を見つけて多くの国を旅行した人である。
Madame Vigée Le Brun、Lord Byron、1802

上の作品は英国のロマン派詩人バイロンであるが、この作品が描かれた1802年にはバイロンはまだケンブリッジ大学にも入る以前でおそらくハロー校在学中であっただろう。

晩年のゲーテの人となりと佇まいを有りのままに伝える『ゲーテとの対話』を読んでいると、彼が真から尊敬した作家・詩人は親友シラーを別格とすれば、シェークスピアと上に描かれているバイロンであることは明瞭である。だから、シラーがまだ存命中であった1802年という時点で、若いバイロンと会い、彼の肖像画を描いたルブラン夫人が、もしゲーテを訪れていたとすれば、二人の間でどのような会話が交わされたことだろうと、小生、非常に想像力を刺激されるのである。夫人は革命後のフランスで隠棲しながら暮らしていたが、1814年にはその隠宅もプロイセン軍に接収されてしまった。その前後にワイマールのゲーテを訪ねていれば、ゲーテは65歳、ルブラン夫人は59歳であったはずである。これは面白い、トーマス・マンでなくてもよいから、作品化してほしいものである。

バイロンは『チャイルド・ハロルドの巡礼』で世に知られるようになったが、最近は多くの人が読む作品ではないのだろうか。昔に比べるとやや下火になっているようだ。やはり流行というものがあるのか、それとも絶版になっているのだろうか店の書棚に並ぶ文庫版を見かけることが減ったためなのか。ただ熱心なバイロン・ファンは現在もいるようで、たとえば土井晩翠の日本語訳をネット上に発見したのはブログ「バイロン詩集」である。


バイロン、チャイルド・ハロルドの巡礼、第2巻から引用

バイロンも詠っているのは「人工の巧」(=人間の作為)は醜悪であり、「自然」(=有りのままの姿)は常に美しいということである。この美意識はゲーテと全く共通しているのだな。

英国の古典派経済学者である ー というより最初の経済学者である ー アダム・スミスが大著『国富論』(Wealth of Nations)を公刊したのは、1776年、ゲーテが27歳の時である。スミスの経済理論の全体を流れている思想は、自由な市場が<自然価格>を形成することにより、社会全体には最も望ましい経済状態がもたらされる。したがって、政府は余計な規制や認可などを行うことをせず、自然のままに経済を運行させることが最良である。そんな考え方が基本である。ま、いまでいう<市場原理主義>の香りがしないでもないが、<有りのまま>が最も良いのだという価値観は、どうやらゲーテ、バイロンとも共通しているし、またジャン・ジャック・ルソーなどフランスの啓蒙思想家とも通じる所がある。市場は人間の欲望を調整する場であるが、人間は自然においては善なる存在である、そんな公理から社会システムをデザインするとすれば、自由市場が最良のあり方であるという結論もモラル的に支持されるという理屈になる。

有りのままの自然な現実は問題に満ちており、優れた人間が矯正しなければ良い状態にはならないのである。こんな思想がいつから世の中に浸透することになったのか?経済学者ケインズは明らかに人間による社会の改良が可能であるという見方をしており、古典的な啓蒙思想とは正反対の立場に立っていたが、たとえばマルクスですらプロレタリア革命は資本主義の自然な発展によって必然的かつ自然な結果として実現されると考えていたと耳にしている。とすれば、いわゆる<裁量的経済政策>の思想的かつ倫理的な土台はいつから、どのようにして多数の信任を得るようになったのか。実は、小生、いま調査中であり、よく分からなくなっているところだ。

2012年10月12日金曜日

給与の「官民格差」になにか実質的な意味はあるのか?

