2012年10月28日日曜日

日曜日の話し(10/28)

他人のために生きるのか、自分のために生きるのか?

資本主義経済で社会を運営しながら、他方では他人のために生きることこそ、望ましく倫理にもかなった生き方であると信じる日本人が、昨年の大震災以降増えてきているような印象がある。小生はへそ曲がりだから、他人のために生きることの意味がよく分からない。

ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、題名の通り、実に心のひねくれた、孤独で偏屈な思想家のエッセーである。偏屈で、世を諦念と皮肉の眼差しでみながら、時に多数の人の努力を冷笑するような態度をとるという点では、日本の永井荷風『断腸亭日乗』と似通っているのかもしれない。1700年代に生きて、フランス革命の思想的指導者としての役割を担った人物と、失われた江戸情緒を懐かしみながら戯作を作り続けた20世紀の日本の作家と、生まれと育ちでは全く共通点がないのに、似たようなものを書き残したのは実に不思議だ。



ドラクロワ、民衆をみちびく自由の女神、1831年

フランス・ロマン主義の画家として有名なドラクロワが描いた大作『自由の女神』は、ナポレオン戦争後の王政復古を倒した7月革命が舞台になっている。フランスは、復活したブルボン王朝からブルジョア主導型王政へ移行するが、それも1848年の2月革命で打倒され、全欧州を覆っていたナポレオン後のウィーン体制は瓦解、その後フランス社会は第二共和制、ナポレオン三世による第二帝政へと移り変わっていく。

1800年代前半にこのようにドミノ式で伝播した所謂<近代社会>を招きよせる預言者として生きたルソーは晩年になってからこう書いている。
わたしには、有用な知識という面ではこれから学びうることはほとんどないにしても、わたしの境遇にあって必要な徳の面では非常に重要なことがまだ残されている。その方面においてこそこれから学びうるものをもって魂を豊かにし、飾らなければなるまい。それは、魂を暗くし盲目にしている肉体から魂が解放され、曇りなき真理の姿を見て、わが贋学者たちが空しく誇りとしているいっさいの知識のみじめさを知るときになって、魂が携えていけるものなのである。そのとき魂はみじめな知識を獲得しようとこの世でむだに費やした時を想って呻吟することだろう。 
だが忍耐、柔和な心、諦念、廉潔、公平無私の正義、これらはおのれとともに携えていける財産なのであって、それはたえず豊かにすることができるし、死に臨んでも私たちにとってその価値がうしなわれる心配はない。(ワイド版岩波文庫、54ページ)
ルソーは、いわゆる「知識」や「学問」を徹底的に軽蔑している、所詮はそれらは<飯のタネ>でしかなく、現世限り、この世限り、短い人生を浮世で過ごす一場の演技でしかない ― とはいえ、全ての知的活動を軽蔑しているわけではなく、当時、権威とされていた学問体系を否定したのであって、真理に到達したいというその態度は近代哲学の創始者デカルトを思わせる。

小生、人間が一人で生まれ、独りで死んでいくことに変わりがないのであれば、何のために学び、考え、努力するかという真の動機は、ルソーがいうように、それは自分のためであり、他人の利益のためではないと思う。大体、他人の利益のために勉強するなど可笑しいでしょう?それは、ほとんど常に「自分が食っていくためにいま何を勉強しておくのが有利か」という問いかけと表裏一体である。そういう営利原則で学ぶ人間は、当然、既存の知識を吸収することが目的であり、知識を疑い、自分自身で考え、何が真理であるのか、そんな問いかけに時間をつぶすはずはないのである。そう思うのだ、な。だから多くの人の役に立つために勉強しなさいという激励は、それ自体が学問否定、そう見ているのであって、小生、はっきり言って嫌いである。偽善である。

それにしても、せいぜい親子くらいの齢の違いしかなく、ありのままの自然を賛美する思想も重なり合っているはずであるのに、ゲーテがルソーを語ることがほとんどなかったというのは、奇妙なことである。同じフランスの啓蒙思想家として先輩格のヴォルテールは、高く評価しているのに、である。ゲーテの口からルソーの名前が一度も発せられなかったとすれば「さすがのゲーテもルソーは知らなかったか」と言えそうだが、エッカーマンも読んでいたようであるし、ゲーテもルソーの名を口にしている。知らなかったわけではないのだな。読んではみたが、評価しなかったのだろう。

エッカーマンから「近代の哲学者では誰が最も優れていますか?」と問われたとき、ゲーテは「カントが最もすぐれている、まちがいなくね」と、語っている(岩波文庫「ゲーテとの対話(上)」、316頁)。カント自身は、ルソーの『エミール』を読みふけってしまい、正確無比な散歩の習慣に時間の乱れが生じたと言われるほどだ。当時のヨーロッパの知識人で、ゲーテの目の届かない人物は、いなかったはずである。だからドイツ観念論を主導した哲学者フィヒテ、シェリング、ヘーゲルもゲーテはよく知っていた。そのゲーテも、ジャン・ジャック・ルソーの思想は理解できなかったか、過激に過ぎると思ったか、論評も意見も残っていない ― なにか書評なり、短文なりが全集を探せばあるのかもしれないが、対話録には記されていない。話題にならなかったことは間違いない。

そのルソーはこうも言っている。
他人より物知りになろうとする彼らは、そこらにみられるなにか器械のようなものを研究するのと同じく、たんなる好奇心をもって宇宙を研究し、どんなふうにそれが組み立てられているかを知ろうとしていた。かれらが人間性を研究するのは、それについて学者らしい話をするためで、自分を知るためではない。かれらが勉強するのは、他人に教えるためで、自分の内部を明らかにするためではない。・・・わたしはどうかといえば、私が学問をしたいと思ったのは、自分で知るためにであって、人に教えるためにではなかった。(同上、37‐38ページ)
ルソーとて、世を変えようと思って学問をしたわけではない。結果として、世を変えるための思想的根拠に祭り上げられてしまった。そういうことである。これまた今の日本の良識派が嫌う<想定外>であったのだ、な。まして社会を自分の意のままに変えてしまおうとする、そのためにこそ勉強をするなどというあり方は、小生の想像を超えている ― ま、そんな人物が日本に出てくることはないと信じているが。


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