国家公務員の給与が「復興財源に充てるため」という理由で2年間引き下げられているが ― ただし臨時的に実施される<支給額減額>であって、たとえば退職金計算などに使う給与額は元のままである ― 今度は日銀の職員給与が2年間、やはり「震災復興財源に充てるため」引き下げられることになった。
日銀は26日、職員給与を年収ベースで平均7.5%削減することを決めた。2012年度と13年度の時限措置。削減幅は1998年の新日銀法施行後では最大で、国家公務員の給与減額幅(7.8%)とほぼ同じになる。日銀は、経費削減によって国庫納付金を上積みできるため東日本大震災の復興支援に貢献できると説明している。削減率も国家公務員と概ね同水準である。政府とは独立しているはずの国立大学法人、行政法人の職員給与は労働組合と交渉しながら、政府とは別に決める仕組みだが、ここも(まだ一部で妥結の遅れはあるかもしれないが)足並みをそろえて、給与支給減額を了承している。今後は、全国すべての都道府県、市町村職員の給与が7%~8%引き下げられ、地方公営企業、たとえば市営バスとか、市営地下鉄職員の給与も減額されるのは、もはや必至であるとは言えまいか。こうなると政府から許認可を受けて法的独占が認められている民間企業の給与も、小生はまず確実にそうなると予想しているが、引き下げられる方向になるのではないか。関西電力は、表向きは原発停止に伴うコスト増、損失計上が理由だが、社員の給与を引き下げることを決めた。北陸電力や中部電力のように水力依存率が高く、それほどまで大きな打撃を受けていない電力会社でも、独占を認められている状態で自社だけが給与を元の水準に据え置くわけにはいかないのではないか。
職員給与の削減幅は年収ベースで5.94%~9.79%。毎年5月と11月に支給される賞与から差し引く形で実施する。今年3月に決めた総裁ら役員の給与減額と合わせると、日銀役職員の給与削減額は2年間で合わせて50億円程度になる見込み。 (出所)時事通信、10月26日(金)19時0分配信
ガス会社も同じであろう。そうなると大口の電気ユーザー、たとえばJR各社の社員給与も<復興事業のため社会貢献する>ため減額の方向で検討が進むのではないだろうか?高速道路料金はどうだろうか。また金融業界は横並び意識が強い。民間金融機関の社員給与についても、日本銀行の今回の決定に「右へ倣え」となるのではあるまいか。こうなるとマイナスの賃金調整が製造業にも波及する。業種別・職種別の相対賃金は、労働生産性を反映する理屈だから、名目賃金を特定分野で人為的に引き下げれば、それは全面的な賃金調整を進めると見るべきだ。
(こんなバカなことにはならないと信じているが)そうなると、日本経済全体に5%を超える予想外の賃金デフレショックが発生し、そのネガティブショックは、流動性の罠に陥り、名目金利をこれ以上下げられない状態にある日本においては、そのまま物価全体へのネガティブショックとなって波及するだろう。ロジックとしては実質金利が上がり、円高が進む原因になる。設備投資は減退し、生産拠点の海外流出が加速するのがロジックだ。
アメリカの「財政の崖」、日本の特例公債法案の行方が取りざたされているが、賃金デフレショックは「給与引き下げ?財政赤字なんだから当たり前じゃん」と、そんな意識と感覚で多くの日本人が考えているかどうかは小生にも分からないが、その経済的効果が議論されることはあまりないようである。たとえ消費から復興事業への需要シフトであるという議論をするとしても、名目賃金が低下することは事実であり、価格全体に下方プレッシャーを加えることに違いはない。考慮するべき点があるとすれば、2年後には元通りの水準に賃金が復帰すると予想されれば、一種の<選別的所得税>とみられるので、全般的な賃金下落にはつながらない可能性が高いが、この点は不確定と言うべきだろう。賃金動向はこれから要注意だと思われる。
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今日の日経朝刊には政府との距離感をはかりかねている経団連が報じられている。
自動車、鉄鋼、電機といった日本を代表する企業でつくる経団連が、政治との間合いを計りかねている。衆院選後の政権交代が現実味を帯びるなかで、かつてのように特定の政党へ支援を鮮明にできないでいる。新たな政権の枠組みを読み切れないためだ。経団連が政治的に中立の姿勢をいつどのように転換するか。政界は注視している。世間は、経済界が何か政府について注文をつけて、政府がその線に沿って政策を実施したり、基本方針を変更したりすると、「財界に屈した理念なき政治」などと、それはすさまじい程に非難するが、小生はずっとそんな低レベルの傾向に呆れる思いがしていた。日本人の所得は、「生産に参加して得られる所得(給与、利子・配当・賃貸料など資本所得)」と「生産には参加しないで得られる移転所得(社会保障給付など)」に分かれるが、移転所得は生産活動から発生する一次所得を源泉としている。要するに、日本人が使える所得は日本人がどれだけ生産的な活動をしたかに比例して生まれるものだ。そしてその生産活動のほぼ全ては民間企業という場で行われていて、その活動を続ける価値があるかどうかは、利益が出るかどうかで判断される ― 利益が出なければ別の国、別の事業分野に投下したほうがお金が生きるわけであり、世界的にはそのほうがプラスである。
経済の現場から政府の政策に注文をつけるのは当たり前であり、特に個人は投票で政治に影響を与えられるが、生産組織は投票権をもっていない。生産現場の実情は誰かが言葉で伝えなければ伝えようがないのである。
経済的自由を尊重する論客として高名な八代尚宏氏は同じ紙面で次のように述べている。
八代尚宏国際基督教大客員教授の話: 国の財政余力が限られるなかで、経済を成長させるには規制緩和で内需を喚起するのが近道だ。これは官僚に任せたら進まないので、経団連などの経済界が圧力をかける意義が大きい。
だが、政治に対して具体的に発信せずに改革を諦め、生産拠点を海外に移している印象がある。政治がリーダーシップを失っているので、働き掛けが難しい事情は理解できる。個別の議員へのロビイングが主体となっている米国の例も参考に、経済界と政治との間合いを根本的に見直す時ではないか。大企業を代表する経団連に関する報道とはいえ、黙って海外に避難している民間企業が続出していることは、日本の従業員にとってはマイナス、外国の従業員にとってはプラス、日本の投資家にはプラス。つまり日本の従業員が一人負けするのである。この点は経団連だろうが、商工会議所だろうが、誰が言っても同じである。
日本の従業員といえば有権者の過半を占めるだろう。その過半の有権者が、もしいま経済界が政府に要望している規制緩和や法人税減税を<政府への圧力>として非難するとすれば、それは自分の首を自分で締めているわけであり、極めて愚かだ。
経済のことは経済の論理で決まる。<より良い経済社会>を<賢明な>政治家が官僚を指導しながらマニュアル操作で実現できるという理論的根拠はない。モラルは人生の幸福を実現するのに重要なものであるが、社会経済を上手に運営するには全く不要のものである。社会経済の運営は、幸福の実現とは独立の事柄であり、政策科学の専門的知見を活用しないといけない。それは野球やサッカーと同じである。一生懸命やれば勝てるとはいえないのだ。
そして専門家のほとんどは、自由な市場にまかせた時に経済全体がどうなるかが予見できているのであって、政治家や官僚にまかせる時に社会がどうなるかは、まったく分からない、ここに信じるべき理論は一つもないのである。理論通りにはいかないから、政治家が経済社会に責任を持つべきだと言うのは、今日は風が強くて飛行機が安定しないから、乗客が投票をしながら民主的にマニュアル操作しようと提案するのと同じ話しなのだ、な。
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