今日は、IMF・世銀総会が日本で開催された事もあり、世界経済の一断面を話題にしようと思っていたが、偶然見つけた以下の報道について、先に感想を書きとめておきたい。
福井県人事委員会(川上賢正委員長)は11日、55歳以上の職員の定期昇給を取りやめるよう、西川知事と吉田伊三郎県会議長に勧告した。
55歳以上の平均月給が、4月の調査で県内の民間企業(従業員50人以上、102社)の平均より1割高かったため。一方、民間企業とほぼ同水準だった月給とボーナスは、4年ぶりに据え置いた。
 見直しの対象は、警察官、教職員を含めた全職員の13・7%にあたる1827人。勧告が実施されると、全体で月額約50万円の人件費削減になるという。また、人事委は50歳代後半を対象に昇給幅を抑制する制度改正も求めた。
 全職員の月給は36万8183円(民間企業36万8112円)、ボーナスの支給割合も月給の3・95月分(同3・94月分)で、民間と差がなかった。
 西川知事は勧告を受け、「内容を尊重し、適切に対応したい」と応じた。県は勧告が適切と判断した場合、12月定例県議会にも職員給与条例改正案を提出、来年1月の昇給分から適用する。
(出所)2012年10月12日07時21分 読売新聞 
別に小生自身が国から給与を支給されているから思うわけではないが、55歳以上の「公務員」が支給されている平均給与と「民間企業」に在職しているサラリーマンの平均給与に違いがあったとして、そこになにか合理的かつ実質的・経済的な意味はあるのだろうか?警察官や教員も対象にするというが、教員の給与格差をいうなら公立学校教員と私立学校教員との格差を言うべきだろう。警察官に至っては滅茶苦茶なロジックである。大体、警察官の平均給与と民間サラリーマンの平均給与を比べ、どちらが高いとか低いという議論をしても、互いの感情を刺激するだけであって、実質的な意味はない。強いて比較するなら、民間警備会社で同レベルの仕事をしている人たちの給与と警察官の給与を比較するべきだろう。

IT技術者の給与が社会全体で仮に上昇しているとすれば、それはその職種につく人材が不足している現れである。単純労働者の賃金が低下しているとすれば、それは社会全体でその職種の労働者が供給超過に陥っている結果である。官民を問わずIT技術者の給与は引き上げなければ人材が調達できないし、単純労働者の給与は引き下げる方向にしないと不合理である。公務員の平均給与は、職務内容の構成から決まって来る最後の結果ではないか。犬の尻尾をつかまえて、頭の方向を決めようと言うのは、本末転倒だ。

ちょっと上の福井県の議論は、小生の目には、衰えた知的水準の象徴のように思えますな。 いくら歳をとれば頭脳活動が衰えるとはいえ、これが「長寿化社会」の行く末だとすると、ここが最も心配で、かつ嘆かわしいものである。

もちろん抑制的な人件費管理と攻撃的な安値戦略を背景とする賃金・物価デフレーションの進行は今回の本題ではなく、それはまた別個の問題である。念のため。

2012年10月11日木曜日

<社会>という実体は現実に存在しているのか?

社会的責任という言葉がある。社会システムという言葉もある。今や死語と化しつつあるが、いずれまた復活するかもしれない言葉として社会主義も広く浸透している。そもそも「社会」という言葉は古い言葉ではない。ちょっと調べてみると、明治8年に福地源一郎が東京日々新聞にSocietyの訳語として「社會=社会の旧字体」という語を使ったのが初めだという。小生、てっきり「社会」も「会社」も福沢諭吉の造語によるものと思っていたが、社会に関する限り福地の方が早いという記事がネット上では多数を占めているようだ。

社会でも、Societyでもいいが、とにかく社会という実体は本当に私たちをとりまく世界に存在しているのだろうか?

似たような問題は18世紀終盤にドイツの哲学者カントが提出して世を驚かせたことがある。それはまず「空間」とか、「時間」という使いなれた言葉に対応する実体は、私たちの外部に本当に客観的な存在として、そこに在るのかという問いかけだった。答えはNoである。空間にしても、時間にしても、私たちはそれらの枠組みなくしては物事を認識して解釈することができない。つまり私たちが生まれながらに持っている認識作用に最初から備わっている形式であるというのがポイントだ。

