「研究は諦めて臨床へ戻ろう」。思い詰めた山中さんを、二つの出来事が救った。
一つは、98年に米の研究者がヒトES細胞の作成に成功したこと。大きく励みになるニュースだった。山中教授は、最初、整形外科医を志しながら方向転換をして基礎研究の道に入ったものの大きな壁に何度かぶつかって、時には意気消沈したこともあったと言う。そんなときに人生をかけるべき研究主題と出会い、現実に研究ができる場と巡り合い、その継続を可能にするカネが支給されることになった。科学の研究だけではなく、創造活動には支援が必要だ。そんな支援のための社会的システムが日本でも機能していた。小さいスケールではあるがインキュベーション機能が働いていたという点に、小生、救われるというか、ほっとする思いがしている。
もう一つは、奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったこと。「落ちたら今度こそ研究を諦めよう」との思いで応募した。「研究者として一度は死んだ自分に、神様がもう一度場を与えてくれた」。99年12月、37歳で奈良に赴任した。
03年には科学技術振興機構の支援を受けることが決まり、5年間で約3億円の研究費を獲得した。面接した岸本忠三・元大阪大学長は「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」。研究は当初、失敗の連続だったが、今度は諦めなかった。「学生や若いスタッフが励ましてくれたから、乗り切れた」。マウスの皮膚細胞を使ってiPS細胞の作成に成功したのは、その3年後だった。(出所:毎日新聞、10月8日21時52分配信)
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「カネがかかるんだよね」というと相手にエッという顔をされて、本来高尚な人柄であるはずが何と俗っぽいことで頭を悩ませているのだろう。そんな風に思われるのは恥ずかしい。人品が下がるような感覚がある。言いだしにくい。実はこの点では学者と政治家は共通しているように思うのだ、な。
ベンチャー起業家のほうが遥かにビジネスライクに出資者と相談できる。もともと具体的なビジネスモデルの提案がそこにあり、そのビジネスプランの可能性を確率的に評価して、合理的な出資額を決めればよいだけである。もともとが<儲け話し>なのだから純粋にロジックの議論をしかけることができる。誰も何とも云うはずがない。
しかし、このような支援が政治の場で行われる場合、いかに国家の将来を考えた社会的挑戦であるにしても、「それは政治ではなく口利きである」とか、「それは法規に違反しており、あっせん利得罪に該当する」とか、そんな判断をされる心配がある。政治資金はあくまでも「政治活動」に必要な資金であらねばならないのだが、では「政治活動」の範囲とは何かと問われれば、それほど簡単に定義できるわけではない。簡単ではないので、「政治にカネはいらんだろう」と、そんな議論が潔癖な人達の間ではまかり通ることになる。
同じように、基礎研究と個人的趣味を区別することも難しい。趣味ならよいがモラルハザードが招く不正受給と純粋研究を識別することは機械的に簡単にできるわけではない。そこで手続きとしては、文献を調査して、かくかくしかじかの先行研究を列挙して、3年間でこれだけの研究活動をすれば、この程度の成果が得られ、その成果はこれこれの産業分野で待ち望まれているものである、等々。構想を練ったうえで、微に入り、細を穿つような研究計画書を作成し、それを他の専門家が審査をして、初めて研究資金は支給されるものだ。
ノーベル賞受賞の報道でも基礎研究にかけた山中教授の思いが紹介されている。
有効な治療法のない患者に接するうち、「こういう患者さんを治せるのは、基礎研究だ」と思い直した。病院を退職し、89年に大阪市立大の大学院に入学。薬理学教室で研究の基本を学んだ。「真っ白なところに何を描いてもいい」。基礎研究の魅力に目覚め、実験に没頭した。論文を指導した岩尾洋教授は「彼の論文は完成度が高く、ほとんど直さなくてよかった」と語る。「真っ白なところに何を描いてもいい」はずの基礎研究に「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」 ことが、文字通り、時代を切り開く研究のきっかけであったとしたら、これは趣味だとかたづけられる計画ではなく、真の科学的挑戦だ。そんな判断をした資金提供者の眼力もまた賞賛に値するに違いない。
山中教授は、今回のノーベル賞は文字通り日本が受賞した、と。そう語っていると報じられているが、この言は社交辞令などでは決してなく、まさにその通り、実際にそうだったのであろう、本当に心の底からそう思って話しているのだろうなあと、小生、ここの部分に最も感動したのである。願わくば、今回の受賞は、たまたまその時にその場にいたあの人が賢明だったのだ・・・、そんな運・不運の話にするのではなく、日本の社会的システムが優れているからだ、そんな議論に持って行ってほしいものである。
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