アインシュタインの相対性理論の登場によって、絶対的な時間、空間の客観性は否定されてしまったので、カントの議論の的確さが事後的に確認されたわけだが、晩年にかけてカントは人間の踏むべきモラルについても深く考察した。モラルを議論する時には、自由や善悪、正義などを考える必要が出てくる。神という言葉も使わざるを得ない。第一批判書『純粋理性批判』で人間は神を考えること自体できないものであると言って、ハイネはそれを「神の葬式」であると例えたのだが、第二批判書『実践理性批判』では「実践理性」なるものを出して来て、人が正しく生きようとすれば「神」や「自由」なるものを仮定せざるを得ない。それらが確かに存在しているかのように生きるしか人間は生きられない。そういう考え方である ― カント哲学の研究者ではないので、本質からずれた言い方かもしれない。

社会科学は「社会」の現象を分析対象にするというのだが、小生、「社会」という言葉も、カントのいう時間、空間、自由と同様、多数の人間を総括的に考えるとき、必然的に従わざるを得ない認識の形式であると思うのだ、な。社会を語ってみても、それは議論の中において、社会というものがあるかのように想定しているにすぎないわけであり、語られている「社会」が、文字通りの「社会」として現実に存在し、呼吸をしている。そんなことは立証もできないわけであるし、指し示すこともできないわけである。

I think we have gone through a period when too many children and people have been given to understand “I have a problem, it is the Government's job to cope with it!” or “I have a problem, I will go and get a grant to cope with it!” “I am homeless, the Government must house me!” and so they are casting their problems on society and who is society? There is no such thing! There are individual men and women and[fo 29] there are families and no government can do anything except through people and people look to themselves first.  ...
Source: http://www.margaretthatcher.org/document/106689 
1980年代の保守革命の口火をきったサッチャー元英国首相の発言である。これをドクトリンと見るか、独断と見るか、理念と見るか、偏見と見るか、洞察と見るか、哲学と見るか、それは人それぞれであろう。

確かに日本国という国家は憲法(及び天皇?)とともにあり、国際社会は日本国という国家を認めている。国内には法制もあり、税制もあり、社会保障制度もある。しかし、現在の制度は昔にはなかった。つくったものである。作ったといっても、モノとして存在しているわけではない。消えるときには形も残さず消えていくものである。ただ、多くの人が有るかの様に認め、行動しているから、あるだけの話である。

異なった人が社会について語り合うとき、社会という言葉で指している現実は、ほぼ確実に食い違っているはずだ。A氏が考えている社会と、B氏が語っている社会は、別のものなのである。そう考えるのが正当だと小生は思っている。

2012年10月9日火曜日

ノーベル医学・生理学賞受賞に関連して ― 研究とカネの問題

ノーベル医学・生理学賞を京都大学の山中伸弥教授が受賞することになった。まだ50歳のスピード受賞である。誠に喜ばしい。同教授の業績である人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発は、臨床への潜在的応用まで含めて、当該分野で革命的なものだと以前から評価されていたようなので、関係者は当然だと受け止めているようだ。とはいえ、関係テーマで毎日研究を続けている研究者も数多いる。その中で、他ならぬ山中教授が受賞するに至ったからには、それなりの要素があるのだろうとも思う。
「研究は諦めて臨床へ戻ろう」。思い詰めた山中さんを、二つの出来事が救った。
一つは、98年に米の研究者がヒトES細胞の作成に成功したこと。大きく励みになるニュースだった。
 もう一つは、奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったこと。「落ちたら今度こそ研究を諦めよう」との思いで応募した。「研究者として一度は死んだ自分に、神様がもう一度場を与えてくれた」。99年12月、37歳で奈良に赴任した。
03年には科学技術振興機構の支援を受けることが決まり、5年間で約3億円の研究費を獲得した。面接した岸本忠三・元大阪大学長は「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」。研究は当初、失敗の連続だったが、今度は諦めなかった。「学生や若いスタッフが励ましてくれたから、乗り切れた」。マウスの皮膚細胞を使ってiPS細胞の作成に成功したのは、その3年後だった。(出所:毎日新聞、10月8日21時52分配信)
 山中教授は、最初、整形外科医を志しながら方向転換をして基礎研究の道に入ったものの大きな壁に何度かぶつかって、時には意気消沈したこともあったと言う。そんなときに人生をかけるべき研究主題と出会い、現実に研究ができる場と巡り合い、その継続を可能にするカネが支給されることになった。科学の研究だけではなく、創造活動には支援が必要だ。そんな支援のための社会的システムが日本でも機能していた。小さいスケールではあるがインキュベーション機能が働いていたという点に、小生、救われるというか、ほっとする思いがしている。

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「カネがかかるんだよね」というと相手にエッという顔をされて、本来高尚な人柄であるはずが何と俗っぽいことで頭を悩ませているのだろう。そんな風に思われるのは恥ずかしい。人品が下がるような感覚がある。言いだしにくい。実はこの点では学者と政治家は共通しているように思うのだ、な。

ベンチャー起業家のほうが遥かにビジネスライクに出資者と相談できる。もともと具体的なビジネスモデルの提案がそこにあり、そのビジネスプランの可能性を確率的に評価して、合理的な出資額を決めればよいだけである。もともとが<儲け話し>なのだから純粋にロジックの議論をしかけることができる。誰も何とも云うはずがない。

しかし、このような支援が政治の場で行われる場合、いかに国家の将来を考えた社会的挑戦であるにしても、「それは政治ではなく口利きである」とか、「それは法規に違反しており、あっせん利得罪に該当する」とか、そんな判断をされる心配がある。政治資金はあくまでも「政治活動」に必要な資金であらねばならないのだが、では「政治活動」の範囲とは何かと問われれば、それほど簡単に定義できるわけではない。簡単ではないので、「政治にカネはいらんだろう」と、そんな議論が潔癖な人達の間ではまかり通ることになる。

同じように、基礎研究と個人的趣味を区別することも難しい。趣味ならよいがモラルハザードが招く不正受給と純粋研究を識別することは機械的に簡単にできるわけではない。そこで手続きとしては、文献を調査して、かくかくしかじかの先行研究を列挙して、3年間でこれだけの研究活動をすれば、この程度の成果が得られ、その成果はこれこれの産業分野で待ち望まれているものである、等々。構想を練ったうえで、微に入り、細を穿つような研究計画書を作成し、それを他の専門家が審査をして、初めて研究資金は支給されるものだ。

ノーベル賞受賞の報道でも基礎研究にかけた山中教授の思いが紹介されている。
有効な治療法のない患者に接するうち、「こういう患者さんを治せるのは、基礎研究だ」と思い直した。病院を退職し、89年に大阪市立大の大学院に入学。薬理学教室で研究の基本を学んだ。「真っ白なところに何を描いてもいい」。基礎研究の魅力に目覚め、実験に没頭した。論文を指導した岩尾洋教授は「彼の論文は完成度が高く、ほとんど直さなくてよかった」と語る。
「真っ白なところに何を描いてもいい」はずの基礎研究に「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」 ことが、文字通り、時代を切り開く研究のきっかけであったとしたら、これは趣味だとかたづけられる計画ではなく、真の科学的挑戦だ。そんな判断をした資金提供者の眼力もまた賞賛に値するに違いない。

山中教授は、今回のノーベル賞は文字通り日本が受賞した、と。そう語っていると報じられているが、この言は社交辞令などでは決してなく、まさにその通り、実際にそうだったのであろう、本当に心の底からそう思って話しているのだろうなあと、小生、ここの部分に最も感動したのである。願わくば、今回の受賞は、たまたまその時にその場にいたあの人が賢明だったのだ・・・、そんな運・不運の話にするのではなく、日本の社会的システムが優れているからだ、そんな議論に持って行ってほしいものである。

2012年10月7日日曜日

日曜日の話し(10/7)

日経朝刊に連載されている浅田次郎作の小説『黒書院の六兵衛』のタイトルをみて、その意味が最初はよく分からなかったが、始まってから今まで主人公・的矢六兵衛がずっと江戸城中の上様御側(であるはずの場所)に頑張って、侍っているのだから、確かにこれは良いタイトルだと思うようになった所だ。

一昨日5日の下りは中々いい。将軍・慶喜が上野寛永寺に謹慎して、あとは城を明け渡すばかりの或る日、六兵衛の上役である書院番組頭から城を立ち退くよう命令してもらおうと隠れ先までわざわざ訪れたとき、その上役が口にした言である。
武士道と申すは常在戦場の心がけであるからして、天下太平の世となってからも、幕府はこの上意下達の法を頑に守ってきた。
・・・
わしは「おのおの勝手にいたせ」と言うただけで、その通り勝手をした者にしてみれば聞く耳はもつまいよ。
ややっ、無責任とは心外な。それを言うならわしなどではなく、もっと上に言え。よいか上意下達のてっぺんはどなたじゃ。ほかならぬ上様でござろう。ところがその御方は寛永寺にてご謹慎中、跡目に立たれたは御齢わずか六歳の田安亀之助様じゃ。言うだに畏れ多いが、まずこうしたてっぺんの有様が無責任であろう。どちら様もご上意など、お口に出せるはずはないのだ。
日本人がもつ魂にはいくつかの側面があると思うが、その中で<武士道>は新渡戸稲造が『武士道』を英文で刊行してからこのかた、代表的日本人を支える心性として海外でも知られるようになった − というより幕末の東漸寺斬り込み以来、Samurai Attackは侮れないものであると、恐怖の感情が植え付けられたのかもしれない。と同時に、日本社会が根底に持つ(というか、持っていた)部外者排除、外国人排除、純化志向の心理的特徴も自ずから伝わっていったのだと小生は想像している。


ワーグマン、東漸寺事件
(出所)http://www.artgene.net/event3.php?EID=9147

攘夷志士が品川・東漸寺にあった英国公使館を襲撃したのは桜田門外の変があった翌年1861年(文久元年)5月28日のことである。この夜、ベッド下にもぐりこんで隠れおおせた画人チャールズ・ワーグマンは、その後も日本に滞在し、当時の風俗を伝える多くのスケッチを遺している。

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上で言う<武士道>は、サムライの倫理であり、侍とは侍る(=はべる)、つまり主人からの下知をまつ、命令を待つために側にはべる、だから侍という。つまり武士道とは臣下の道徳であり、統治のモラルを提供してはいない。服従のあり方の理想であっても、支配の原理を指し示す指針ではない。やはり武士道の花は忠義であり、命をかけて自己犠牲を全うする姿を眼前に見るとき、どれほどその行為が不合理であっても日本人の倫理的感情と涙腺は、甚だしくその美と崇高さに刺激されるのだ。確かに言えることは、日本人は真の意味で命令を受ける事に慣れているのであって、反対に命令したり、支配する事には慣れていない。慣れていないだけではなく、慣れようともしなかった、あまり考えてきたとも言えない。そんな一面があるだろう。

新聞小説では究極的な主である「上様」が姿をくらましており、誰も命令を下せない。そういう原理的に無責任な現実が描写されており、無責任を旨とする状況の中で一人の武士がモラルを通す姿を、皮肉にも滑稽に描写している。ここが面白いのだな。時代としては、1868年4月11日に慶喜が寛永寺から水戸に出発、同月21日には官軍総督・有栖川宮熾仁親王が江戸入城と記されているから、上の場面は同年春先の事であったにちがいない。

小生、戦前期・明治体制の内閣の輔弼義務と天皇無答責は、まさにこの無責任原理を状況的に引き継いだものと考えているのだ、な。明治から大正にかけては英雄的叙事詩の世界であったかもしれないが、大正から昭和前期にかけて同じ体制であったにもかかわらず延々と繰り広げられた混乱には、(不謹慎のようだが)ドタバタ喜劇の要素があるのは、そもそも臣下の倫理を求める一方で、支配の無責任を原理としていた故ではないか。極論するならもう一遍「大政奉還」の意味合いを定義する地点からやり直した方が良かったのではないか。そう思いもするわけだ。そう見るなら、的矢六兵衛の滑稽な武士道も、A級戦犯・東條英機の天皇陛下への忠節も、その心根は同じであると見れない事もない。

2012年10月4日木曜日

定住(Settlement)から多住(Multi-Dwelling)の時代

人には故郷がある。文明の発展、国境の消失の中で、人はどこへでも安く移動できるようになった。仕事はどこにでもある時代であり、一生をどの町で過ごすのか予想もつかない。北海道に移住した小生もその一例だ。そんな時代に、自分の住居や家族の墓をどこに置くか?この二つが根本的に矛盾するようになってきている。それが今年という区切りの一年において小生が痛感していることだ。

3月にはカミさんの実家が兵庫県三田に遺している累代の墓を整理してきた。その近隣にはすでに誰も参る人がおらず、阪神大震災で倒壊したことも知らず、知らないうちに無縁仏として撤去され、無縁塔の中でまつられている事をつい昨年冬までは知らなかったのである。知った以上、対応する必要がでてきたわけだ。

小生の先祖の墓は愛媛県松山にある。そこにはまだ子のない叔父が生きているが、本流ではなく傍流である。本流は太平洋戦争で男子がみな戦死し、いまは絶えている。そこで本家の墓を小生の祖父が建てた墓に移葬したところだ。移すというそれだけのための純粋の宗教的行事であるにもかかわらず、ずいぶんな出費を叔父は強いられたそうだ。

日本人にとって ー というよりどの国の人も程度の差はあれ ー 広い土地に広い屋敷をもうけ、そこにずっと定住して落ち着いた一生を送るというのが伝統的な理想だった。しかし、その価値観はもう無理ではないのだろうか。子息をもうけても、子供の家族が同じ場所と屋敷で生きていく保証はなく、可能性からいえば、まず別の町で、あるいは別の国で人生を送るだろう。不動産は子孫の面倒、子孫のトラブルメーカーになるだけだ。<移動の自由>という古い言葉は、実家や故郷という言葉と一対になった言葉だったらしい。移動の背後には帰郷が期待されていたのだ。その帰郷は、もう随分、非現実的になってしまった。

ずいぶん昔に小生のゼミを卒業した学生は、JTBに就職した。別れる時に、住宅販売と旅行の企画の区分がだんだんなくなってくるぞと言った記憶がある。一週間程度の旅行が、長寿社会の中で1ヶ月程度の旅行が求められるようになり、それが春夏秋冬、季節ごとに自分の気に入った町で暮らしたいと思うようになる。一カ所に住む所を持っているよりも、行く先々で、滞在したい日数だけ、落ち着いて過ごせる場所がほしい。それもまた新しい時代の<旅行>であり、旅行を求めるニーズに応えるのが旅行会社の役割だろう。だから旅行会社と賃貸マンション、住宅販売業は、次第に重なってくる。そんな話しをした。

気に入った町ができれば、そこに長期で借りるよりも、小さくて瀟洒な、気の張らない家を持ちたいと願うようになるだろう。庭木も育てたいだろう。本宅と別荘という使い分けではなく、何カ所かに低廉で使い勝手の良い住宅をもつ。そうすれば死後に遺したときも相続させやすいし、売りさばくにも便利だろう。そして資産の大半は、不動産ではなく、貴金属、美術品などの動産でもつ。これが後の世代に迷惑をかけず、かつ喜ばれる「理想の生き方」になってきた。そんな風に思っている。

40年も前に国土総合開発計画のキャッチフレーズとなった「定住圏」という用語は真の意味で過去の遺物となった。表題に書いたように「多住時代」になってきた。そう読んでいる。芭蕉は、というよりオリジナルは8世紀の盛唐の詩人・李白であるが、『奥の細道』をこうはじめている。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
すべての人は、所詮、旅人ではないか。文字通りの旅人として生きるのが最適の時代、それが21世紀という時代ではないだろうか。いま小生は、そんな時代に適合した先祖の祀り方、追憶の仕方を考えあぐねている。

2012年10月2日火曜日

欧州原発 ― 今後は安全投資の季節になるか

欧州原発はこれから数年は巨額の安全投資を実施せざるを得ない状況のようだ。独紙Frankfurter Allgemeineに次の報道がある。福島第一原発の事故を受けて欧州内134箇所の原発施設を対象に実施したストレステストの結果が公表された。


Fast alle europäischen Atomkraftwerke haben Mängel

01.10.2012 ·  Eine Überprüfung der 134 europäischen Atomkraftwerke hat ergeben: In praktisch jedem Kraftwerk gibt es Sicherheitsmängel. Um alle Sicherheitslücken zu schließen, sind insgesamt 25 Milliarden Euro notwendig.
Die europäischen Energiekonzerne müssen in den kommenden Jahren Milliarden in die Sicherheit der Atomkraftwerke investieren. Die Überprüfung der 134 derzeit in der EU, der Schweiz, der Ukraine und Kroatien betriebenen Atomreaktoren habe in praktisch allen Kraftwerken Sicherheitsmängel aufgezeigt, heißt es in dem Abschlussbericht der Europäischen Kommission zu den nach der Atomkatastrophe von Fukushima vereinbarten Stresstests. Um die Mängel zu beheben, seien je Reaktor Investitionen zwischen 30 Millionen und 200 Millionen Euro nötig. Insgesamt kämen auf die europäischen Energiekonzerne damit Investitionen von bis zu 25 Milliarden Euro zu. Energiekommissar Günther Oettinger will den Abschlussbericht in den kommenden Tagen offiziell in Brüssel vorstellen.

ほとんど全ての原発施設で何らかの安全管理上の問題が発見され、それに対処するため総計250億ユーロ(=2兆5千億円程度)の安全投資が必要とのこと。

特に欠けているのは、重大事故に際したときのガイドラインである。この点、日本も海外も似たような実情にあったことを憶測させ、福島原発事故は問題の所在を海外に伝える素材を提供したようでもある。

今後、原発をはじめとするエネルギー産業に関連して、様々な安全管理上の、環境保全上の国際ルール作り、機構設置について議論が進むものと予想される。2030年時点の日本国内の原発依存比率をゼロにするか、ゼロに出来るのか。こんな不毛かつ解決不能の問題をめぐって無駄に議論するよりも、中身のある足元の議論に精力を投入し、世界的な問題解決努力に貢献し、併せて国益の増進に努めるほうがよい。

2012年10月1日月曜日

いまや「就活」の場となった国政選挙

今日は投稿を休もうと思っていたが、こんな報道があった。これは書きとめておかないと、いまという時代が、堕落した国会議員にいかに足を引っ張られた時代であったのか、それが分からなくなる。そう思った次第。
新党「国民の生活が第一」の小沢代表は27日、BS11の番組収録で、「野田首相では(次期衆院)選挙が戦えないという思いが(民主党議員の)ほとんどの人の心の中にあるから、また離党する人が増える」と述べた。
 そのうえで、「過半数割れすると、衆議院でも(内閣)不信任(決議案)が通ってしまうから大変なのではないか」と民主党をけん制した。
 小沢氏はまた、「第3極」の複数の政党が選挙協力する「オリーブの木」構想について、「それをやらなければ、新しい、民主、自民に代わる政権もできない」と語った。
(出所)読売新聞、2012年9月27日18時34分
日本の政治家の中でも<大物>と形容されてきた小沢氏が率先して、次の選挙のことを心配して与党を離脱する人たちが増えると、そう予測しているのだから、 「政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の世代のことを考える」。米国上院議員ジェームズ・ポール・クラークが言ったと伝えられるこの金言が、日本の国会議員集団に文字通りに当てはまっているのは明らかだ。ここが本当に情けない。

国会議員の俸給は、各省庁の事務次官を下回らない金額と定められている。具体的には2000万円強であるが、その他に文書交通費や立法調査費などの手当てが加算される。次の選挙で落選すれば、<ただの人>に逆戻りとなるので、それはリストラと同じであり、思うだけでも恐ろしいであろう。医学部に入って医者を目指す、法学部に入って法曹専門家を目指す、工学部に入ってエンジニアを目指す。社会には色々な職業があるが、その職業の一つとして政治を選んだからこそ<政治屋>という呼び名がついている。職業選択の動機は、本人の志向もあるが、まずは生活の糧を得る。これが職業につく第一の目的である。してみれば、政治屋の第一の目的は<収入>であるという理屈になる。

現代社会の国会議員が、選挙に出る動機は、国会議員になって豊かな暮らしをする、国のために仕事をする以上は豊かな暮らしをしても当然だ、まあ要するに恵まれた職業を目指す、その意味では<選挙=就活>と言ってもいい時代なのではなかろうか。